第8話 おかえり
まるで、
「弁当、食べようか?」
それしか話す言葉が見つからなかった。
「あっ、そういえばお腹すいたね」と香緒莉が
質素な夕食を、二人は無言で食べ始めた。
食べ終わると同時に、香緒莉が口を開いた。
一種の覚悟を決めたように。
「私、明日九州へ行ってみる!」
「そしてお父さんと話をしてくる」
「どうなるかは分からないけど、そうしてみる」
「ああ、それが良いかも?」
「動かないと何も始まらないからね」
と言うしかない俺だったが、少しほっとした自分もそこに居た。
向いに座っている少女はそうは言っては見たもの、不安だらけの顔をしていた。
香緒莉はシャワーを浴びると、旅の準備を始めた。
その間俺は、博多駅近くの安いビジネスホテルのシングルを香緒莉の名で予約した。
そしてカード決済も怠らなかった。
それから、
「電話やネットが使えないと何かと不便だから、明日の朝一番でSIM買いに行こう」
「それからだと、向こうに着くのは夕方になると思うからホテル予約しておいたから」
「それとこれ、お父さんの住所とホテルの予約番号」
「それにお金も」
と言って二枚の紙と10万円の入った封筒を渡した。
「ありがとうございます。そんなにして貰って、どう返していいのか」
「漣さんみたいな優しい人、お父さん以外で初めてです」
香緒莉は少し戸惑いながら礼を言ったが、その内側には、出陣の意気込みと不安の入り混じりで、強い香緒莉と押し潰されそうな香緒莉が同居しているみたいだった。
シャワーを浴びてから、香緒莉と地図アプリで現場の予習をしてから、お互いの眠りに就いた。
俺がベッドに入ってしばらくすると、香緒莉が俺の横に滑り込んで来た。
「どうしたの? 又恐い夢でも見たの」
「……………………」
――返事が無い――
「あのー、私、漣さんにこんなに良くしてもらって何も返せないので…………」
「………………」
「私の処女をもらっていただけないでしょうか」
――なにぃ――
「………………」
「いや、お金は後で返してもらうから」
「それに、初めてのHは好きな人としなさい」
「私と、ではダメですか」
「えーと…………」
「たった3日一緒に居ただけですけど、私…………たぶん」
「漣さんの事、好きになったみたいです」
「分かった、その『たぶん』が『絶対』に変わったら抱いてやるよ」
「俺も、香緒莉の事は3日の間に好きになったと思うけど、まだ『たぶん状態』だ」
――やばい、初めて呼び捨てにした…………と言う事は?――
「お互いに、もしその気持ちが確信出来るように発展したら、九州でも何処でも抱きに行ってやるよ」
「だから、今は抱けないよ」
そう言って、二人の〈たぶん〉は密着したままだったが、交わる事は無かった。
次の日、少し熱が有あるから病院へ行くと言って会社を休んだ。
携帯の店が開くのを待つようにして、香緒莉のスマホを電話とネットが使える様にした。
香緒莉は、電話番号は以前と変わったが、自分のスマホが普通に戻った事を凄く喜んでいた。
駅前で車から降ろした所で別れようと思っていたが、車を駐車場に停めて、片道の乗車券と入場券を買ってホームで見送ってしまった。
自分でも何故そうしたのか判らない。
いや、〈たぶん状態〉からの脱出が近いとは思いたくなかった。
夜、香緒莉からの呼び出し音が鳴った。
ホテルにチェックインした報告だった。
その後、
「漣さん、明日行って、もしお父さんが居なくて新しい奥さんだけが出て来たらどうしよう」
「それを考えたら凄く不安で」
「うーん、じゃ勤務シフト聞いてみるか、多分教えてはくれないと思うけど」
「ところで、お父さんの恩師の先生の名前とか聞いた事無い?」
「えーと…………あっ、そういえば私が小学校に入学した時、担任の名前がお父さんも昔同じ名前の先生に教わったって言っていました。」
「確か、小林先生でした」
ダメもとで会社へ電話してみた。
シュチュエーションはこうだ。
〈廣瀬太蔵と同級生の俺が、恩師である小林さんの訃報を太蔵に知らせようとしたら、携帯を変えたらしく繋がらない。そちらの配送センターに居るのは前から聞いているので会社に電話してみた〉
電話口のお姉さんは、
「廣瀬は木曜の夜で無いと戻りません」
「その後は、金、土とお休み頂いています。」
「それと、携帯の番号を教える事は出来ません」
「それじゃ、私の方から、その訃報を伝えますから詳しく教えてください」
「仕事中でしたか?それじゃ葬儀には間に合わないので、後で私の方から手紙で知らせます」と言って電話を切った。
香緒莉にその旨を伝え、『金曜なら会えると思うよ』と伝え、もう一泊しなさいと付け加えた。
今日は金曜日。
朝、香緒莉から、〖行ってきます〗のlineが一行入った。
俺は、【頑張れ】しか返せなかった。
状況に適した他の言葉が思い浮かばなかった。
そして夕方になった。
電話もネットも繋がる環境にしたのに、
その後香緒莉からの連絡は、一切無かった。
『きっと、父娘の対面は上手くいったのだろう』
『感動で、連絡を忘れているのだろう』
と、勝手に思ってみても結果を気にする自分が居るのは何故だか考えてしまう。
――そういえば、結果を連絡してほしいとは言わなかったな――
俺の心の片隅に、これ以上関わりたくない気持ちが完全には消えて無かった事がそうさせたのかも。
俺は、いつもの金曜の様に、仕事帰りに一人で行きつけの飲み屋に行った。
飲んでいても、いつもの金曜と違ってスマホを頻繁に覗いている。
あまり飲む気になれず、早々と切り上げた。
22時ごろ代行運転で帰宅すると、俺の部屋のドアの前に誰かいる様に見えた。
それが、香緒莉だと気づくのにそんなに時間は掛からなかった。
俺が近づくと、香緒莉は造り笑顔で、
「えへへ、戻って来てしまいました」
「…………」
「『ただいま』って言っても良いですか?」
そう言うと香緒莉の瞳から涙が溢れ出して、その
俺は香緒莉をしっかり受け止めて、言ってしまった。
「おかえり!」
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