第10話 すべてのはじまり

すべてのはじまりは、きっと、わたしが広也さんに『最初』に出逢った日のことだろう。


「あれ、坊や。何してるんですか?」


「ぐず、おうち、どこぉ……」


「よりにもよって迷子ですか」


しかも神域たるこの神山神社に入ってこられるとは。

幼子だからか?それとも単に魂が清い人間なのか。

だからと言ってこのままにしておくことも出来ない。

このまま此処に居続けたら、普通の人間の身は神聖な空気に体が蝕まれ何れ朽ちてしまう。

母親も父親も今日は神々の皆さまへ新年の挨拶に行っていて居ない。

最近会っては居ないが、こんな時の為の空海は忙しいだろうし。


「新年早々、迷子なんて不幸ですねぇ」


「うっ、ぐず……」


「ほうら、泣いていないで名前とお家を教えてください。暇なので連れて行ってあげますよ」


「本当に?」


「まあ、暇なので」


「……ひろや。僕、ひろやって言うの。おうち、おうちは……」


困ったように眉を下げるひろやくん。

わたしも困ったように首を傾げてしまった。


「おうちも言えないんですか?」


「う、……ぐず」


「ああ、泣かないでください。そうだ。ケーキ食べます? わたしのお母さん特製のチョコレートケーキは美味しいですよー」


「……っ、けーき!」


さっきまで泣いていたのに、ケーキの言葉に心揺さぶられたのか「ひろやくん」は目を爛々と輝かせていた。

それが少しだけ可愛いな、と思ってしまった。

わたしの心が家族以外の何かに揺らがされるのは久し振りのことだ。

そんなことに気付かないフリをして、わたしは少年を家の中へと招き入れる。


「すっ、ごーい!」


「ふふん。凄いでしょう?もっと褒めてくれてもいいんですよ?」


母が作った特製の三段重ねのチョコレートケーキ。苺好きのわたしの為にケーキにはふんだんに苺が使われている。

本当は父と一緒に三人で食べるモノだったけれども、迷子の子供に少しあげるくらいなら大したお咎めはないだろう。


「いっぱい食べてくださいね」


「ありがとう!お姉ちゃん!」


切り分けたチョコレートケーキを皿に乗せて、ひろやくんが座る前に出してあげたら、いただきます、としっかり手を合わせてからフォークを持った。


「良い子ですね」


「……っんぐ。お姉ちゃんは、食べないの?」


「食べますよ。お母さんとお父さんが帰ってきたら」


「……っ、ふぇ……ぐず」


あ、しまった。この子曲がりなりにも迷子だった。

両親のことを口に出すのはいけないのか。


「ひろやくんは、何処から来たんですか?」


「ぼく、ぼくは……」


うーん、と首を捻るひろやくん。

見た目で判断するなら小学校二年生くらいの子だ。

家の手掛かりになるものくらい何か身につけていないのだろうか?


「ぼくね、ひとを不幸にしちゃうんだって」


「はい?」


「だから、いらない子だから、おかあさんいなくなっちゃったの」


「……はあ」


よくある離婚話というやつでしょうか?

よくあるかは実際のところわたしの周りが幸せ仲良し家族過ぎて分かりませんが。

こんな小さい子に、この子のお母さんは呪いをかけて居なくなったのですね。

それはなんて、


「でもぼく!かわいそうな子じゃないよ!おとうさんが居るもん!」


「……そうですか。それは幸せなことですね」


「うん!」


一時でも哀れんだわたしが馬鹿だった。

この子はこの子なりに前に前にと進んでいるんだ。

それなら何も言うことはない。

美味しいケーキを食べましょう。


「ねえ、ひろやくん。あなたは……っ!?」


きっとこれが、分岐点。


『神山の大和が居ない今を狙って来てみれば、なんだ。小娘がひとり居るではないか』


ひろやくんの目が虚ろになり、その口からはおぞましい呪いのような声が響いている。

これは、一体?


『なんだ?状況把握ができていないか。仕方あるまいて。名乗ってやろう』


にんまりと口端を釣り上げて笑うひろやくんであってひろやくんで無いモノは、ゆったりとした口調でこう言った。


『不幸の神。儂は、不幸を招く神だ』


「不幸を招く……神?」


それが一体どうして此処に来たのか。

どうしてそんなものが普通の子のひろやくんの身体に入って居るのか。

あれ?でも、確かさっき。


「ひろやくんは、ひとを不幸にすると言っていましたね。それが関係しているんですか」


『儂はずっと待っていた。この期を。神山の大和が居なくなればこの街の秩序は壊れる。さすれば多くの不幸が巻き起こるだろう。儂はな、其れを待っておったんじゃ』


「何をする気ですか」


『なァに?大したことはせん。ただ──いま儂をなんとかせんと、街ひとつ壊れるかも知れんがな』


「……っ!」


『神山の娘。この小僧ひとりの命か、街ひとつか。お前に選ばせてやろうぞ』


「そ、れは……」


『選べぬか?』


グッと唇を噛み締める。

わたしは、家族が大事だ。わたしの身に何かあったらきっと家族は悲しむ。それはわたしの望むところではない。

けれどいま、この小さな子供の命を見逃すこともわたしには出来ない。


「……契約をしましょう。わたしの身体の中に眠りなさい。さすれば今は見逃しましょう」


『ふ、はは!何を言うかと思えば!可哀想にのぅ。儂なんかを取り込んだとて、この小僧の【周りを不幸にする】という呪いは消えはせぬのに』


「それでも、街ひとつ壊されるよりはマシです」


『そうか。そうかそうかそうか!儂を充分に楽しませるが良い!呪われし小娘よ!』


呪詛のような声と共に、【不幸の神】と名乗ったモノはわたしの中へと吸い込まれていった。


これがはじまり。

ひろやくん──もとい、広也さんと出逢った最初の記憶。

どうして忘れていたのか。

まあ、どうせ。わたしの精神を喰おうとしている此奴が何かをしたのだろうけれども。

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