第4話 おかえりなさい

 月曜の朝、スマホのアラームが鳴る前に目覚めた。

 いつもなら、スヌーズ2回目か3回目で起きるのに、やはり昨日からの環境の変化と言うよりも、緊張感があるのだろう。


 香緒莉はまだソファーでの就眠から脱していない様だ。


 昨夜は熱帯夜では無かった事だけでなく、香緒莉の寝顔も今朝の爽やかさを引き出しているとは思いたくない。

  



 洗面所で一通りの身だしなみを整えてから、いつも通勤途中に車で立ち寄るコンビニへ向かう事にした。

 いつもと違って歩いて向かうと、又いつもと違う風を感じた。

 同じ店なのに移動手段が違うだけが原因なのかな?と考えてしまった。


 其処で少し多めに、パン、弁当、おにぎり、冷凍食品、果物、飲み物を調達したが、あまりの重さに、車で来なかった事を後悔しても後の祭りだった。


 部屋に戻ると香緒莉は起きていて化粧の最中だった。


 ――昨日はスッピンだったよなぁ――


「おはようございます!おじさん」


「おはよう!カオリちゃん」

「よく眠れたかい、ソファーで寝づらく無かったかい」


「あ、大丈夫でした。柔らかくて気持ちよかったです」


「それは良かった」

「それと、その『おじさん』の呼び方、一寸違和感有るんだけど」


「あ~、じゃ『レンさん』と『レン君』と『レン』の中からおじさんが決めて」


 ――又おじさん!――


「じゃ、呼び捨てでいいよ」


「やっぱ、それは不味まずいから『レンさん』にするわ、レンさん」


 ――うっ、何のための三択――


「カオリちゃん適当に買ってきたから、悪いけどこれで朝と昼のご飯にして」

 と言ってテーブルに置くと


「わぁ~ありがとう!――おじ、レンさん」


 そして俺はスーツに着替えて、そのテーブルの上にある車中食になる、おにぎりと菓子パンと飲み物を、念の為に昨日のうちに、通帳、印鑑なども入れて置いたいつもの鞄の中に入れてから言った。


「俺はこれから仕事に行ってきます」

「今日、カオリちゃんは部屋から出ないでこの中で過してね」


 ――周りの目があるからね――


「それと、万が一外出するならこれカードキーのスペアだから」

「後、インターフォンが鳴っても絶対出ないでね」


「それと、お父さんの事判ったらlineするから、部屋から出ない方が繋がるし」

「早い時間に結果オーライだったら、今日東京に向かっても良いよ」

「玄関はオートロックだから、そのまま出て行って構わないから」

「その時は、此処の引き出しに5万円入った封筒が有るから其れを持って行って良いよ」

「返却は何年先でもいいから」

「返って長い方が、成長したカオリちゃんが見られるから、それも有りだね」



「分かりました、レンさん」

「本当にありがとうございました。レンさん」

「あっ、それと…………」

「スーツ姿のレンさん、凄く若くてかっこいいです」

「『おじさん』て呼んでごめんなさい」


「一応、じゃ元気でね」


「行ってらっしゃい」


 香緒莉は玄関先まで出てきて送ってくれた。




 おにぎりと菓子パンを頬張りながら、運転して30分で支社に着く。

 駐車場も敷地内なので無料だ。

 東京に居た時と比べると、随分と楽な通勤だ。

 仕事の内容はさほど変わらないのに、地方都市はそれだけでもメリットがある。


 俺は大手建設会社の営業部に居るが、外回りは殆んどない。

 公共事業見積もりの計算部門に属しているから殆んどデスクワークだ。


 昼休み、会社の隣の定食屋で、飯を食べながら白井隆志に調査進展の確認をしていると、


「結城くん、此処の席いいかしら?」


 聞きなれた声に顔を上げると、やはり樹所さんだった。

 同じフロアに所属している、一年先輩の樹所貴美きどころきみだった。イニシャルはKKだ。

 職場ではKK先輩と呼ぶ時もたまにある。


「あっ、先輩 どうぞ」


「ありがとう。でも、その『先輩』の呼び方、何とかなんない」


「でも先輩は先輩だから、役職に就いたら『主任』とか『係長』と呼びますけど」


「まあいいわ。所で一寸小耳に挟んだけど」と前置きして、

「結城くん、最近独身に戻ったって本当?」


「うっ、か、会社ではプライベートの質問には答えられません」


「此処、会社ではないよ。隣の定食屋さんじゃない」


「いっ、いや就業時間内の休憩時間です」

「先輩が想像するのは構わないけど、僕のプライベートだから」


 そんな冷やかしを受けている間、俺のスマホにはメッセージの着信バイブが2回程震えた。


 こんな好奇心の塊を持っている先輩の前で見る訳にもいかず、昼食を素早く終わらせた後、定食屋のトイレの個室へと緊急避難した。


 てっきり白井からのlineだと思っていたが、香緒莉からだった。


【漣さん 冷凍室の奥に有った食材で料理しようと思ったのだけど】

【コンロの使い方、わからない】


 ――うー、そんな事しなくてもいい様にレンジ調理の品を買ったのに――


〖帰ったとき、まだ香緒莉ちゃんが居たら教えるから〗

〖今は、ある物でレンジ使って我慢して〗

〖それと、お父さんの事、まだ連絡来ないので〗

〖判ったら直ぐ連絡するから〗


【わかりました】

【お仕事頑張ってね】


 女子とlineのやり取りは、久しぶりだったので何か懐かしい。

 いや、出会い系サイトでは、連発していたが、アプリが違うと気持ちも違うもんだ。


 トイレから出ないうちに、待っていた白井から連絡が来た。


【取り急ぎ要件を伝える。30分程前に依頼人の指示した住所のマンションに行ってきた】

【エントランスの1102号室のポストには廣瀬さんの表示は無く、違う名前が書いてあった】

【仕方なくエントランスを出ようとした時、偶然1103号室のポストを開ける婦人に遭遇して廣瀬さんの事を聞いてみた】

【4年位前に引っ越ししたみたいだ。引っ越し先までは判らないそうだ】

【今日はもう時間が取れないので、明日時間を作って区役所へ行って調べてみる】

 と箇条書きで連絡があった。


 俺は丁寧に感謝とお礼のメッセージを打って最後に、

〖よろしく頼みます〗と打って白井との活字会話を終了した。


 トイレが長すぎた!直ぐ支社に戻った。


 デスクに戻るとKK先輩が

「結城くん、トイレいやに長かったわね」と刺さってくる。


「うん、一寸お腹の調子が…………」

 そう言っておけば、又トイレに行き易い。


 少しデスクに居て、今度は会社の個室に滑り込んだ。


〖香緒莉ちゃん、遅くなったけど少しだけ判ったよ〗

〖香緒莉ちゃんが住んでいたマンションには、もうお父さんは住んでいないそうだ〗

〖引っ越し先もまだ判らないので、明日時間を作って区役所で調べてくれるそうだ〗

〖帰ったら詳しく話すから、家に居てね〗

〖なるべく早く帰るから、会社から出るときまた連絡するね〗


【うん、わかった】


 それだけが返って来た。

 力を落としている様な光景が想像できた。





 5時の終業チャイムが鳴ると俺は帰り支度を始めた。


 又、KK先輩が何かを見透かしている様に、

「あら結城くん今日は早いのね!誰かさんとデートでもあるのかしら」


 ――鋭い女だ、当たらずとも遠からずだ――


「そんな事無いですよ。一寸した野暮用です」



 車に乗り込むと発進前に香緒莉にlineした。

〖これから帰る。途中で弁当買っていくので何かリクエストあったら教えて〗


【気を付けて帰って来て下さい】

【夕食は用意していますので、そのまま帰って来ても大丈夫です】


 ――あっ、外出したんだ!コンビニ弁当でも買ったのかな?――


 わかった、と告げて30分後に帰宅した。

 ドアを開けると、其処には、温かい家庭でよく見られる、胃袋を刺激する匂いが漂っていた。

 何年ぶりだろう?こんな雰囲気!


 香緒莉は、今日の東京行きが無理だと判った時、コンビニと反対側に歩いてスーパーに行ったらしい。

 そしてネットサーフィンを駆使してIHコンロの使い方、クックパッドでカレーライスと野菜サラダを作り、ご飯も炊いていた。


 そして化粧された、可愛くて少し大人びた香緒莉になって、

「おかえりなさい、お仕事ご苦労様」と言って迎えてくれた。



 暫く振りかの状況に、俺の涙腺は一気に崩壊した。


 それを不思議そうに見ている可愛い香緒莉が、段々霞んでいく。

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