第23話 古川さん、賄賂に屈する

 女の子を買収するのには、甘いお菓子に限る。

 時間はさかのぼって桜子デートの前日。

 私は石巻中の甘味屋をハシゴした。

 山形さくらんぼシュークリームにベルギーチョコレートの贅沢エクレア。青森りんごのさくさくアップルパイ、カナダメイプルシロップのワッフル、そしてミスタードーナツのドーナツ。

 お手製で手軽にできそうなものは、そのままヨコヤリ・ママに負けてしまいそうなので、少し手間のかかりそうな洋菓子で、私は古川さんを釣ることにした。

 最初の授業が始まる前、彼女を手招きする。

 塾長室の応接用テーブルの上に、おしゃれな箱ごと、スイーツをいくつも並べる。淡い水彩画で描かれたドイツ・ノイシュバンシュタイン城のイラストが、ガラスの天板に映えていた。御開帳したときのさわやかな香りと色合いに、思わず古川さんも生唾を飲み込む。甘味を堪能するに、我が「城」は、いささか殺風景な風景であることは認めよう。

 しかし、本当に楽しい昼下がりのひとときを作るのは、「場」ではなく「人」ではないのか。

 我が秘書、木下先生が、カロリーの高さをものともせず、お相伴を名乗り出てくれた。背面トレーニング時には、あんなに体重を気にしていた桜子が、今日だけは……と参加したがった。しかしこんな食い気まんまんの姪を参加させた日には、スイーツというスイーツを平らげられてしまうこと、間違いなし、だ。

 ここで、ちょっと登場人物の復習をしておこう。

 古川さんは渡辺啓介クラス、一年生理系ガールズ六人の一人。我がヒロイン・川崎マキちゃんが、「仲がいい」と認めた数少ない女の子である。理系ガールズ内では、ゲーマーとして名を馳せている。水色リボンのポニーテールと目の下のクマがトレードマーク。ゲームと勉強のし過ぎなその脳みそに、糖分たっぷりのスイーツは、さぞ魅惑的に映ろう、と思ったのだが……。

「センセ。ヘンゼルとグレーテルって、知ってますよね。お菓子の家で誘惑しようなんて、悪い魔法使いの常とう手段ですよ」

「別に、君をとって食おうなんて思ってないよ、古川さん」

「下心、ありありなのは認めるんですよね」

「そりぁ。まあ。これだけのお菓子を用意したんだから、察してくれ……てか、素直にぱくぱく食ってるんだから、我が願い事を聞いとくれ」

「あらかじめ、釘を刺しておきます。エッチな命令は、禁止」

「もとより、そういうのじゃなくてね。君を川崎君の親友と見込んで、頼みたいことがあるのだ」

「私、川崎先輩の友達でも何でも、ありませんよ」

「えっ」

「私、川崎先輩の友達じゃありません。大事なことだから、二回、言いました」

「えーっ」

 理系ガールズたちは、そもそも川崎マキと接点が全くない。学年が違い、文系理系が違い、さらに部活がかぶっている人もいない。たまたま、桜子と顔見知りの古川さんが、我が姪を通して、しゃべる機会があった、ということらしい。

「てか。川崎先輩って文系クラスで一学年上なんですから、ふつう、親友とか言ったら、そっちのクラスで作りませんか」

「そうだね……」

「休日一緒に遊びに行くとか、登下校するとか、そういう積極的に仲良くなるためのイベント、持ちかけられたこともありません」

「引っ込み思案だからねえ……」

 ひょっとして、川崎マキちゃんが親友と言っている女の子って、古川さんのドッペルゲンガーでは?

「ははは。センセ、おもしろーい。……川崎先輩って、結局、ぼっちの人なんですよ。塾内では、サクラちゃん以外で話す人がいなくって、たまたま私が、二番目におしゃべりする人なのかも」

「……そんな悲しい事実、知りたくなかったよ」

 まったくもう、ヘタレぼっち・むっつり・イモ歴女コスプレーヤーに、「昇格」だ。

「古川くん」

「なんです、庭野先生。川崎先輩と、もっと仲良くしてやって、とか、親友になってとかなら、無理ですよ。サクラちゃんがいないで、二人っきりにされると、私も会話を続けるのが大変な相手なんですから」

「さっきから食ってるスイーツ、返してくれ」

「ええっ」

 お願いの前提が崩れてしまった以上、君におごるケーキはない。

「いったい、何をさせたかったんですか」

「まんいち……ていうか、確率はもっと高そうだけど、渡辺君と桜子がうまくいって、マキちゃんの失恋が決定したとき、彼女に引導を渡す役割、して欲しくてさ」

「うわっ」

「あきらめて、次のオトコ、いけって」

「……たとえ親友だったとして、てか、親友だったらなおさら、そんな役目、したくないです」

「そーだよねー」

 背面アプローチ考案者として、私が頭を下げるべき場面なのであろう。けれど、スライディング土下座から焼き土下座まで、私がどんなに華麗にゲザろうとも、川崎さんの悲しみが癒されることは、なかろう。彼女がゲシゲシと土足で私の頭を踏みつけたところで、被虐趣味が花咲くことはあっても、恨みつらみの解消にはつながらないのではないのか、と思うのだ。

 ここは一発、親友の心のこもった励ましが、一番のクスリ、と思って古川さんをスカウトしたんだが……。

「ようするに、庭野先生の責任逃れのスケープゴートになってほしいって、ことですよね」

「……川崎さんは、自分を責める人であっても、誰かを血祭にあげるタイプじゃ、ないけどね」

 粛々とチーズケーキを口に運んでいた木下先生が、初めて口を開く。

「そういうことなら、私に任せてください」

 手とり足とり、もっと別な部分もとって、イロイロと慰めてあげます。

「もっと別な部分って……」

 目をらんらんと輝かせた木下先生に、私のツッコミはどーやら届かない。

「ああいうイモむす……素朴なタイプをお世話するの、決して嫌いではないですし」

 そういえば、おしっこもらしちゃったマキちゃんパンツを、いそいそ手洗いしてたしな。

「オトコはもうこりごりなら、違う道もあるよーって、教えてあげてもいいかな、と」

 道を踏み外させる、の間違いじゃなくて?

「ねえ、古川さん」

 イモ娘が、我が秘書の毒牙にかかりそうなんだけど。

「もー。分かりましたよ。分かりました」

 少しやけっぱちなしゃべり方で、古川さんは覚悟を決め、再びスイーツをパクつきだした。

「けど、本当に、赤の他人と紙一重の自分が、失恋宣言なんてしちゃっていいんでしょうか」

「誰に言われたところで、失恋したときは悲しくなるさ。そして、失恋したときには、誰でもいいから慰めてほしくなるものさ」

 密約決定後、私は古川さんもデート尾行隊に誘った。

 彼女は、首を横に振った。

「私の出番、デートの後なんでしょう?」

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