第27話 残心、あります

 女子の着替えは、何かと時間がかかる。

 東海亭にいの一番に戻ったのは、私だった。四人分の予約席を頼もうとすると、断られた。もう、ウナギ売り切れだという。財布に優しい結末に、ほっと一安心した。が、これではマキちゃんのヤキモキは直らないだろう。幸い店内はぎっしり満杯のはず。渡辺啓介がウチの姪に不埒なことを仕掛ける余裕はないはず。

 二番目に戻ってきた木下先生に、その旨を伝える。

「そうですね。でも、私たちもお昼を食べないと」

 うむむ。ウナギはともかく、ラーメンやカツどんくらいなら、奢ってあげられるかも。

 三番目に戻ってきた西くんが不満の声を上げる。

「渡辺さんたちがウナギなのに、こっちはラーメンすか」

 贅沢は言うでない。君が木下先生なみの絶世の美女というなら、奢ってあげないでもないが。あ。あと。ぬいぐるみの上にTシャツって、暑くないの? それに、いいかげんフルチンしまいなさい。

「ラーメン食べるくらいなら、この油麩丼とかいうの、どうです?」

 マキちゃんに借りてきたという、別口のパンフレットをめくりながら、木下先生が言う。

 明治村のほうぼうに、この名物料理を出している店がある。値段もお手ごろ。バリエーションも豊富。添えられた写真を見ると、ボリュームだって納得のいく量。

 よし、これにしよう。明治村にこだわりのあるマキちゃんのこと、お薦めの店もあるかもしれない。

 しかし……。

 最後に戻ってきたマキちゃんは、私たちの決定に、異を唱えた。

「私、ワタナベ先生たちを見張れるところで、食べたいですっ」

 なぜか、相変わらず巫女装束のままである。薙刀そのままで、素人の私たちから見たら、危ないこと、この上にない。

「Tシャツに着替えないの?」

「……ブラしてくるの、忘れました」

 着物の下は、サラシのぐるぐる巻きだとのこと。

 ああ、なんていじらしい乙女心。

 しょうがないので、コンビニにオニギリの買出しに行き、駐車場で食べることにした。

 西くんが、不平たらたらで、言う。

「塾長。おかず、何も買ってこなかったンすか。せめて沢庵の一切れでも……」

 さっき、木下先生に色々買ってあげたお陰で、カネがない。

 君こそ、財布とか持ってこなかったの?

「野生動物は、お金なんて持ち歩かないものッスよ」

 巫女さんも、看護婦さんも、その点同じらしい。

「西くん。野生動物なら、嗅覚は鋭いよな。このいい匂いが、分かるか?」

 駐車場の端まで、胃袋を刺激するような妙なる香りが流れてきている。言うまでもない、ウナギをじゅーじゅー焼く匂いだ。

「おかずを買ってきたところで、どうせ皿を置く場所がない。だから、この匂いをおかず代わりにして、オニギリをパクつくのだっ」

 それっ。

 くんくん、パクッ。

 くんくん、むしゃっ。

 くんくん、くんくん。

「塾長、その最後の、何スか?」

 ご飯はいったんストップして、おかずだけ味わっている音だ。

「ううう。塾長、オレもおかずだけ食って、いいっスか?」

「おうよ。好きなだけ、堪能しろっ」

「……」

 木下先生のジト目を無視して、私たちは匂いをかぎまくる。

 くんくん。くんくん。

「ううう。塾長、なんかミジメっすよお」

「今ごろ、桜子は何食ってるんだろうな。うな重に肝吸い、それに骨を焼いたヤツかな。あれぼりぼり香ばしくてうまいんだよなあ」

「聞いてるだけで、ますますミジメっすよ……て、塾長。このオニギリの具、梅干ばっかじゃないっスか」

「一番安かったんだよ、ウメ」

「梅干とウナギなんて。食い合わせ、最悪っスよお」

「何、ウナギは食ってるわけじゃない。匂い嗅いでるだけだから、大丈夫だって」

「でも、胸焼けしそうなのは、一緒っすよお」

 情けない声を出しながら、半ダースものオニギリを平らげた、西くんだった。

 食欲がイマイチ進まないのがマキちゃんで、いてもたってもいられないという風情。

 私は、お茶を差し出しながら、言う。

「……マキちゃん、桜子に電話、かけてみたら?」

 電話口からは、ゴモゴモごもった声が聞こえてくる。おおかた、また、口いっぱい食い物をほおばりながら、しゃべってるのだろう。

 マキちゃんのほうは、例によって、はいはいはいの、繰り返し。

「……食べたら、腹ごなしに北上川河畔を散歩するそうです」

「うむむ。じゃあ、こっちも先回りしようか」

 河畔の散歩と聞いて、私たちは東海亭から河川敷に向かった。登米大橋を渡った対岸は、車道がメインでぶらぶら歩きするスペースがない。だったら、散歩コースは、川のこちら側しかない。東海亭の前を、石巻に向けて走ると、防波堤の上を通る道に出る。私たちは、いや正確にはマキちゃんは、桜子たちを待ち受けるべく、急斜面の川原に陣取った。

 暑さしのぎを兼ねて、「監視団」は街路樹の陰に隠れた。


 どのくらいの時間が経ったろう。

 手持ち無沙汰のマキちゃんが、足元のヨモギをむしり、クローバーをむしり、タンポポをむしり……指先が緑色の汁ですっかり汚れるようになったころ、桜子たちは、やっときた。というか、マキちゃんを追い抜き、走り去っていこうとした。

 我が姪の後ろに渡辺君が続き、さらにそのあとにワンピースのスカートをからげた、ヨコヤリ・ママ。そして最後尾には、七三分けした口ひげのオッサンが、息を切らして追いかけてくる。貧相な顔に、なよっとした細い胴体。どこかで見たことはあるけれど、どこだか思い出せない。桜子に指摘されて、ようやくヨコヤリ・パパと分かった。血相変えたオッサンの右手には、ゴルフのドライバーが握られていた。シャフトが少し折れ曲がっている。ゴルフボールでなく、浮気性の嫁さんを叩き損ねた結果らしい。ダンナさんの怒りの矛先は、完全にヨコヤリ・ママに向かっていた。ヨコヤリ君が高校を卒業するまで我慢する、という情報は、どうやら不正確だったらしい。

 ヨコヤリ・ママは立ち止った渡辺君に助けを求めたが、その前に、パパがつかつか歩み寄ってきて、パアンと音高くビンタをかました。

 どうやら、一方的に横恋慕されただけの渡辺君を、どーこーする気はないらしい。

 桜子のほうは、なお、無関係だ。

 夫婦喧嘩は犬も食わない、と言う。

 これはヨコヤリ夫妻の問題だ。

 ほおっておいて、桜子たちはデートを続行すれば、いいだけ。

 けれど……「二人まとめて、成敗します」

 ヨコヤリ・パパが嫁さんに向けてドライバーを高く振り上げた瞬間、川崎さんは薙刀をふるった。目にも止まらないスピードで、ドライバーは河川敷に飛んでいった。さらに我がイモ娘は薙刀を中段に構え、穂先をストーカーカップルから外そうとしない。

「えっ。なんで? なんで?」

 狼狽する、桜子。私も遅ればせながら土手にはい出て、川崎さんの袖を引っ張った。

「ほうっておけば、いいでしょう」

「得物でもって、無手の女性を打擲するなど、男の風上にもおけぬ所業。成敗します」

 でも、そんなことをすれば、マキちゃんはお祖母ちゃんによって、頭をジョリジョリ剃り上げられてしまう。出家したら、そもそも恋愛も結婚も禁止だ。

「でも、これが私の原点なんです」

「損な性格、してるね」

「私、こんな自分、嫌いじゃないんです」

「ヨコヤリ・ママまで、成敗するのは?」

「ヨコヤリ・パパっていうタガが外れたら、渡辺先生をどこまでもストーカーしそうだから」

 君が傷害罪とかで補導されたら、桜子と渡辺君のカップルができて、めでたしめでたしになっちゃうよ。それとも、桜子も成敗するの?

「めげずに、運命とも、時間とも戦います……」

 要するに、二人がくっついても、別れるのをいつまでも待ってやる、という心境らしい。

「でもさ……」

「どんな障害があろうと、したたかに、図々しく、自分を隠さず、恋愛したほうがいい。人生は一回限りなんだから。これを教えてくれたのは、庭野先生のガールフレンドの人たちです。弟を愛するプティーさん。女性も愛する木下先生。感謝してます。私も、あの人たちのお陰で、今までの自分から、少しは変われたと思うから。見習いたいんです」

「けど、剃髪だよ?」

「最悪、イモなだけでなく、ツルツル頭も好きになってくれるように、渡辺先生を洗脳しますっ」

 いつの間にか、渡辺啓介の背中から離れて、私の左腕にぶら下がっていた桜子が、言う。

「大丈夫ですよ、マキ先輩。私、ちゃんと渡辺先生を振りましたから。すごく身近に、好きなひとがいるからって」

「サクラちゃん……」

 ヨコヤリ・パパに襟首を掴まれ、ヨコヤリ・ママはずるずると引っ張られていった。嵐の来襲のような夫婦を見送りながら、当の渡辺君が、我がイモ娘を後ろから抱擁した。

「庭野先生。アプローチしてないのに、アプローチされました」

「うむ。それこそ、背面アプローチの完成形だっ」

 渡辺啓介は、優しい視線で女の子を見下ろし、言った。

「洗脳の必要はないよ、川崎さん」

「えっ。ひょっとして、先生、丸坊主の女の子も、守備範囲のうちですか」

「本気で好きになれば、モヒカンだろうが黒髪ロングだろうが、気にしなくなるさ。……それより、君が髪を惜しむなら、君がストーカーから僕を守ってくれたように、今度は僕が、お祖母ちゃんのバリカンから、君を守るさ。西くんママの時のように、また、僕が盾になる」

「先生……」

「それから。キンカン頭だけじゃなく、この三つ編みお下げも、君には似合わないと思う。塾長から聞いたけど、そもそもこれは他人とかかわらないようにするための、擬態なんだろ」

 渡辺君は、手早く彼女のお下げをほどいてあげた。

 ゆっくり振り向いた彼女が、彼氏にどんな顔を見せたかまでは、分からない。しかし、渡辺啓介は、満面の笑みを浮かべて、彼女を褒めた。

「ほら。イモムシが……いや、イモ娘が、蝶になったよ」

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