プテラノドンは春の夢を見る

ウタノヤロク

プテラノドンは春の夢を見る

 ふと、大きな影が頭上をかすめた。翼を大きく広げたそれは、アオサギだった。


 側にいた宮本が「おお」と声を上げた。それぐらい大きかった。プテラノドンのように見えたそれは、時代が時代なら本当にプテラノドンだったかもしれない。


 桜の花が咲き始めた頃。俺は後輩の宮本と一緒に通いなれたラーメン屋に並んでいた。トタン板が貼られた店舗は一見すると古びた民家に見える。しかしながら、こういった店の方が美味しいラーメンを出してくれる。いわば隠れた名店というやつだ。


 それにしてもまだ初春だというのに、今日は暑い。今シーズン初めて20度を超えたらしい。そのせいか宮本が着ていたスーツを肩にかけて、ワイシャツのボタンを開けてバタバタと乱暴に扇いでいた。


「暑いっすね先輩。暑すぎて川に飛び込みたい気分っす」

「なら飛び込んでみるか? きっと気持ちいいぞ」


 ニヤリとしながら言うと、宮本はとんでもないとばかりに首を大きく横に振っていた。にしても、あまりの暑さに桜並木の側を流れる小川に飛び込みたい衝動に駆られる。もちろんやらないが。


 少し行列が進んだ。店の中に入れるのはまだ先みたいだ。


「にしても、よくこんな店知ってましたね。口コミサイトかなにかっすか」

「ここ俺の地元なんだよ。学校おわったらよく来てたんだ」

「へぇ、なら部活とかやってたんすね。何部っすか?」

「陸上部だ」


 すっと列が前に進んだ。宮本が「確かに、ぽいっすね」と笑った。


「もう陸上はやらないんすか?」

「本格的なのはやってないが、今でもランニングは欠かさずやっている」

「さすがストイック」

「お前もやってみるか? そういえばこの間体力がないって話してたよな」

「いや、遠慮しとくっす。あ、先輩中に入れるみたいっすよ」


 宮本が逃げるように中へ入っていった。こういうところだけは早い。この調子で仕事も早くなってほしいものだ。


 久しぶりに訪れた店内は、やっぱり薄暗く、店主のドスの効いたいらっしゃいも相変わらずだった。


「先輩なにするんすか? つか、おすすめってなんすか? あ、これなんすか?」


 宮本がメニューを片手に矢継ぎ早に聞いてくる。


「書いてあるもんならなんでも美味い。俺のオススメは白醤油ラーメンだな」

「んじゃ俺は味噌ラーメンで」

「お前俺の話聞いてたか?」

「味玉とチャーシューもつけよ。あ、すいませーん!」


 マイペースが人間の姿をとったら宮本になると言われるくらいマイペースに生きている俺の後輩は、相変わらず人の話を聞いちゃいない。こんなのでも仕事はそれなりにやってくれるから先輩としては複雑な心境だ。そこに大学生のバイトらしい女の子が注文票を持ってやってきた。慌ただしくしているところを見ると、店は外見の割に繁盛しているようだ。


 注文を終え、手持ち無沙汰にしていると、カウンターの後ろのテレビにニュース番組が流れていた。


「今日でしたっけ帰ってくるの」

「なんの話だ?」

「ほら、あの最年少で宇宙に行ったっていう」


 促されるようにテレビを見ると、ちょうどその話題の人物が映っていた。


 日野カナタ。


 この半年の間に彼女の名前をどれほど見かけただろう。ここ数年で宇宙に関する技術は大きく発展した。それに伴い、日本の宇宙開発機構が民間人を対象に宇宙飛行士を募集し、その代表の一人として選ばれたのが日野カナタだ。二十四歳での宇宙飛行士が誕生したことにより、これまでの最年少記録、二十五歳を塗り替えたことが話題となった。だが今じゃそのルックスもさることながら、愛嬌の良さからスクープを取りたいマスコミに持ち上げられ、あっという間に宇宙飛行士というよりアイドルのような扱いを受けていた。本人が知ってるのか知らないのか、有志が作ったファンクラブまであるらしい。ちなみにあるコメンテーターが、この技術進歩は月を通り越して火星まで届くまさに日進火步ですねと日進月歩に絡めたジョークを交えたコメントして共演者から冷ややかな目を向けられていたのは記憶に新しい。


「日野カナタ、やっぱ可愛いっすよね」


 宮本が普段から緩んでる顔をさらに緩めていた。黙ってりゃ整った顔立ちでモテるだろうに。まぁそれは言わないでおこう。絶対に調子に乗る。


「あと少しで宇宙からカナタさんたちの乗ったシャトルがここ日本に帰って来るそうですが、現場はどうでしょうか佐藤さーん」


 テレビのワイドショーでは日野カナタの帰還を待つ人たちの姿が映されていた。テレビカメラやリポーターだけじゃなく、『おかえりなさいカナタちゃん!』なんて大きく書かれた横断幕を持った熱心なファンも数多くいた。リポーターが状況を伝えようとあくせくするが、周りの歓声に圧されて本来の業務を果たせていなかった。さながらお祭り騒ぎだ。収拾がつかなくなりそうだと判断したのか場面をスタジオに切り替えて、日野カナタについて紹介していた。


 見覚えのある景色や顔がテレビの中に映される。俺は感情もなくぼんやりと見ていた。


 俺が高校生だったのはもうずいぶん前のことだ。あの頃はトラックの上を走ることしか考えてなかった。陸上部のエースと持ち上げられて部員や監督から期待されていた。だけど俺は満足出来なかった。いつも俺の視線の先にはアイツがいた。アイツは他の誰よりも速く、他の誰よりも走るのが好きだった。


 真っ赤に焼けた夕日を背にして真っ直ぐに走る背中があった。あと少し。あと少しで……というところでいつも追いつけなかった。結局、卒業するまでアイツには一度も勝てなかった。


「たった今カナタさんたちがこの日本の地に帰ってきました! おかえりなさいカナタさん!」


 着陸したシャトルに向かってリポーターが自分の役目を果たそうと声を張り上げていた。それに対抗するようにギャラリーの声も高まる。


 シャトルから日野カナタが降りてきた。大きく手を振って歓声に応えていた。


 日野カナタは俺の幼なじみであり、かけがえのないライバルであり、──そして俺の初恋の人だった。


 小さな頃からカナタは事あるごとに勝負を挑んできた。いつも勝ったり負けたりを繰り返していたけど、どういうわけか走ることに関しては一度もカナタに勝てなかった。それは大きくなってからもそうで、俺とカナタは同じ陸上部だった。俺もカナタも同じ短距離が得意で高校生になっても、度々くだらない勝負をしていた。けれど必ず勝てるはずの短距離走の勝負はいつも俺から挑んでいた。いや、カナタから挑んできたことが一度だけあった。部活最後の日のあの一回だけ。もちろんそのたった一回の勝負も俺は負けた。


 そういや勝負の後はいつもこのラーメン屋に来てたっけ。


 俺は必ず白醤油ラーメンを頼み、カナタは味噌ラーメンを頼んでいた。俺がいくら白醤油ラーメンがオススメだと話しても、アイツは頑として聞かず味噌ラーメンを頼んでいた。


 カナタは黙ってりゃ整った顔立ちでモテそうなのに、人目を気にせずラーメンを食べる姿はなるほどカナタらしいと思っていた。


「あれってプテラノドンかな」

「この時代にそんなのいるわけないだろ。ほら、アオサギだよ」

「えー、いるかもしんないじゃん。でもすっごいよねー。あんなデカイのにバサーって大空飛んでさ。あんな風に飛べたら気持ちいいんだろうなぁ」

「お前と一緒で悩みなんてなさそうだよな」

「そうそう、わたしと一緒でバサーって、なんでやねん!」

「ほら早くしないと置いてくぞ」

「お、競争だね。負けないよー」


 アオサギをプテラノドンと言ったのはアイツか。アオサギが羨ましいと見上げていたカナタはいつのまにかアオサギよりも遥かに高い場所へ行ってしまった。


 いつだってカナタはすごい奴だった。


 初めて全国大会に出場したときも、アイツは全国の強豪を抑えてあっさりと優勝してしまった。俺もそれなりの成績を収め祝福されたが、俺がカナタの背中にいたことは変わらなかった。


「わたし宇宙飛行士になる」

「なんだよ急に」

「この間空飛んでるアオサギ見て思ったんだ。もし空のさらに向こう側に行ったらどんな景色が見えるんだろうって」

「んで地球は青かったって思うのか?」

「それってガリレオだっけ?」

「ガガーリンだよ」


 俺はカナタが宇宙飛行士になりたいと告げた時、俺はカナタが羨ましいと思った。俺はずっとカナタの背中を追いかけて、でもカナタは俺の背中じゃなくて、その先を見ていたからだ。だからカナタの夢を聞いた時、俺は鼻で笑ってお前には無理だと否定した。内心はカナタだったらなんなくやってのけるんじゃないかっていう期待があったのにだ。


「やってみないとわかんないじゃん」

「宇宙飛行士になるには英語喋れないとなれないぞ。お前また赤点取ってただろ」

「この間のはギリギリだったけど赤点じゃないよ」

「同じことだろ」


 それっきりカナタは宇宙飛行士になるとは一言も言わなかった。けど、部活最後のあの日カナタは俺に言った。


「やっぱりわたし宇宙飛行士を目指すよ」

「まだ諦めてなかったのか? お前には無理だって」

「それはやってみなくちゃわかんないじゃない。それに英語だって前より喋れるようになったし」


 カナタはあれ以来勉強を重ねて、それまで赤点ギリギリだった点数を大きく伸ばした。なにかに向かってまっすぐ走っていくこと、それがカナタの一番の強みだった。


 カナタの夢は叶う、叶ってほしい。そう思っていたのに心のどこかでカナタがいなくなることを恐れた。俺は自分のためにカナタの夢が叶わないことを願った。


「だから無理だって言ってんだろ!」

「無理じゃないよ。じゃあこうしない? いつもなにかにあるとさ、じゃあ勝負だー! って言って決めてたよね。だから勝負して決めない? わたしが宇宙飛行士になれるかなれないか」


 そう言ってカナタは俺に勝負を挑んできた。最初で最後のカナタからの挑戦状。俺は負けたくなかった。ここで負けたらカナタの夢が叶ってしまいそうな気がしたから。そして無理だと思った俺はあっけなく負けた。


「ねぇ」

「なんだよ」

「わたしが宇宙飛行士になったら一つだけお願い聞いてもらってもいいかな」

「なんだよやる前から宇宙飛行士になる前提みたいな言い方だな」

「当たり前じゃん。絶対わたしは宇宙飛行士になるんだから」

「小さい頃はパティシエになるって言ってた奴が?」

「小さい頃はパティシエだったけど今は違うの!」

「はいはい。それで?」

「それは宇宙飛行士になった時言うよ」

「今じゃダメなのか?」

「もしここでそれを言ったらなれないような気がしてさ」

「そっか」

「うん」

「もしかしたらお前ならなれるかもな」

「なるよ」

「そうだな」

「よーし、わたしは宇宙飛行士なるぞー!」

「うるせーよ!」


 俺は勝ったら伝えようと思っていた言葉をぐっと飲み込んだ。


 お前が好きだ。


 たったこれだけの言葉を言えないままあれから七年。高校を卒業した俺たちは別々の道を歩んだ。俺は社会人として、カナタは宇宙飛行士を目指し、夢を叶えて地球に帰ってきた。


 テレビの向こうでカナタがたくさんのリポーターからマイクを向けられて照れ臭そうにしていた。おかえりカナタ。俺はそっと呟いた。


「えー、それでは早速帰還されたカナタさんにお話を聞いてみたいと思います。カナタさんまずはおかえりなさい」

「どうも無事戻ってきました」

「宇宙へ行った感想はどうでしたか?」

「いやー、やっぱり地球は青かったです」

「地球に戻ってこられたわけですがまずはなにをしたいですか?」

「そうですね、この喜びを伝えたい人がいます。ちょっといいですか?」


 そう言うとテレビの向こうのカナタは左手の手のひらに右手でトントンと物を刻むようにすると、パーンと手のひらを合わせた。


「なあ、いつも思ってたけどそれなんだ?」

「え、あーこれ? おまじないかな」


 カナタは俺と勝負する時に必ず左手の手のひらに右手でトントンと二回物を刻むような動作をして、大きくパーンと手を合わせていた。カナタいわく、勝負前のルーティンのようなものらしい。その割に特別勝率が高いわけでもないところをみると、やはりおまじないでしかないようだ。


 久々に見たなアレ。


 そこでふと思い返す。アイツはおまじないだと言った。けどアイツが俺との勝負以外であのおまじないをしているところを見たことがなかった。そしておまじないをするときは大抵ろくでもないことを考えていたことが多かった。


 カナタがじっと目を閉じて大きく息を吸った。そして──、



「康平見てるかな? わたしはあなたのおかげで今ここに立っています。あなたがずっとわたしと一緒に走ってくれたから、わたしはわたしの夢を追いかけることができました。ありがとう。今度さ地元帰ったら色々伝えたいことあるからさ待っててよね。それから……あの時言えなかったけど、わたしはずっとあなたのことが好きでした。そしてそれは今でも変わりません」



 テレビいっぱいに映されたカナタが微笑んでいた。その微笑みはあの時のまんまだった。


 なんだよ、それ。


 カナタは自分の叶えたい夢を全部叶えないと気が済まないようだ。そして今度の夢の中には俺も入っていた。わかった。今度はカナタの背中追いかけるんじゃなくて、カナタのそばにいよう。


 そうこうしていると待ちに待ったラーメンがやってきた。なぜかチャーシュー大盛りに味玉まで乗っかっている。俺はこんなトッピング頼んだ覚えはない。店主に言おうかと思って顔を上げると珍しく無愛想な店主が笑っていた。


「今度は彼女と二人で来なよ。そんときゃまたチャーシュー大盛りにしてやるよもちろん味玉つきでな」


 やれやれ。今度は味噌ラーメンでも頼んでみるか。店主の気遣いに照れくささを感じながら俺はいつもの白醤油ラーメンに手を伸ばしたのだった。

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