第26話 レイプからの救助~違和感

 香緒莉が出ていった後、真っ白な空間の中に魂の抜けた自分がいたのは何時間だったのだろう。


 ただ胃袋だけは働いているようで、ソファーに座っていた俺の肉体が、自然に香緒莉が用意した食事が置いてあるテーブルの前に移動していた。

 頭は真っ白でも、その旨い味覚は分かるもんだ。


 無言で頬張っていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。


 モニターには姉の顔が写っていた。

 そしてモニター近くの置時計は正午近くを指していた。


 ――もうこんな時間!?――


 放心の時間が長いことに驚いた。






「漣、あんた、なにやってるの!」

「香緒莉ちゃん泣きながらうちに着たのよ!」

「泣いてばかりで、訳を聞き出すのに時間がかかったのよ」

「何回も電話したのに、あんたは出ないし!」


 ――そういえば、なんか音がしていたな――



「あんた、浮気したんだって?」

「本当にそうなの?」


 ――あー、行った先が姉の家で良かった――


 一応姉に一部始終を説明した。

 忙しかった仕事の話を含めて、昨夜から今朝迄の成り行きを全て話した。

 麻衣がしたことも隠さずに。

 更に、香緒莉を愛している事は変わらない事も付け加えた。


「うーん、あんたも災難だったわね」

「だけど、香緒莉ちゃんを傷つけた事には変わりはないよ」


「一応香緒莉ちゃんには話しておくけど、暫く預かる事になるかもよ?」

「それと、あんたが迎えに来る時期は私が判断するから、そのタイミングを知らせるからもう少し待って」


 姉はそう言って帰っていった。




 その日は一人寂しく過ごして、いつの間にか寝てしまった。


 次の日の月曜日、一応出社して課長に業務が終了したことを伝えて了解をもらい、そのまま有給休暇を二日間取って、会社を後にした。

 帰り際に睨むように麻衣に目を遣ると、麻衣は目を合わせようとは決してしなかった。


 家に着くと「ただいま」と自然に声が出た。


 誰も居なくて広く見える空間に、むなしい空気だけが漂っている。

 そして、何とも言えない圧迫感が後から襲ってくる。


 それに耐え切れなくなって、香緒莉にlineを送ろうとした。


〖おはよう、

 まで打ったが、次の言葉が出てこなかった。


 そしてスマホを放り投げてベッドでまた眠ってしまった。





 何もする気に成れず、只生きていただけの二日間の休みが終わり、水曜日に出社した。

 姉からの連絡を待っていたが、その時香緒莉に掛ける言葉を探している自分が居て、仕事も手に着かなかった。


「ただいま」


 やはり返事はなかった。


『ひょっとしたら、香緒莉が帰って来ているかも?』

 と微かな思いがあったが、急に虚しい空気が広すぎる空間に漂う。


 そんな空気に耐え切れず、酩酊を求めて外へ出た。

『まだ、酒を飲むには早すぎる』と言われそうな真夏の日没前であった。


 いつもは、車であっという間に通り過ぎるうちの近くを、それを提供してくれるお店を探して歩いていた。

 方向音痴は生まれつきだったが、やはり何処を歩いているのか判らなくなってしまった。


 暫く歩くと香緒莉の通う大学が近くに見えて来た。

 自然とその方向へ足が向いていたのは何故だろう。


 そしてまだ外は明るく、明かりが点いているのが認識されない看板が多数有る雑居ビルの集団にたどり着いた。


 どの店に入ろうかと、更に彷徨さまようと、そのビル同士の隙間付近から何か大きな音が聞こえた。

 複数の音の中には、『キャーーーー』と、悲鳴にも似たような声も聞こえた。


 俺は、先日ポストに入っていた地元の警察の〈防犯だより〉に書かれていた、この界隈での変質者出没の記事を思い出した。

『そういえば、一昨日この近くでレイプ未遂事件があったな』と、テレビニュースの場面が脳裏をかすめた。


 俺は、その方向へ向かった。

『たすけてぇー』の言葉も聞こえて来た。

 その必死な声は、聞き覚えのある様な声に似ていた。

 その声の傍まで行くと、変質者の男に馬乗りにされて正に被害を受けている若い女性が居た。


「こらー、何してる!!」

 と言って、俺はその現場に駆けより、その男の襟首を掴み被害者からレイプ魔を引きずり離し、二・三発顔面にパンチを浴びせてやった。


 その時はすでに女性のスカートは捲くし上げられて下着は足元に落ちており、Tシャツも肌を隠していなかった。

 そして犯人の男は、自分の穿いていた半ズボンを降ろしかけている状態だった。


 暴行容疑は確実だが、レイプ容疑は未遂容疑になった様だ。


 そして男は、走って逃げて行った。


「君、大丈夫?」

「犯人は逃げたからもう大丈夫だよ」

 と声を掛けた。


 俺は必死で、よく被害者顔を見ていなかったが、その若い女性は俺に抱き着いてきて泣き出した。


 そして泣き声の間に俺の名前を言った様にも聞こえた。




「れーん…………れーん」


 俺が助けたのは香緒莉だった。




「香緒莉…………」

 それしか言葉を掛けれなかったのは如何どうしてなのか?!







 俺と、俺の薄手のジャンバーを着た香緒莉は無言で帰宅した。


 香緒莉は自分の部屋に入ったきり出てこない。

 俺が声を掛けると、

「来ないで!」しか言わない。



 俺は姉に電話して助けを求めた。


 間もなくやって来た姉を香緒莉は受け入れた。

 そしてしばらく姉に抱かれて泣いていた様だが、その後姉と二人で話が出来るまでになった。


 そして二人は部屋から出て来た。

 香緒莉の目はまだ赤いままだった。


「漣、今日は連れて帰るから、後で連絡する」


 そう言って二人は帰って行った。


 帰り際に香緒莉が小さな声で言った。



――――――――漣、ありがとう

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