第19話 姉妹(サイド・エピソード)
「痛っ……くっ……」
明け方になってオーナーに解放された私はフラフラとした足取りで寝床まで戻ろうとしていた。少しでも寝なければ普段以上のミスを犯してしまう。
「ミスをしたら……また、こうなって……っ……」
「シェリー! まさか、オーナーのところに行ったの……!?」
通路を曲がるとそこには泣きつかれて寝てしまっていたはずのイザベラさんが居た。
「……イザ……ベラさん、すみませんでした。私のせいで……」
「いいから腕を――さぁ。連れて行く。んっ」
肩を貸してくれたイザベラさんは私を寝室まで運び込み、ベッドに横にしてくれた。
こんなに優しい性格の持ち主なのに今日の午前中にはザルド公爵の元に行ってしまう。気付けば私はイザベラさんの手を掴み、涙を流していた。
「イザベラさん……わたしっ……」
「うん。分かってる。何もいわなくていい。大丈夫、すべてうまくいくから」
イザベラさんはベッド脇にしゃがみ込み、私の頭を撫でながらお姉さんヅラでそんな事を言う。その言い方はまるで私の言葉を先回りして塞ぐようだった。それでも私は伝えなくちゃならない。
私にとって、たった一人の味方であり心を許すことができる彼女のために。
例え、それが彼女の決意を鈍らせる結果になってしまったとしても――。
「お願い……イザベラさん行かないで。私を一人にしないで」
「っ……!? ば、馬鹿言わないで。わ……私だって……「できることならそうしたい」って思う」
「なら――」
「それでも……私はあなたを守りたい。身勝手だけど許して欲しい。シェリーは私の妹のようなものだから……」
イザベラさんは私の体に顔をくっ付けて静かに泣き始める。私と彼女の間に血の繋がりはない。それでも同じ身分で同じ部屋で寝て、苦楽を共に過ごした仲だ。その関係性は最早、家族同然だった。
「だったら、なおさら一人にしないでよ……」
「ごめん……でも、これしか方法がない」
そこからはお互い何も話さず、ただただ泣き続けた。言葉は交わしていなくても『もし、この運命を変えられたらどれだけ良いのだろう』という思いが私たちの心の中で時間と共に駆け巡って行った。そして、気付けば私たちの関係に終わりを告げるように扉のノック音が響き、オーナーの声が聞こえてくる。
「イザベラ! 公爵様の使いが下でお待ちだ! さっさと降りて来い」
「は、はい……」
動揺するような声でそう返事をすると力なく立ち上がり、彼女は扉へと歩き始める。
「……じゃあね。シェリー」
「嫌っ、嫌だっ……!」
「シェリー、放して? ね? 馬鹿言わない……、もう……馬鹿言わないでよ……」
悪あがきだと分かっているけれど、イザベラさんを後ろから強く抱きしめた。イザベラも気丈に振舞おうとしているのか腕で目元を擦ってから振り向き、瞳に涙を溜めたまま私のことを正面から抱きしめる。
「シェリー、ありがとう……。本当に大好き。大好きだからどんな事があっても強く生きて――それが私の最後の教え。いや、願い。守れる?」
涙をあふれ出しながら優しく笑ってみせるイザベラさんには確かな覚悟があった。
もう戻れないと知っているから彼女は私が頷く事を待っているんだ。
「(頷きたく……ない。いやだ、もうこれ以上、大切な人を失いたくないよ……)」
私の心は押しつぶれてしまいそうなほど揺れ動く。これが最後だなんて思いたくはなかった。だから、私はそのイザベラの言葉を少し換えて言い返す。
「私も……私もイザベラさんが大好き。だからどんな事があっても死んじゃ駄目だから……! 絶対、「死なない」ってイザベラさんも約束して」
「うん。分かった。絶対に生き抜く」
「約束だから……。私も……強く生きる……」
それが私とイザベラが交わした最後の言葉だった。公爵家の馬車に乗り込むまで見送り続けたが、イザベラは最後まで腫れぼったい顔ながらも笑顔だった。
「うぅ……イザベラさん……」
イザベラさんが公爵家に行ってしまってからは、心に大きな穴が開いたような感覚に襲われ続けた。いつもならそこに居た頼れる彼女の姿はもうない。その現実は淡々と仕事をこなす私の心に影を落とし続けた。
しかし、その数日後にはそうも言っていられない状況になった。この宿屋『エルダ』に垢抜けていない表情をした奴隷の少女が三人もやってきたのだ。
「(今度は私の番だ……)」
そう自分に言い聞かせて私もイザベラの後を追うようにオーナーと契約を結び、3人が失敗した仕事のバツをすべて私が受けた。
「(……これが、私なりの強く生きるってこと。イザベラさんがしてくれたように私もみんなを守る)」
どんなに辛い攻めだろうが、睡眠不足だろうが、必死にやりぬき続けた。
そして、私もイザベラさんと同じ運命へと導かれるようにザルド公爵からのお話が私の元にやってきた。
そして、とある日。その件で話があると言われ、私はオーナーの部屋を訪れていた。
「シェリー。急だが、お前には今日、ザルド公爵の元に行ってもらう。昼までに荷物をまとめて置け」
「……はい。わかりました。用意しておきます」
「ん? 随分と物分りがいいな? もっと嫌がると思ったが、怖くないのか?」
「いいえ、怖くなんてありません。ザルド公爵の元にはイザベラさんも居ますから」
「ハハハッ! お前……馬鹿か?」
「えっ……?」
イザベラさんの話を出した途端、オーナーはニコッと不敵な笑みを零した。
「イザベラなら当に死んでるよ。ザルド公爵の『拷問遊び』でな」
「そ、そんな言葉は……信じません!」
「俺が嘘を言うとでも思うか? なら、確か……」
そう言って机の引き出しを弄り始めたオーナーが取り出したのは『青色のシュシュ』だった。そのシュシュは少し血塗れていて、どれだけ酷い目に遭ったのか何となくでもわかるものだった。
「これは……イザべラさんの……!」
「そうだ。だから死んでるって言っただろ? 今の気持ちはどうだ?」
「くっ……!」
私は殺気染みた目でオーナーを睨みつける。だが、オーナーは物怖じせずニタッと口角を上げてみせた。
「いいねぇ。その「殺してやる」って言わんばかりの目。最高だよ。まぁ、でも……さすがに商品を納入する前にいたぶると公爵様の機嫌を損ねるから今日は勘弁してやるよ。感謝するんだな」
「話は……それだけですか?」
「ああ。そんなものだ。……あっ、そうそう。迎えだが、公爵家の都合で夕方、迎えにくるらしい。それまでには心の整理もしておけ」
白々しく語るオーナーを他所に私はイザベラのシュシュをギュッと握り締め、部屋を飛び出した。部屋から出た瞬間、ジワッと涙が両目からあふれ出てくる。
「(私と約束したのに……イザべラさんの、嘘つき……)」
「シェリーさん? 何かあったんですか?」
「っ……!」
不意に声を掛けられ、慌てて目元を擦って目の前に視線を戻すとそこにはエルダで働く3人の少女が心配そうに見つめていた。
「……! あっ、いや、ちょっと目にゴミが入っちゃって……。それであなた達は何をしに来たの?」
「一通り、お仕事が終わったから何か手伝える事はないかなと思って」
「じゃあ、料理の支度をお願い。私は客引きをしてくるから」
私はその場から逃げるようにそう指示を飛ばして宿屋を飛び出した。
宛てもなく走り回って、何となく立ち止まった路地裏でしゃがみ込んだ私は建物と建物の隙間から見える空を見上げながら泣いた。
「やっぱり、行かせるんじゃなかった。死ぬ覚悟で止めるべきだったんだ……」
正直、私は心のどこかで『こうなる』と分かっていた。ただ、それでも約束をすることでお互いに目標を持って頑張っていれば、いつか再会を果たすことができると思っていたんだ。
「はぁ……もう、なんだかなぁ……」
私はため息を付きながら瞳に涙を溜めながら『何もかもが面倒で嫌だ』と思ってしまった。希望をもって歩き続けても壁が迫ってきて、私から幸せを奪っていく。色々なことがどうでもよくなってきて、自暴自棄になって行く。
「……最後くらいは私らしく在りたいな。どうせ、連れて行かれたら二度とこの世界はみれないんだし……うん。馬鹿らしいけど今日が最後、最後なんだから」
私は開き直るようにある願いを、目標を心に秘めて街に飛び出した。
それは自分が『好きだと思える人を探すこと』だ。
「(最後くらいは好きな人と過ごしたい。まぁ、そんなロマンチックな事は無理かもしれない。だけど……それでも諦めたくない)」
私が奴隷落ちしたことも、イザベラさんが私を庇って死んでしまったのも『運命だ』と言うのなら一瞬で良い。その運命に抗いたかった。だけど、そう簡単に好きな人が見つかるわけもなく、私は何度か宿に戻って仕事をしながら合間を見つけては宿の外へ『客引き』と称して出てきていた。
「(もう時間が……。やっぱり、私になんて無理だったんだ。でも、なんだろ? なんか久々に楽しかったな)」
そんな風にあきらめかけていた時、前方がピカッと光ったような気がした。その方向をじっと見つめていると虹色のオーラを放ちながら歩く一人の青年がいた。
その青年は見る限り、20代くらいの男性でワイシャツに青のズボンを履き、グレーの羽織りモノを着ている。外見から察する限り、至って普通そうな男性だった。
「(それにしても、このオーラは何……?)」
見たこともないオーラに惹かれるように私はその青年の様子を観察する。街中をぐるぐると歩いているあたり、観光客なのかもしれない、横からチラッとその青年の表情を伺うが、顔もごく普通の男性と言った感じで何かが特別というわけでもない。
「でも、何でだろう? すごくドキドキするような……。まさか、この人の事が……?)」
自分の感情を素直に受け入れてちょっとだけ想像を膨らませてみる。この男性の横で手を繋いで歩いたり、この男性と他愛もない話をしたらどうだろう。想像を膨らませれば膨らませるほど、胸が高鳴った。
きっと、こういうのを『一目惚れ』と言うんだろう。
「(接点もない。関係もないけど……うん。この人がいいかも。それに『普通』が一番、いいよね? 私が求めてるのはそれだから――その、すごく身勝手だけど!)」
私はそう意志を固めて満面の笑顔を振り撒きながらその青年に話しかけた。
「ねぇ! お兄さん! 今日泊まる宿って、もう決まっていますか?」
まさか、この出会いが全てを変えるなんてこの時の私には理解できていなかった。
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