1-6
その部屋には三人の人間がいた。二人は男で一人は女。
各々自分好みのカジュアルな流行の衣服に身を包み、髪を染めている。そこに統一性はなく、三人に共通することといえば年齢層くらいだった。十代後半の男女――彼らは出自も見てくれもばらばらな三人だったが、それでも一つのグループとしてつるんでいた。
薄い絨毯の敷かれた狭いワンルームの中にはいくつか家具があり、床には三人の私物が無造作に散らかっていた。脱ぎ捨てられた服、まだ中身のある化粧品、食品の包み紙。それらは生活の切れ端であり、またその証明でもあった。
だがその部屋に、なぜか人の暮らす温かさは希薄だった。そこはただ物がひしめく箱であり、入れ物でしかないように見える。
そして部屋の空気にはどこか淀んだ、白い闇の気配が漂っていた。
「おお……」
隣に座るベンが眉を緩め、歓喜の声を上げた。ソファの背後ではアンソニーが背もたれにしだれかかるようにしながら彼の様子を眺めている。
「どうよ? マジでコレインか?」
「っぽいぜぇこりゃ」
言ってベンは、白色の粉末を入れたガラス管をオイルライターで炙り続けながら、立ち上る細い薄煙を今一度鼻から深く吸い込む。
「うおーマジかぁ。タダで手に入ったとかラッキーだわ」
アンソニーはコレインの入っていた奇妙な金属製のピルケースを窓の光にかざしてみせる。
そこでふと、聞いてみた。
「でもなんでそんなもんがアンタ宛に回ってくんのよ? それに時間で開くピルケースとか聞いたことないんだけど」
「俺もこんなもん初めて見た。壊して開けようかと思ったけど、変なネジ使われてるしよ」
「なんか怪しくない?」
「でもフツーにコレインだったしいいだろ。それに今回は匿名交換所だからな。手紙で呼び出されて行っただけだし、相手の目的なんざ今更わかんねぇよ」
この街には、そういう目的で営業するバーがいくつかある。バーテンが有料で薬物の交換を請け負い、利用者は直接相手の顔を見ずに薬物の受け渡しができるのだ。中でも信用のある店は、巨大な麻薬密売組織とも繋がりがあるといわれている。
つまり今回、その交換所でアンソニーが受け取ってきたのがこのコレインである。受け取ったのは昨日の昼間。バーテンより交換相手からの伝言として、ピルケースが二十四時間の経過で開くということと、無料であることが告げられたのだとか。
匿名の交換所は自分もよく利用するが、無料の受け渡しはあまり聞いたことがない。時間経過で開くというのもよくわからない。怪しいといえば怪しいものである。
しかしまぁ、アンソニーの言うとおりそんなことは今はどうでもいいだろう。
最近ハマっている薬が目の前にあるという事実は、それだけで気分を高揚させる。
しかも交換相手の男は結構な量のコレインを渡してくれたようで、三人で回しても十分に余裕はある。賽を振って順番を決めたので、次は自分だ。
すると、アンソニーが半分笑いながら言った。
「ジェシカ。お前イラついてんな? なくならねーから待ってやれよ」
気づけば揺すっていた膝を意識して止める。しかし今の彼のへらへらした顔は無性に癇に障った。
「……ふん。アンタは昨日別のハーブ使ったんだからいいわよね。っていうかあれ、アタシも半分お金出したのに一人で使い切っちゃうし」
視線は合わせず、ジェシカは不満をそのままぶつける。
ちなみに自分はここ一週間ほど薬はお預けの状態だった。化粧品の出費で、安いハーブすら買う余裕が無かったのだ。禁断症状に加えて金欠という事実は余計に憤懣を加速させる。
しかしそこでふと後ろを見ると、アンソニーが軽くこちらを睨めつけていた。
「お前、タダでコレイン吸えるだけありがたく思えよ?」
トーンの落ちたその言葉に、ジェシカは顔を背ける。できるだけ、『わかりました』と従順に従ったように見せながら。
こいつはキレると面倒臭いのだ。すぐに剥こうとしてくるし、話を聞かなくなる。薬の順番をうやむやにされたりしたら最悪だ。
だがどうにも焦れて仕方のないジェシカは、その苛立ちを隣の男に向けた。彼は未だに煙を恍惚の表情で吸引している。
「ちょっといい加減に――」
しかし、そんな時だった。
唐突に、部屋にノックの音が響いた。
「あ?」
アンソニーが部屋の入り口へと目を向ける。このワンルームは短い廊下を介して玄関口と部屋が一直線に配置されているので部屋の中からでも玄関の様子は伺える。
ドアノブを捻る音はしなかった。鍵はかけてあるが、ドアの先の何者かが踏み入ってくる様子はない。
「なに? 誰?」
「……見てくる」
言ってアンソニーはキャビネットにある黒い拳銃をズボンの後ろにねじ込んで、玄関へと向かう。わざわざ銃など持っていかなくてもいいだろうと言おうとしたジェシカだったが、面倒なので放っておいた。すぐカッとなるくせに妙なところで小心者なのも、あの男の残念な特徴である。それに護身用の拳銃所持が認められている国で銃を持っていたところで、取り出したりしなければ大事にはならないはずだ。
それよりも。
ベンが吸入を変わってくれた。その事の方が重要だった。
ガラス管とライターを受け取り、自分も吸入を開始する。
と同時、アンソニーの声が玄関口で聞こえた。
「誰だ、おい」
「郵便局の者――配達物を破いてしまって――」
やはり誰か来ていたらしい。ドア越しなので相手の声は聞き取りにくいが。
「はぁ?」
「すみません確認――受け取り可能ならサインを――」
何ともくだらなさそうな会話だった。ドアを開ける音がする。
だが別にどうでもいい。気にせずじっくりとこれを味わおう。
そう思った瞬間。
「て、てめぇらっ……!」
どたんっ!
アンソニーの声に振り向くと、いきなり彼が部屋の中に吹っ飛んできた。そのまま部屋の一角に倒れこんで、小さく唸ってうずくまる。流血するような怪我はしていないようだが、彼は横に落ちた自身の拳銃を拾う余裕すらない様子だった。
突然の事態に声を出せずにいると、部屋の中に軽薄そうな若い男の声が響いた。
「お邪魔しまーす」
ふざけた調子の挨拶と共に、その男はアンソニーをひょいとまたいで部屋に入ってくる。黒髪黒目の若い男。パーカー姿に口元にはマスク。そして黒い手袋をしている。そのマスクと手袋の意味は、フリジニアに住む者なら誰もが知っている。
さらにその背後には同じような年齢のブロンドの髪の男がいた。マスクや手袋は変わらないものの、こちらは黒いコート姿である。
「いきなりこれか……」
なぜかくたびれた顔をしたブロンドの彼が片手で顔を覆ってぼやく。
「コレ出そうとしやがったんだ。当然だろ」
黒髪男は落ちていた拳銃の銃身を握って拾うと、小さく肩をすくめてみせる。
「彼は出そうとしただけでまだ出してはいなかった。音だけで判断して攻撃はやめろ。結果的に銃だったからよかったものの、ペンだったらどうする」
「腰だめに背後からペン出す人間がどこにいんだよ……」
「穏便に済ませという忠告だ」
いまだ足元でうずくまるアンソニーを、ブロンドの男が申し訳なさそうに見下ろす。
しかしあるとき、ブロンドの男は懐から黒い手帳を取り出してこちらに示すと、仕切りなおすように言った。
「手荒なことになってしまったのは謝罪します。私は、ヘリオスシティ第二公安署所属の麻薬取締官、セルジオ・マックフォート巡査です。特殊訓練を受けた麻薬取締犬がこの部屋から指定薬物の臭気を検知したため、麻薬取締官の特別権限により略式での立ち入り捜査となります」
もはや抵抗する気力など削がれていた。
この状況では言い逃れもできないだろう。ベンも同じであるようで、ソファに座ったまま、呆然と取締官らを見上げている。
間もなく押し寄せたのは後悔と恐怖。それは滴となって頬を伝った。
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