第26話 妨害戦、忙中閑あり

 実際の車での尾行というのは、映画やマンガでみたいに、うまくはいかない。

 神社の駐車場から出発して十分、私のハイエースは、早速渡辺啓介に見つかった。

 裁判所脇から大街道を抜け、国道四十五号線に抜ける道は、いつでも車が混雑しているルート。仙台人である渡辺啓介のこと、運転で手一杯で、背後に注意する余裕なんてなかろう……と思っていたのに。

 プルプル。ぷるるるるるるっ。

「私の携帯電話だ」

 シンプルな着信音で、すぐに分かる。 

「桜子からだ。運転で手が離せない。マキちゃん、悪いけど、出てくれる?」

「はい……はい? ……はいっ……はぃぃ……はい! ……はぁい」

 様々なニュアンスの「はい」。マキちゃんは一方的に返事ばかりだ。桜子のヤツ、一体何をしゃべくりまくってるんだ?

「……サクラちゃんじゃなくて、渡辺先生でした」

 なんだか、どんより蒼白になったマキちゃんの顔が、車窓に映る。

「彼、なんていってたのかな?」

「先生が本当にものすごい病気持ちなら、いい病院、紹介しますって」

 皮肉のつもりかな?

「他には?」

「親心も分からなくはないけれど、サクラちゃんはもう大人なんだから、デートの監視なんていう、大人気ないことはよしたほうがいい」

「桜子を心配してじゃないんだけどねえ……それで?」

「それで……大人のデートにふさわしいことをしても、文句は言わないでくれ」

「ええっ」

「行き先は、登米の明治村らしいです。サクラちゃんのこれみよがしのつぶやき、聞こえました」

 河北警察署を過ぎて一キロほどいくと、風光明媚な北上川の河畔に出る。川幅百メートルはあるかというこの大河の流れはゆるやかで、鴨かシギか、たくさんの水鳥が浮いている。対岸は山が川岸ぎりぎりまでせり出し、青々とした水面と見事なコントラストを描いている。

 珍しそうに車窓にかぶりついていたのは西くんで、この道を通るのは初めてという。免許を取ったら、例のマッチョ好きの彼女と一緒にドライブに期待、などと太平楽を並べたてている。

 私は、ちらちら、マキちゃんのほうを伺う。

 理想の初デートは登米の明治村で、と言っていた彼女の心境は、どんなものだろう。

 いつの間に手にしたのか、薙刀を握る手が真っ白になっていた。

 途中、津山の町の中を通り、再び北上川の河畔へ。二十分ほども走り、登米大橋を左手に渡ると、そこはすぐに明治村だ。

 観光バスなんぞが停まれる大型駐車場には、遠山之里なる土産物屋が付設されている。

 桜子たちは目もくれず、観光パンフ片手に明治村に向かった。まあ、帰る間際、最後に回るのが順路なのだろう。が、私たちは時間潰しの意味もあって、まず買い物に走ることにする。何度となくきているので、迷わず定番の土産物を買い物カゴに入れる。ニンニク入りの一味唐辛子に、ブルーベリー味の羊羹、そして紫蘇酒。

「確か、蔵づくり商店街とか、あるんだよな。そこで、服とか売ってないかな」

 車椅子はとうに畳んでいた。しかし、リラックマ柄のパジャマはそのまんま。露骨に指さすひとこそ、いないけれど……。

「病院から抜け出してきた、アル中患者ってとこですよね」

 木下先生が、妙に的確な指摘をする。

 くっそー。スーツさえ着てれば。スーツさえ着てれば、どこから見てもモテモテの中年紳士に大変身できるのにぃ。

「そんな。塾長、ラフな格好も、悪くないですよ」

 木下先生のミエミエのお世辞に、私は甘いささやきを返す。

「先生も、そのナースコスプレ、とってもいいですよ」

 顔中の筋肉が弛緩しないように、口元をきりっと引き締めて言ったんだが、我が秘書には、どんな風に映ったんだろう。たたでさえ違和感ありまくりのナース服から、汗でうっすら下着が浮いて見えている。

「Tシャツでも買って、上だけでも着替えましょう。どうせなら、ペアルックってことで、どうです?」

「え。でも……上司と部下で、そういう格好をするというのは、教育上、まずいんじゃないでしょうか」

 それにペアルックなんて恥ずかしいです、と木下先生はのたまう。私は、ピシッと言ってやった。

「何を躊躇してるんですっ。塾講中とかならともかく、全くプライベートな時間じゃないですか。しかも既に恥ずかしい格好なんですよ。エロナース服。お金の心配なら、無用。私がポケットマネーで買ってあげますから」

 Tシャツだけで満足いかないなら、イヤリングでもスカーフでもペンダントでも、好きなもの、買ってあげますよ。

 私の優しく紳士的な申し出に、さしものカタブツ木下先生も陥落するかと思われたのだが……。

「こら、タクちゃん。そのエロジジイみたいな言い草はなんなのっ。モノで女の子の心を釣ろうとするなんて、サイテイッ」

 いいところで、我が姪が口を挟むのだった。

「桜子、いつの間に」

「化粧を直してくるって言って、出てきたの」

「化粧? してないじゃん」

「もー。バカ。トイレに行くってことよ」

 しかし、こう頻繁にデートを抜けてくるなんて……渡辺啓介、心の広い男なのかもしれないと思う。

「桜子。こういうコトワザ、聞いたことない? 人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んじまえ」

「インド人と見合い継続中のくせして、グラマー秘書に手を出そうとしてる浮気者が、どの口で言うの?」

「……」

「それに、タクちゃん、渡辺先生の恋路の邪魔に来てるんじゃないの?」

「……」

「マキ先輩はどこに行ったのよ。肝心の主役をほっぽって、セクハラしてる場合じゃないでしょ」

 はっ。言われて見れば、彼女の姿が見当たらない。

「ついさっき、彼女にも、Tシャツ、買ってあげたばかりなんだけど」

 脱ぎ散らかした桜子のジャージが、我がハイエースのダッシュボードに突っ込んであった。ズボラ娘もたまには役にたつ。下はそれを拝借することにし、上は観光土産からチョイスすることにしたのだ。歴女の川崎マキのこと、武将云々のヤツか、明治村の歴史的建造物がプリントされたのでも買うのかと思っていたのだが……。

「何やら、農民の生活コーナーなるところに行ってだな、クワだのカマだのツルハシだの背中に大書してあるの、じーっと睨んでたぞ」

 今頃、車に戻って着替えでもしているかもしれん。

「あたし、来がけにチラッと見たけど、いなかったわよ」

「ううん。では……ワタナベ先生のところかな」

 彼女、単なるヘタレぼっち・ムッツリ・イモ歴女コスプレイヤーでは飽き足らなくて、ヘタレぼっち・ムッツリ・イモ歴女コスプレマニア・ストーカーにクラスチェンジしたのかもしれん。

「何、ノンキなこと言ってんのっ。てか、西センセもいないじゃない。もしや、二人っきりになるために、追い払ったとか」

「西くんか。『お客様、お店へのペットの持ち込みはご遠慮願います』とか言われて、彼こそ追い出されちゃったよ」

 このネタでいつまでも引っ張るのはどうかと思うから、このへんでやめておくけれど、石巻市内に戻るまで、西くんは一度もゴリラの変装がばれなかったのである。

「で、本当のところ、どこに行ったの?」

「知らん」

「もーっ。なんでそう、無責任なのっ」

「男子校出身だからな。バンカラかつ豪快に、美人とのデートを優先させるのだ」

 西くんに関しては、心配無用と思われる。下手を打って保健所に連れていかれるかもという懸念はあれど、渡辺啓介にばれることはなかろう。

「だからあ、そんなことを言ってるんでは、なくて……」

 桜子に促され、私は渋々店を出た。懐古館から天山公廟を通って、森舞台へ。車のところに戻ってるかもしれないと思い、教育資料館経由で再び遠山之里へ。でも、やっぱり見当たらない。ひょっとすると、春蘭亭とか警察資料館とか、町の南側の観光に行ったのかもしれない。携帯電話でもかけてみるか……桜子に頼もうとした矢先、城址公園で、なにやら高校生くらい人だかりを見つける。何気なく見つめると、中心には見慣れた巫女がいた。

 言うまでもない、我がイモ歴女、川崎マキだ。

 梅か桜か、背の低い枝に手を伸ばし、一生懸命、割り箸の袋みたいなものを結びつけている。なんだか近寄りがたいオーラだ。傍らには、なぜか渡辺啓介がいて、マキちゃんの作業を手伝っていた。

 なんだ、私たちが協力するまでもなく、ちゃんとくっついたじゃないか……と思ったけど、どうやら早とちりらしい。

 野次馬の男の子のひとりをつかまえて、聞いてみる。

「あ。巫女さんと、あの男の人が、さっきぶつかったんです。ええっと……テクテク歩いてる巫女さんの後を、男の人が追いかけていて……声をかけても、巫女さん、一心不乱に歩いてて止まらなくて……男のひと、聞こえないと思ったんでしょうね、肩に手をかけたんですよ。そしたら、巫女さん、いきなり止まって……ドン。ぶつかって、二人とも、クタッと倒れたんです」

 おお。でかした、マキちゃん。

 背面アプローチ四十八手のうち、二十五手目「急停車」じゃないか。私のいないところで、できるとは。成長したなあ。先生、嬉しいぞ。でも、ぶつられて押し倒されちゃうのは、ちと、やりすぎだけど。

「それで……巫女さん、倒れた瞬間、手にしてた御神籤、ばらばらに落としちゃって。一生懸命二人して拾って、男のひとがぺこぺこ謝って……巫女さんが御神籤結びつけるのを手伝い始めたってわけです」

 なるほど。ところで、君らは何をしているわけ?

「本物でも、コスプレでも、巫女さん珍しいですから。写真でも撮ろうかと思って」遠巻きにしていたらしい。

 追いついた桜子が、言う。

「……あのまま、二人、くっつけること、できないかなあ」

 もはや、デートやら何やら、わけが分からなくなっていることでもあるし……と言いかけたそのとき、目ざとく渡辺啓介が、桜子を見つけた。

「トイレ、ずいぶん長かったねえ」

 ゆっくり、手を振っている。

 イヤミか、天然なのか、それとも単に思ったことを口にしただけなのか?

 渡辺啓介の爽やかすぎる表情から、内心はうかがい知れない。

 桜子はバツの悪さを隠そうともせず、デート相手の元へ、戻っていった。

 前から思っていたが、とにかく彼はめげないタチらしい。

「これが終わったら、食事に行こうね」だと。

 相変わらず、爽やかに言ってのける。対する桜子のほうは……後ろ髪引かれる、という表現はこういう場面に似つかわしいんだろう。しきりに先輩のことを気にしていた。が「予約時間になるから」と渡辺啓介に引っ張られて、場を去った。

 私は木下先生と二人、しょんぼりしている巫女さんに、駆け寄った。

 落ち込んでいるヒマはない。詳しい話は、二人を尾行しながら、聞かせてもらおう。

 マキちゃんは、最後の一枚まで作業し終えると、私たちに従った。

「本物と間違われて、御神籤の処理、頼まれたとか?」

 私の質問に、川崎マキは首を横に振った。すべて、自腹で引いてきたものという。

「どういうこと?」

 警察資料館近く、蓬莱山人句碑前で、怪しげな易者が御神籤を売っていた。マキちゃんは、徒然なるまま、引いてみた。単なる「吉」だった。とりわけ「恋愛運」の欄が、川崎マキを落ちこませた。曰く「今は自分の恋愛より友情を優先に。片恋している友達を応援すれば、いずれ巡りめぐって、自分に福が返ってくる」だったという。

 これって、渡辺啓介のことは諦め、桜子との恋愛を応援しろっていう神様のお告げ?

 ウチのはよく当たるって評判なんですよ……とナマズヒゲを撫でながら、その易者は教えてくれた。いくら巫女さんでも運命は変えられません、などと偉そうに続けもした、という。

 話を聞いているうちに、マキちゃんの心の中で、ぷつんと何かが切れた。

 有り金をすべてテーブルの上に叩きつけると、マキちゃんは勢いよく籤をひきまくった。易者がおろおろするのもかまわず、大吉が出るまで、恋愛運絶好調という卦が出るまで、引きまくったというのだ。

 そして、悪運へタレ運はすっぱり忘れるべく、マキちゃんは御神籤を適当な木に結びつけることにした。

「……そこで、ワタナベ先生に呼び止められたんです。トイレを探しに行ったけど、いなかったって言ってましたから、サクラちゃんを探してたんだと思います」

 そこから先は、先刻承知だ。

「うむむ。接触できたのはいいけれど、ハズレ籤の山なんて、恥ずかしいところ見られちゃったね」

「はい。でも、いいんです。今度こそ、気持ちがちゃんと伝わったと思うから」

 渡辺啓介は、ごめんねと言いながら、マキちゃんの肘をとって起こしてくれた。朱色の袴の埃を払ってくれ、ついでに「そのコスプレかわいいね」とはにかんだ表情で褒めてくれた。ヘタレのマキちゃんは、うまく返事ができなかった。渡辺啓介は、彼女に怪我の有無を尋ねた。いつもなら、ここでさらにヘタれるところ。

 しかし、今回は違った。

 マキちゃんは、薙刀で鍛えているから平気の平左だと、言い張った。怪我してないところを見せるため、素手のまま、薙刀の型をちょっと披露した。渡辺啓介の顔が「意外だ」と言っていた。

「引き締まった顔、逆にかわいいとか、思ってたかもね」

「そこまで、知りません」

 気がつくと、二人、籤を拾っていた。

 散らばった籤がみな「大凶」「凶」「吉」ばかりなのを確かめて、渡辺啓介は彼女に憐憫の視線を向けた。そして、何のためにこんなに引いたのか、気づいたのだ。マキちゃんは、ただ一生懸命拾っていた。じっと見つめられている横顔が熱くなっていく。熱っぽい視線は、木に結びつけているときも続いた。

 ここで、何か会話が出ていれば。

 マキちゃんを完全に見直して、今度は彼女とデートを……という気持ちになったかもしれない。

 しかし、肝心なところでマキちゃんはヘタレた。

 彼氏に視線を向けず、渡された籤をひたすら木に結わえ続けた。

「……で、気まずくなっちゃったところで、先生たちが来たってわけです」

「なるほど」

 マキちゃんの話を聞く限り、渡辺啓介の気持ち、ぐらついた感じがする。

「決定打は打ち損ねたってことか。ウチの姪がもうちょっと、頑張って嫌われてくれればいいのに。ワタナベ先生の前で、一発オナラをかますとか」

「……庭野先生。サクラちゃんだって女の子なんですから、そんなデリカシーのないこと、口が裂けても頼まないでくださいね」

 うむむ。本人たっての頼みとあれば、仕方がない。

「それに、ちょっとくらい気持ちが傾いたところで、まだまだサクラちゃんには負けてるような気がするんです。さっきだって、喜び勇んで、引っ張っていったじゃないですか」

「どうしても桜子とお昼を食いたいから……とは限らないだろ。予約時間、とか言ってたじゃない。バカ高いコースを頼んじまって、お金がもったいないから、という可能性もある」

 たどりついた料亭は、北上川河畔の東海亭、ウナギ料理で名を馳せている名店だ。

「ほら。私の言った通りだ」

「ここ、高いんですか、塾長」

「高いんだよ、木下君。お昼のコースでも、お一人様三千円くらいしたような……」

 接待で一度来たことがある。まさに舌の至福が味わえる。古びた民家のような内装が、明治村に似つかわしい雰囲気。特に二階の高い天井を見ながらの席がよい。ちょっと贅沢な大人のデートには、確かにもってこいだが……デート妨害団の面々に奢ると、万札が飛んじまうのか……。

「塾長。みんなで一人ぶんのうな丼をつっつく、じゃどうです?」

「いやね、木下先生。君と二人っきりだったら、丼じゃなくてうな重のコースでも奢ってあげるところだけどね……」

 言いかけて、やめた。

 マキちゃんが、真剣な目で、細長い駐車場の奥を見つめている。

「分かった。マキちゃん、いったん着替えてから、行こか」

 はい、と返事をする彼女のこぶしに、また力が入ったようだ。

 二十六枚目でようやく引き当てたという「大吉」が、私の視界の端にひっかかる。

「至誠、相手に通ず。恋愛成就」

 ここまで頑張ってきたのだ。本当に、通じさせねば。

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