第29話 最終講義

 最後になったが、この夏、石巻で一番幸せになった女の子の話をして、お開きにしようと思う。

 一学期の期末テストも終わり、とうとう夏休みに突入した七月の日。

 快晴で、それなり暑くもあるのだけれど、海風が時折涼しさを運んでくれる、絶好のデート日和。

 私は桜子と一緒に、川崎マキの服装チェックをしていた。

「持ち物も当然チェックよ、先輩っ」

 桜子にうながされ、慌てて川崎マキは手提げの口を開ける。

「ハンカチ、ちり紙、リップクリーム……」

 授業が始まったので、塾の講師室には、私たちしかいない。

 窓から蝉の鳴き声が聞こえる。自動車の行き交う音も、かすかにする。

 そわそわ落ち着かない川崎マキの肩を、桜子がバンバン叩いて、言う。

「大丈夫よ。とって食われるわけじゃ、ないんだから」

 そう。言うまでもない。

 念願かなって、マキちゃんはとうとう、渡辺啓介とデートすることになった。

 もっとロマンチックな場所を選べばいいのに、二人の待ち合わせ場所は、ウチの塾。車を長時間止めておいて、文句を言われない場所だから……とは渡辺啓介の弁。でも本当のところは、地に足がつかなくなったマキちゃんを心配して、かなと思う。ここなら、桜子がいる。私も待機している。木下先生も西くんもいて、とにかくデート前のはやる気持ちを抑えるのに、最適ではある。

 もうすぐ夏休み突入ということで、塾自体は休日ナシで開講している。教室から外を覗こうとする野次馬を追っ払い、私はマキちゃんを駐車場へと誘った。

 服装は、私と桜子で選んだ「庭野スペシャル」。

 偉そうな命名だが、実は単なる水色のワンピースだ。ノースリーブで肩が冷えるので、薄手のボレロをあわせ、仕上げはリボンつきの麦藁帽子。マキちゃん自身は、桜子みたいなボーイッシュな格好をしてみたかったらしい。しかし、私も桜子も、これには大いに反対した。人には似合い、不似合いがある。純然たるイモ娘のマキちゃんが、たとえば東京の流行を追ったところで、垢抜けたギャルになることはない。似合わないぶん、逆に損だ。イモ娘には、イモ娘なりの魅力がある。テレビや雑誌の流行廃りは無視して、自分がもっとも輝いて見える分野でおしゃれをする。当たり前のことを当たり前に受け入れたマキちゃんは、お世辞抜きで、かわいく見えた。 

「そういえばタクちゃん。渡辺先生に、イモ娘の洗脳、したの?」

「まあ、ちょっとね」

「サクラちゃん、庭野先生。そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ」

 私たちの会話を聞きつけ、マキちゃんが元気はつらつに振り向く。

「先週の尾行で、もう予行演習はじゅうぶんですから」

 言うまでもなく、デートの行き先は、登米明治村だ。

「それに、背面アプローチも、完璧にマスターしましたし」

「本当? 完璧?」

「ええ。本当に。『窮鳥』だって『抱卵』だって、他の四十五手だって、自由自在に使えます。ただ、四十八手目は、使えても使わないと思いますけど……」

 苦笑するマキちゃん。自分の言葉を証明するかのように、くるんくるん、バレリーナみたいに玄関口で回転してみせる。

 私は深くうなずき、言った。

「よし。それなら、背面アプローチ、最終講義だ」

「はい」

「……もう、後ろを振り向くのは、やめなさい」

「えっ」

 そもそも、背面アプローチは、引っ込み思案で、好きな男の子の前になると、モアイ像みたいに固まってしまう女の子向けのものだ。既にデートの約束を決め、なかんずくドライブまでしてしまうマキちゃんには、必要ない。

 卒業のときだ。

「いつかはどこかで、彼氏に真正面から向き合わなくちゃ、ならないんだ」

 一緒に食事をするとき。

 次のデートの行き先を決めるとき。

 友達に紹介してもらうとき。

 ケンカをするとき。

 仲直りするとき。

 一緒に泣くとき、笑うとき。

 彼氏のいいところを、改めて見つけたとき。

 自分のことを、もっと彼氏に知ってもらいたいとき。

 告白するとき、されるとき。

 そして……キスするとき。

「彼氏と向きあうのは、自分自身と向き合うことでもある」

 できるかな?

「はい」

「正面からのぶつかりあい、時には傷つくこともあるかもしれない。でも、今のマキちゃんなら、大丈夫だ」

「先輩、例のお守り、忘れないでね」

 言うまでもない、恋愛成就の御神籤だ。

「うん。ありがとう、サクラちゃん」

 痺れを切らした渡辺啓介が、迎えに来た。さりげなく手をつないで、二人、駆け出す。

「がんばってね」

 桜子が手を振る。マキちゃんが開いている手で、振りかえす。

 私も姪と一緒に手を振って、見送った。

 まぶしい笑顔に、思わずつぶやいていた。


 がんばれよ。君の恋、先生も、応援してるぞ。                                                   (了) 

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片思い中の女の子のための背面アプローチ 木村ポトフ @kaigaraya

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