第17話 私とお母さん (サイドエピソード)

「シェリー、行くわよ? 用意は出来てる?」

「うん! 『聖書』も『アテルザ様のペンダント』も付けたよ! お母さんは?」

「大丈夫よ。じゃあ、行きましょうか!」


私とお母さんは毎週、週末になると街の外れにある教会へと足を運ぶ。この教会は私の住む『マルバ』という街に一つしかない祈りの場所で、導きの女神であるアテルザ様を祭っている。


『アテルザ様』は悩み苦しむ良民に対して、その人が向かうべき道を照らしてくれるという素晴らしい女神様だ。だけれど、その噂は眉唾物で祈りを捧げた者が女神様から祝福を受けたという話は全く聞いたことがなかった。


「ねぇ、お母さん。真面目にお祈りしたら女神様から『祝福』って貰えるの?」

「そうよ。信じて祈り続ければ必ず、女神様が必要な時に祝福を与えてくれるわ。だから、シェリーもきちんとお祈りするのよ。さぁ、お母さんに続いて祈りの言葉を――」

「うん……分かった」


私とお母さんは教会の聖堂に祭ってある女神像の前で両手を合わせて祈りを捧げる。


『『神聖なる導きの女神、アテルザ様――。清き祈りと聖書の理を信ずる私たちをお導きください』』


正直、幼い私には『女神様の話』が本当のことなのか判断がつかなかった。けれど、私が必死にお祈りをするとお母さんは頭を撫でて褒めてくれる。私にとってはそれだけで充分だった。


「偉いわ。よくできたわね」

「えへへ。もっとお祈りする!」

「その意気よ。でも、今日はこの辺で終わりにして洋服を買いに行こうね」

「本当に!? やったぁ!」


教会で祈りを捧げた後、お母さんは必ず、私をどこかに連れて行ってくれる。それが私にとっての楽しみだったし、お母さんと常に一緒に居られることが何よりも嬉しかった。これから先の日々も一生、こんな楽しい生活が続いていくんだと思っていた。


それなのに悲劇は突然、起こった。


ある日の週末、いつも通り私とお母さんが教会に向かうとそこにあったはずの教会が真っ赤な炎に包まれ、パチパチと音を立てながら燃え盛っていたのだ。


「お、お母さん! 教会が燃えてる……!」

「なんてこと……!」


私はお母さんに手を引かれるまま、教会へと向かい始めるが、その途中でアテルザ様を崇拝する者たちとすれ違う。そして、彼らは驚くべき事を私達に言った。


「ヨルテル公爵の私兵が『殺し』に来るぞ! 逃げろ! 逃げるんだ!!」

「え? ど、どういうこと!?」

「ぬわぁぁぁ!!」


私とお母さんが混乱していると断末魔が聞こえ、振り返るとそこには血がべっとりと付いた剣を持つ兵士の姿があった。そして、私達の方を見てその兵士は叫んだ。


「異端の教徒がここに居るぞ! 狩れぇ!!」


目の前で何人かの人間が次々と剣で切り捨てられていく。

その光景はまさに地獄絵図だった。


「……に、逃げないと! シェリー、走るわよ!」


お母さんは恐怖を滲ませながら私の手を引いて家まで駆け出す。

しかし、兵士たちが刻々と後ろから迫ってくる。


「待てぇ!!」

「シェリー! 早く家の中に!」


何とか家まで逃げ切った私たちだったが、追っ手がすぐそこまで迫ってきていた。お母さんは咄嗟に入り口に鍵をかけて戸棚を倒し、道を塞ぐ。そして、お母さんは私を寝室に連れ込んで言い聞かせた。


「シェリー、いい? ここで静かにしていなさい。何があっても出てきちゃ駄目よ?」

「お、お母さんは……?」

「お母さんはあの兵士さんたちとお話をしなくちゃならないの」


幼い私にもそれが嘘だということくらいはすぐに分かった。あれだけ殺気を放っている兵士と真正面から対峙したら、お母さんは二度と帰ってこない。


「嫌っ! お母さん、行っちゃ駄目!」

「……シェリー。本当に優しい子。でも、ごめんね。馬鹿なお母さんを許して」


お母さんはそう言うと私に抱きつき、何か固い石らしきモノを私の首の後ろに当てた。すると、すぐに意識がフワフワして私の視界がゆがんでいく。


「シェリー、良く聞いて。何があっても笑顔で強く生きて。それが私の――お母さんとしての願い。しっかり、ご飯を食べて、寝て……好きな人を見つけるのよ」


そして、お母さんは私の耳元で囁いた。


「アテルザ様。どうかこの子に慈悲を。進むべきを道をお照らしてください。私の命が尽きようともこの子には祝福を――」

「おかあ……さん……だ……めぇ……」


お母さんはそう言い残すと私を寝室に残し、部屋を出て行った。最初は何か言い争う声と物音がしていたものの、しばらくすると何も聞こえなくなり誰かの足音が近づいてくる。だが、その足音はお母さんのモノではなく、あの追って来た兵士たちの足音だった。


「おい、ガキがどこにも居ないぞ。 チッ……」

「そうイラつくな。すぐに見つかるさ」

「……違うっ! 俺がそんなことでイラついてると思ってるのか? 俺がイラついて居るのはあの公爵に対してだ。なぜ、こんなことをする必要がある!?」

「馬鹿っ……そんなこと言うもんじゃない! ヨルテル様に聞かれたら殺されるぞ。みんな同じ気持ちなんだ。早いところガキを見つけて母親と同じ場所に送ってやろう。それが俺たちに出来る唯一の弔いだからな」

「……分かってるさ! 1人じゃ可哀想だからな。せめてもの罪滅ぼしになればいいと思って探してんだろうが……!」


その会話を聞いて幼い私は悟った。


「(もう、お母さんはこの扉の向こうにいるやつらに……。必ず殺してやる……)」


声なき声で私は恨みを語る。しかし、お母さんが私の首に当てた石のせいか、全く体が動かない。そして、遂に男達の足音は寝室の前までやってきた。


「(っ……このままじゃ殺される)」


母を殺した男達への恨みもあった。だけれど、それ以上に生存本能が『逃げろ』と強く訴えかける。扉が開き始めた瞬間、私は「もう駄目だ」と諦めた。しかし――。


「……おい、この部屋にも居ないぞ。別の出口か、窓から外に逃げたんじゃないのか?」

「クソガキめ……追うぞ!」


男達は目の前で倒れている私が見えていないのか、すぐに家を出て行った。

その光景に私の緊張が一気に解け、急激に意識が落ちて行った。


そして、そんなまどろみの中で女性の声が頭の中に響く。


『あなたは死ぬにはまだ早い。強く、強く生きなさい。信じ続ければ、きっとあなたを守ってくれる人に会えるはずです』と――。


私が次に目覚めた時、周りの村々は炎に包まれていた。

この地で起こった虐殺はいずれ、『国家の秩序を乱した異教の鎮圧』として語られるようになり、アテルザ様を崇拝する者は国家の敵と見なされるようになった。


世の中ではこの歴史的な虐殺を『マルバの聖戦』と呼んでいる。


この虐殺を神秘的な力を持って、生き延びた私は悲しみに暮れながらも『お母さんの思い』と『家に残っていたお金』を片手にどんな事でもした。


すべては生き残るために――。


だけど、そんな生活がうまく行くはずも無い。すぐに所持金が尽きて、おなかも減って、地面に倒れてしまう状態にまで追い詰められた。


「(これが現実……アテルザ様なんて嘘つきだったんだ)」


全てを失い、希望を捨てて意識を手放そうとした時、私の前に一人の男が現れた。

その正体は奴隷商のニックだった。

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