第8話 夢と現

何度も、何度も、夢に視る。


『かえりたい、かえりたいよぉ……』


小さな女の子が泣いている。べそべそと、この世の終わりみたいな泣き方だ。

なのに何処か諦めも入っていて。

帰りたい、でも、帰れない。

それが分かっているかのように。

オレはいつも声を掛けようか迷って、やめる。

だって怖い。それにこういう夢の中にも入って来る「あやかし」は居るんですからね。と再三口酸っぱく言われて居たから。


『だれに?』


少女が声を掛けてきた。いや、これは少女の声じゃない。

もっと深い、もっとおぞましい、何人もの声が重なりあっているかのような、そんな声。

それが少女から発せられたのだ。


「お、れ……」


声に答えてはいけないのに。思わず反応してしまった。

少女は――否、少女の形をしたナニかは、途端にケタケタと笑い出す。

自分の周りを声で囲まれているような、幾つものモノや目に晒されているような。

そんな気がして、その場に蹲る。

聞いてはいけない、視てはいけない。

でないと取り返しのつかないところに行ってしまうぞ。

そう言われているようで、怖くて怖くて情けない。


『お、にいちゃん、……あそぼう』


『きゃはは、あははは』


『お兄ちゃん』


『――どうしてこたえてくれないの?』


真っ黒な目、虚空しか映さない、虚ろな目。

ソレがオレを捕えて離さない。

手が伸びてくる。赤茶びた袖口から覗く白い腕が。

どうして赤茶色なんてしているかなんて気にしたら負けだ。


ああ、もうダメだ。

逃げられない。


そう思った。その時だった。


――リン、……リン


鈴が鳴るような音が聞こえて来た。

怖い筈なのに、その音には何故か安心して。

目の前まで迫ってきていた少女が怯えた顔をしながら後ろに一歩、あとずさった。


「ダメじゃないですか。ちゃんと夢から逃げ出す為のお守り、持たせてあるのに」


「……くれ、は、ちゃん」


「ふふ。なんですか、そのなっさけない声」


優美に微笑む彼女は、優しく少女に手を差し伸べた。


「く、紅羽ちゃん……! 危ないよ!?」


「大丈夫ですよ。わたしはこの程度の思念には取り込まれたりしませんから」


何度見ているんですか。あなたは。


「大丈夫、お前の道はあっちだよ」


紅羽ちゃんが指を差す。

そこには空から橋が架かっていた。


『……おかあさん、どこ?』


「さあ、あっちにでも居るんじゃないですかね?」


『ほんとう?』


「約束は出来ないですけどね」


『帰りたい……帰りたい……お母さん……』


少女はそれだけ言うと、橋の方へとパタパタと駆けながら向かう。

それを邪魔するかのように真っ黒い何かが少女に巻き付こうとした。


「ダメですよー。邪魔しちゃ」


そう言った紅羽ちゃんは、にっこりと笑って真っ黒い思念を踏み潰した。

引き潰れたカエルのような声が辺りに響く。


その音で、ようやくオレは目を覚ました。


「嫌な目覚め方だなぁ」


「まったくですよ」


「え、」


「どうかしましたか? 広也さん」


「な、なんで……紅羽ちゃんがオレのうちに?」


「なんで、と言われますと……、広也さんに憑けていた式神が破られたから、でしょうか?」


「え、オレにそんなの憑けてたの!?」


「じゃなきゃ、とっくにあの世逝きですよ」


「ひぇぇ……そういうことは先に言っておいて!」


「やだなぁ、言ったらこういう反応が見れないじゃないですかぁ」


「もー……」


ん? でもアレ? ということは。


「紅羽ちゃん、オレのこと心配してきてくれたの? オレのこと避けてたのに?」


「っち。こういう時だけ勘がいいですね」


「紅羽ちゃん……!」


いつも通りだ。いつも通りの紅羽ちゃんだ。

それがなんだか嬉しくて、オレはにこにことしてしまう。


「ねえ、紅羽ちゃん。どうしてオレのこと避けてたの?」


「別に……ちょっとした、乙女心です」


「意味が分からないよ!?」


「いいんですよ。知らなくても」


そう言った紅羽ちゃんは、静かに立ち上がった。

今更気付いたけども、紅羽ちゃん巫女服だ。


「朝のおつとめがあるので、わたしはこれで帰ります。ああ、お神酒と塩は浄化しておきましたから」


それじゃあ。――さようなら。


「紅羽ちゃん……!」


「……なんですか?」


「あ、えっと、……」


「何もないのであればわたしは帰りますよ?」


「あ、明日! 明日、デートしよう!」


「は?」


「お願い!」


「嫌ですよ」


「そこをなんとか!」


「……はー。……明日、どこに行くんですか」


「……っ! え、ええと……、パフェ食べに行こう! 前に言ってたでしょ? 裏道にある喫茶店のパフェが食べたいって」


「まあ、言いましたけど……それは明日じゃなくちゃいけないんですか?」


「う、うん……!」


「しっかたないですねぇ。分かりましたよ。行ってあげます」


「ありがとう、紅羽ちゃん」


今ここで帰したら、きっと紅羽ちゃんはもう二度と現れない気がした。

けれども次の日。紅羽ちゃんが約束の場所に現れることはなかった。

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