第222章 死という錯覚
気づけない当たり前や気づけない出鱈目。
それらは、とても厄介な錯覚を見せます。
例えば、『死という錯覚』とか。
テツガクちゃん
死後の世界、それは本当にあるのでしょうか?
そう問いかけるのは、ステキな疑問です。
そして、その疑問と向き合い。
とてもステーキな考えが焼かれてきました。
ですが……。
もう私は、その焼き方に飽きてしまいました!
死という錯覚。
その焼き方とは違う。
忘れていた焼き方に挑戦したいです!
肯定
なるほどね。
たしかに、そろそろ死という錯覚から離れてみてもいいのかもね。
それで、忘れてしまった何かを思い出せる。
そんな頼りになる便りがあるのかな?
テツガクちゃん
あります!
肯定さんと話をした、あの書斎での会話です!
その話を思い出せば、不老不死の確かな重さも感じます。
不老不死。
それは、幻想ではなく、ただの当たり前。
当たり前だから、それに気づけず。
厄介な錯覚に出会ってしまう。
例えば、明日です。
明日は幻想です。
誰も明日へ行ったことはありません。
常に生きられるのは、今日だけです。
肯定
そうだね。
日付が0時の境界線を越えれば。
目の前にあった明日は消えて。
今日に変わってしまう。
さっきまで、凄く近くにあった明日だけど。
それが、一瞬で遠くに離れてしまう。
その繰り返し。
僕達は、永遠に明日へは行けない。
今日だけにしか生きられないね。
テツガクちゃん
生きられません。
明日が幻想だとすれば。
3月9日の次の日が、3月10日とは限りません。
18年後の5月3日でも、9年前の10月15日でも。
次に目覚めた日。
それを、明日と呼ぶのであれば、同じ明日です。
肯定
そうそう。
あの書斎での話を覚えていてくれたんだね。
嬉しいよ。
なるほどね。
その応用を今からしよう、ということだね?
テツガクちゃん
さすが、肯定さんです!
そうです、応用です!
仮に7月23日に亡くなってしまったとして。
そこで、永いような眠りについたとして。
何事もなかったように、どこかの11月5日目覚めたら。
その事実を受け入れ、いつも通りに今日を生きるのでしょう。
なぜなら、誰も想像していた明日。
そこに、本当に目覚めた、という証。
それを知らないのですから。
昨日や明日。
そこへ行ったことがないのに。
それらが本当にある、と信じる。
それは、怪しさが灯る光です。
そして、それは死という概念も同じでしょう。
肯定
同じだろうね。
今日、僕が目覚めて思い出す昨日。
それは、今日の僕がつくった記憶かもしれない。
昨日みた明日の予定、それも今日の僕がつくった予定かもしれない。
だけど、それに気づけなければ。
本当に、昨日や明日がある、と錯覚するだろうね。
無意識の僕がつくった、出鱈目だったとしても。
立派な鱈だと思う自信があるよ。
死という錯覚もそれと同じかもしれない。
ただ、気づけないだけで。
無意識に信じてしまうから。
本当に厄介な錯覚だね。
気づけない、出鱈目はさ。
テツガクちゃん
私もその自信があります!
死という錯覚の幻想。
その幻想を信じること。
それは、とてもステキなことだと思います。
自分の窓の景色から旅立った誰か。
そこに思いをはせる。
旅立ったあの人も。
私達がいない、違う窓の景色を見ているのでしょう。
それが、何時の時代の何日なのかはわかりません。
ですが、いつか……。
深い縁の果て、その深縁で再び出逢えるかもしれない。
そんな風を感じる、愚か者の『Mr.ジョーンズ』な私が焼いたステーキ。
どこで羽ばたいたのか。
それはわからないけど。
歌う不死蝶さんがゴキゲンに羽ばたいた。
それだけは、わかっている。
そんな味が私は大好きです。
あなたはどう思いますか?
死は錯覚でしょうか?
それとも、明日や昨日とは違い。
誰もが平等に訪れることができる、ステキな最果てでしょうか?
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それでは、また次の機会にお会いしましょう。
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