第42話 再会と一歩

ティナが来ることを信じて待つこと数時間――。

時折、向かい側の山肌で起こる爆発を見ながら俺はひたすら街道を走って来る馬の御者台に注意を払っていた。帝都の入り口には篝火が灯され、警備兵が少しずつ夜に向けた準備を始めている。


「日差しも傾いてきたな。とはいえ、火を焚く訳にもいかないしな……」


未だに荷馬車で寝ている二人の上にそっと干し草を掛ける。帝都の夜は恐ろしい程に冷え込む。保温効果があるかは分からないが、何もしないよりは暖かいはずだ。


「(にしても……二人ともよく寝てるな)」


二人は肩を寄せ合い、ミアを抱くような形でシェリーが寄り添って寝ている。オリン村では行き当たりばったりでミアを巻き込んでしまった訳だが、シェリーもミアの気持ちを察していたんだろう。元奴隷だったから――というのもあるのだろうが、それだけではなく、彼女なりの気遣いに違いない。


「(まるで姉が妹をあやしているみたいにも見えちまうな。実際は誘拐された少女と犯人の一派なのにな……ん? 今何か……)」


そんなことを思っていると街中がやたら騒がしくなってきた。中には黄色い声まで混じっている。いや、違う。明らかに混乱するような――逃げ惑う声だ。


「助けてぇぇ!!」

「ウワァァァぁアアア」

「来るなぁぁぁ!!」


その声のする方に目を向けると目が虚ろな人間――いや、人の成りをした異形の何かが帝都の市民を襲っている。


「まずい、何か……とんでもなくまずいことが起こってる! シェリー、ミア! 起きろ!!」

「……おはようござい――」

「ココから逃げるぞ!」


俺は躊躇せずに逃げるべきだと判断を下した。手元に銃があるならともかく、ナイフ一本では囲まれたらおしまいだ。それに『アレ』は完全にゾンビだ。しかも、映画やアニメで見たゾンビとは異なり、武器を手に持っている。


「何……アレ……」

「ヒロキさん、一体何が……」

「俺にもわからない。ただ、まずいのに変わりはない。囲まれる前にオリン村の方へ逃げるぞ」

「はい。っ……!? ミア、どうしたの? 大丈夫?」

「っ……ぁ……」

「ヒロキさん、ミアのことをお願いします。ヤア!」


シェリーは呆然とするミアを俺に託して御者台に飛び乗り、手綱を握る。ミアはこの事態にうろたえてしまったのか、呆然とその景色を眺めて固まってしまっていた。

人が人に襲い掛かって殺している光景や爆発が起こる様を遠目とはいえ、見てしまっているのだから無理もない。俺はそっとミアを自分の胸に抱き寄せた。


「……余計なものは見ない方が良い」

「ヤァヤァ!! ヒロキさん! 街道に出るまで少し揺れが激しくなりますけど、許してください!」

「構わない。ぶっ飛ばせ!」


シェリーは繊細に馬を扱いながら速度を少しずつ上げていく。時折、車輪が石にでもあたるのか、車体がフワッと浮いては地面に着くことを繰り返す。ティナほどではないが、シェリーにも馬を扱う才能はあるらしい。


「街道に出ます!」

「おいおい……マジかよ!」


街道に出たところで後ろから人影がこっちに向かって走って来るのが見えた。明らかにその相貌はゾンビそのもので、その速さは常軌を逸している。


「いやっ……! 嫌っ……! こっちにくる……!」

「まずい! シェリー! 速度を上げろっ!」

「やってます!」

「ちきしょう! あいつら馬でもないのにこっちの速さに付いて来れるのかよ!」


俺は荷馬車の後方で頼りないナイフを引き抜いて構える。そして、遂にゾンビのような奴らは次々に荷台へと飛び乗って来る。


「ぬぅわああああああ!」

「乗って来るんじゃねぇ!」


俺たちを食べようと執拗に襲ってくるゾンビたちの群れをナイフで払いのけ続ける俺だったが、この時『俺たち』は致命的にツイていなかった。オリン村につながるその先の道のりは上り勾配でいずれ、速度が落ちてしまう。


「……まずいです。このままだと上り坂になって追いつかれる――!」

「シェリー、分かってる! できるだけ限りでいい。飛ばすんだ!」

「はいっ……!」


でも、現実はそう甘くはない。勾配に入ると一時離れた奴らがじりじりと追い上げてくる。だが、次の瞬間――乾いた音と共に目の前が燃え盛った。そして、それと同時に聞き覚えのある声が響く。


「援護するから上がってきなさい! 上までのぼり切ればあとは平たんな道よ!」

「ティナ!」

「ティナさん!」


そう、先ほどさく裂したのはティナの魔術だったのだ。ある一定の数は打ち倒せたようだが、それでも後ろを振り返れば大勢のゾンビが列を成して追って来る。


「(一体、この世界はどうなっちまったんだ……)」


俺の心配を他所にティナが後方から荷台へと飛び乗って再び、銃を構えるが、平たんな道に入ったことで速度が上がり始めて大きく差が広がった。その様子を見て一安心したのか、銃をしまって俺に抱きついた。


「ヒロキ……やっぱりあなた、生きていたのね。こんなんでも心配したのよ?」

「……ごめん、ティナ。でも、絶対に追いかけてきてくれると思ってた」


ティナは力一杯、抱きしめてからシェリーにも後ろからグッと抱きついた。


「シェリー、あなたも無事で良かった」

「ティナさん……私、わたし……怖かったけど、それでも――」

「ミア、すまない。馬の手綱を変わってやってくれ」

「……シェリーさん、中に」

「ありがと……っ……」


ミアもシェリーの様子を見て察したのか、あるいは俺の命令に従わなければ殺されると思ったのか分からないが、素直に手綱を引き受けた。シェリーは荷馬車に移るとティナに抱きついたまま泣きじゃくる。普通なら経験しないことをずっと俺と二人で経験してきたのだ。女性のティナがこの場に居ることで今まで張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。


「一時はどうなるかと思ったけどティナも無事で良かった。……俺たちが連れ出された後、ティナはどうしていたんだ?」

「私? 私もすぐに拘束されて牢獄にぶち込まれたわ。でも、リードたち帝国魔術師団の連中が皇帝を裏切って私を救ってくれたのよ。何か帝都で――皇帝の周りで何か良くないことが起こっているのは間違いないわ」

「……それにさっきのゾンビ」

「そう。死者アンデット――あれは間違いなく魔術絡みだとは思うけど……私にも全然、理由が分からないわ。複数人の死者を使役するならともかく、あんなにも大勢の死者を動かす魔術なんて……はっきり言って知らないし、脅威でしかないわね」


ティナはそう言いつつ、爪を噛みながら考え込むが、すぐに御者台に乗っていたミアへと視線を注ぐ。


「ところで、あの子は?」

「ああ、オリン村でちょっといろいろとあって連れてきた――あ、いや、正確には拉致してきたというべきだな……」

「ら、拉致って――まさか、ミアって子じゃないわよね?」

「……残念、そのミアだ」


ここでティナに嘘を付いてもどうしようない。素直に話した俺はそこからリードたちに襲撃された時点から今に至るまで事細かく、ティナへと伝えた。ティナは泣き続けているシェリーの頭をゆっくり撫でながらその話を黙って聞く。


「とても信じられるような話ではないわね……けど、あなた達がここで生きている。だから信じてあげる。だけど、この子を拉致したのは間違いよ。厄介事を増やしただけに過ぎないわ」

「あのな? 俺たちだって一杯いっぱいだったんだ。わかるだろ?」

「そうだとしてもやるべきじゃなかった。もうやってしまったことは取り返しがつかないのよ? 少しは反省すべきよ」

「うぅ……ティナさん、そんなにヒロキさんを責めないで……」

「あっ……シェリー……。その、私は別に責めているわけじゃ――」


ティナは鋭い目で俺を見ていたが、シェリーがグッとティナの服を掴むとティナの表情が和らぐ。それでもティナは鋭い目線を俺に向け続けていた。


「いい? ヒロキ、この子を連れてオリン村の方へ戻ればどういう反応をされるか分かっているわよね? 私たちが『犯人』になるのよ? 言っている意味、分かるでしょう?」

「それは……」

「――大丈夫です。私は何も喋りません」


そう横から話をねじ込むように喋ったのは他でもない手綱を握っていたミアだった。しかし、ティナは訝しげに彼女の背中に視線を向ける。


「あなたが裏切らない保証がどこにあるっていうの? 今までそんな風に言っていた人間が掌を返したのを私は何度も見てる」

「じゃあ、変わりにお願いがあります」

「お願い? どういう風の吹き回し?」

「あなた達を見て、聞いて……それで交渉しよう――そう思っただけです。あなた達が私の願いを叶えてくれるのなら私はあなた達が今回やったことを墓場まで持っていきます」

「話にならないわ。そんなこと信じられる訳――」

「じゃあ、みんなにばらしますよ? 今回の事、すべて……」


ティナは鋭い眼光で俺の方を見る。まるで『ほら、言ったじゃない』と言わんばかりの表情だ。


「それで君の願い――叶えたいことって何なんだ?」

「私をあなた達みたいに強くしてください」


ミアは俺からの問いにそうハッキリと答えた。だが、彼女の背中はその言葉とは裏腹にどこか寂しそうだった。

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