第35話 混乱する景色

「……朝か。結局、寝れなかったな」


シェリーにすべてを打ち明かしてからずっと神への復讐について考えていた。

自分の置かれている状況を考えれば、そんなことを考えている余裕がないこともよく分かっている。それでも改めて思ってしまったのだ。


「(選べる道は間違いなく1つじゃない。復讐なんて捨てて、この世界でシェリーと静かに暮らす選択だって俺にはある)」


隣のソファーで寝ているシェリーの顔を見ながらそう思ってしまう。

それと同時に昨日、『言われた言葉』が頭を過る。


「ヒロキさんはもう一人じゃありませんから。だから――っ……」


そう、もう俺一人ではない。帝国へ亡命したときの一件でシェリーと話が出来ないことが――1人で居ることが身に染みるほど苦しくてつらいことは十分に分かった。だからこそ、その思い嘘偽りがないことを誓うために――あの笑顔を守るために『プロポーズ』をしたんだ。


「(でも、それは体の良い依存で俺はただ、彩香のことを忘れようとしているだけじゃないのか? 俺の存在意義は一体、どこにあるんだ……?)」


決してあの惨劇を――神への恨みを忘れたわけではないし、のさばらせておくわけにもいかない。でも、その一方でシェリーの存在が俺の歩む道を不透明にさせてしまっている。


「あっ……ヒロキさん、おはようございます。早いですね?」

「ああ、まぁな……おはよう。シェリー」


俺は心にモヤモヤを抱えたまま起きたシェリーに新しい朝の挨拶を交わした。


「(今はまだ……いい。じっくり考えればそれで……それでいいんだ)」

「じゃあ、ご飯の用意――しますね?」

「ああ」


俺の素っけない返事に対してもシェリーは微笑を浮かべながら何も語らず、俺の横を通って台所へ向かう。そんな彼女を見ながら『いずれ、決めなくちゃならない時』がくることを悟りながらもその姿を見送った。


「ヒ、ヒロキさんっ! 逃げてっ!」

「っ……!?」


突然の大声で戦慄が走る。慌てて振り返るとそこには黒のフードを目深に被った帝国魔術師団の連中が刃物を片手に玄関からなだれ込んでくる。俺は咄嗟に腰に巻き付けたナイフケースからナイフを引き抜こうとした瞬間、一人の男がナイフを俺の首元にめがけて投げつけるが、数センチずれて壁に突き刺さった。


「(……こいつら本気だ。俺らをここで始末するつもりかっ!)」


『冷徹皇帝』と呼ばれたあの男なら判断をしかねない。たとえ、人質であろうが、自分たちにとってリスクになる者は殺す。それがベストな判断であることに変わりはない。それに俺たちは『殺し場』というリング内から出ることは許されないのだから――。


「クソ!(シェリーを守らないと――!)」


俺は自信のないナイフを引き抜いて前に飛び出す。

しかし、シェリーは男数人に囲まれ、壁際に追い詰められていく。


「嫌ぁぁっ……!」

「シェリー!!」


そして、次の瞬間――俺が目にしたのは壁に背を預けて腹部にナイフを突き立てられたシェリーの姿だった。


「そんな……シェリー!」


俺は素早くナイフを振りかざし、シェリーの近くへと寄る。

しかし、シェリーはぐったりとしていて目も虚ろだ。


「っ……! お前らっ……ちきしょうがぁぁぁ!!!」


自信のないナイフで魔術師の連中へと肉薄するが、所詮は素人と玄人――その力の差は歴然だった。ナイフをかわされるごとに体の肉を斬られる。


「うっ……」


俺と対峙した魔術師は致命傷を与えず楽しんでいるのだろう。気付けば体は重く、立っていることすら厳しい状況にまで追い詰めらた。そして、その魔術師は飽きたと言わんばかりに俺の正面から勢いよく腹部に剣を突き立てた。


「がぁっ……」


口から血を吹きながらシェリーを庇うように壁にもたれかかる。だが、これでは終わらなかった。トドメだと言わんばかりに刺さったナイフを一気に上方へ斬り上げ、引き抜かれる。その反動でシェリーの体に当たりながら横に寄り添うように倒れた。


「悪く思うな……謝罪はしないぞ。俺たちは所詮、帝国の番犬だ」


俺とずっと対峙していた男の声が聞こえた。

それは紛れもなく帝国魔術師団、隊長であるリードの声だった。


「隊長、これは一思いにとどめを刺すべきです。これはあまりにも……」

「いや、いい。これだけの傷だ。もって数分だ。作戦完了だ――引き上げるぞ」


そう言って連中はこの家から離れていく。


「こん……なぁ……とこでぇ……シェ……リ……」


死ぬわけにはいかないし、シェリーを絶対に死なせるわけにはいかない。

俺だけがシェリーの味方で、シェリーだけが俺をこんなにも惑わせて魅了したんだ。だから、諦めない。例え、俺の命が尽きようとも――、


しかし、シェリーの手を握ってもピクリとも動かない。


「(もう……ここまで……か)」


目を開けることすらままならなくなって最後の時を感じた俺はシェリーの体を抱き寄せて唇を重ね合わせた。俺にはそれぐらいの証明しかできなかった。


「(本当に、本当に愛してる。ごめんな……)」


意識が暗闇に落ちた瞬間、時が止まったように動かなくなった。

もうこの闇から永遠に目覚めることなどない、


『いいえ、まだ終わらせない……あなたにはあの子を照らす道になって貰わなくては困る』


誰かが何かを言っている。シェリーでもなくティナでもない女性の声だ。


「(あんたは……誰だ?)」

「私はアテルザ。運命の道を照らす者だ。本当に君は運がいい。今こそ、シェリーの祝福を解き放つ時だ」

「(祝福――?)」

「ああ、君たちはまた同じ世界で目覚める。私が授ける奇跡によってね」

「(どうしてそんなことができるんだ!?)」

「……それはシェリーの信仰心のおかげだよ。感謝することだ」

「まさか……アテルザって導きの――」

「それ以上は野暮だよ、少年。――本当に君の目はヘルテスの目とよく似ている」


そこで彼女の声は途切れた。そして、ものの数秒後には意識が戻っていた。しかも、恐ろしいことに辺りは血濡れなのに、床も服も俺たちの周辺だけ綺麗なままの状態になっていた。


「シェリー! シェリー、起きろ!」

「ヒ、ヒロキ……さん? ヒロキさんっ!」


俺たちは火も灯っていない部屋の中で抱き合って、この奇跡に感謝した。

まさか、死んだはずの命が戻るなんてこんなのは奇跡だ。


「本当に生き返ったのか? 一体、どうなってるんだ!? 俺たちは殺されたはずなのに……それに首輪も外れてる」

「……分からないっ! もう何が正しいのか。私には分からない……!」

「シェリー、落ち着け。とりあえずここに居ちゃまずい。結界の外に出よう」


俺は未だ混乱しているシェリーを連れて結界の範囲外へと出た。ただ、周辺は人通りが無くどっちに行けば人里に出られるのか全く想像がつかない。それでも、俺たちは生き残るために前に進むしかなった。

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