第20話 イモ娘、ようやく一皮むける
「川崎くん、お尻まる見えだよ。叩き放題になってるよ」
「……どうぞ、お好きなように」
我がイモ歴女の無気力ぶりは、文字通り、目を覆わんばかりになっていた。桜子と渡辺啓介のデート決定を知らせた翌日、背面アプローチの練習に、身が入らない。
いつもなら、過剰なくらいガードして、鼻先30センチどころか、2メートルところにも近づけないのに。いつもなら、スカートが0.000001秒めくれあがり、形も色も確認できないレベルのお尻をさらしても、涙目になって、私をにらみつけるのに。
理由は、分かってる。
でも、あえて声かける。
「どーしたもんだか」
「……友達が一人できました。代わりに、五人、なくしちゃったと思います」
「それ、理系ガールズのこと?」
「はい」
「仲、よかったんだ」
「趣味の仲間っていうか。彼女たち、ディープっていうか、濃い人たちで、オタ話とかさせると、すごく面白いんです」
背面訓練は、薙刀道場で彼女に宣言通り、応用編に入った。
内容はズバリ、「嫌いな男に嫌われるための、正面アプローチ」。
援助交際等、悪意の噂への対処会議をしているうちに、川崎マキが憧れの先生と自然に話す機会が、ちょっひ゜り増えた。それなら、背面での「攻め」だけでなく、不用意にドジを踏まないため、「禁忌」パターンも覚えておこうという趣旨である。
紙の本では最新の情報が追っついてこないので、インターネットでパーソナルスペース関連の資料をあさり、レクチャーの練習もしてきたきたのだが……。
「できた友達って、古川くんのこと?」
「ええ。一つ年下、サクラちゃんと同じ学年だけど、とにかくウマが合う子なんです。彼女も戦国時代や三国志やら、歴史を題材にしたゲームが好きだって、分かりました。将来はそういうゲームを作るプログラマーになりたいから、理系クラスにいるっていう子で……カップリングの趣味は全然合わないんですけど……」
「カップリング?」
「いえ。なんでも、ありません」
「落ち込んでいても、渡辺啓介とのデートには、たどりつかないと思うな」
「でも」
「その、古川君以外の女子メンバーと、友達やめた理由は?」
「えこひいきって言われました。てか、最初から友達だって思ってなかったって、言ったひともいて」
「ひどいなー。でも、あと腐れなくて、いいんじゃないかな。君は女の友情より、恋愛を選んだ。そもそも、女の友情は紙より薄いっていうし」
「庭野先生に言われると、なんだかムカつきます」
「失敬。ひとつ、質問だ。君がたとえ渡辺君と恋愛成就できなくて、幸せになれなくとも、渡辺先生が幸せな恋愛をしてほしいって、思わないかい?」
「何を言いたいんでしょう……あ。サクラちゃんのこと?」
「違う。真の恋敵は、我が粗忽な姪でなければ、古川君たち理工系ガールズでもない。我が庭野ゼミナールの人妻サキュバス、ヨコヤリ・ママだってことだ」
「どういうことですか?」
「悪意の噂の後日談、だ。今後また、似たようなことがあると困ると思って、理系ガールズ一人ひとりについて、少し詳しく調べてみたんだ」
「似たような、ことですか?」
「彼女たちが高校生で、塾内での話だから、君への悪口は悪口で終わった。社会人同士のやり取りなら、立派に刑事事件になってるよ」
渡辺啓介の受持ち21人のうち、女子生徒は6人である。
一人はれっきとした彼氏持ちの、ブラスバンド部員。一人は、オトコとの恋愛より『チャート式数学』や『物理問題精考』を愛する勉強の虫。そして三人目は真正のショタ好き。子供の気を引くためにロボットアニメに精通、そのうちミイラとりがミイラになったのか、自分でもロボットそのものの研究がしたくなったというお姉さんである。
「残り三人は、私の同類ですよね……みんな、オタク女」
「ああ。ま、オタクっていうより、アキバ系サブカル好きっていうほうが、正確かな」
三度のメシよりホモが好き、男女の恋愛なんて邪道と抜かす、ディープ腐女子ちゃん。「囲いのオタク」は数知れず、おっぱいが大きすぎて、コスプレの幅が限られることを嘆く「姫」。そして、広く浅く薄く、ジャンルを問わないゲーマー、古川さんだ。
「彼氏持ち、恋愛興味ナシ、ストライクゾーンが特殊。つまり、最初から渡辺君を狙っている相手は、いなかった。で、不思議に思った。えこひいきをえこひいきと認めるのは、要するに、渡辺君を狙っている女子が嫉妬してだ。関心がないなら、売春女なんて、ひどい悪口を流したりするだろうか」
「庭野先生、何が言いたいんでしょう」
「ヨコヤリ君に、相談された。ママが暴走しそうだって」
息子によると、ヨコヤリ・ママはストーカー気質の女性らしい。
学生時代はロックバンドの追っかけをしていた。
社会人になってからは、野球選手。
ヨコヤリ君が生まれてからは、同級生のお父さん、お兄さん。
度が過ぎて、旦那さんに危うく離婚されかかり、いったん病気の虫は収まった。
最近はヨコヤリ君自身に、しつこく、粘着質に、つきまとっている。さすがに学校までは、ついてこない。でも、家では、風呂の中から布団の中まで、文字通り、ピタリとくっついて、離れないらしい。
「……ヨコヤリ・パパが、お説教してくれて、息子さんへの過保護はいったん、収まった。いや、なんぼかマシになった。しかし、代わりに、息子の塾講師へのストーカーが始まった……」
「浮気、とかではないんですか、それ」
「うん。ヨコヤリ君の友達のお父さん、お兄さんたちをストーカーしたときも、その……一線を越えたことは、なかったそうな。けど、ターゲットのお家の郵便物を抜き取って、こっそり交友関係を調べたり、公園で遊んでいるところを誘拐まがいに連れ出して強引にデートしたり。家族旅行に尾行してきたときもあったとさ。あげくの果てには、先方の奥さんに襲いかかったり」
「おそいかかった?」
「どういう理屈だかは知らないけど、その奥さんと別れて、私と再婚したほうが幸せになれるから、とか言って、殴りかかってきたそうだ」
ヨコヤリ・ママは、自分が先方の旦那さんと浮気しているからと、面談を申し込んだそう。応接間に通したヨコヤリ・ママを、旦那さんのほうは、浮気どころか面識が全くない、と言ったらしい。ヨコヤリ・ママは、旦那さんの個人情報……ボーボーの胸毛の生え方まで、見てきたように、語ってみせた。それでも、ターゲットにされた旦那さんは、知らないと言い張った。かわいさあまって憎さ百倍、ヨコヤリ・ママは、旦那さんに連続往復ビンタを食らわせた。
「傷害罪じゃ、ないですか」
「撃沈した旦那さんに代わって、奥さんのほうが、ヨコヤリ・ママに反撃した。柔道の有段者だったらしくて、返り討ちにあったとさ」
ヨコヤリ・パパが、先方の玄関で土下座、大枚の慰謝料を積んで、被害届だけは勘弁してもらった。相手奥さんの大外刈りで、ヨコヤリ・ママのあばら骨にヒビが入っていたのも、ポイントになったのかもしれない。苦しい息を絞るようにして、土下座するパパの傍らで、「過剰防衛で訴えてやるから」とヨコヤリ・ママはわめき続けたそうな。
「アタマの病院に行ったほうが、いい案件では?」
「ま。ヨコヤリ君、苦労してるって話だ」
今のところ、渡辺啓介に女の影はない。
しかし、桜子とのデートの事実が知れ渡った日には?
「サクラちゃんが危ない、ですか? 庭野先生」
「まあね。渡辺くん自身も、ヤバいかも。別の意味で」
高校生の子持ちで、性格に難あり。でも、見てくれと色気だけは抜群なのだ。ヨコヤリ君曰く、今回は、今までと違い、本当に浮気しそうだ、という。手練手管を駆使されたら、あの真面目男だって、どーなるかわからない。
「イケメンの弟か、かわいい妹、欲しくない? とヨコヤリ君自身、ママに聞かれたってさ」
「息子に堂々と宣言してから、浮気する母親って……」
「ヨコヤリ・パパは、息子が成人するまでは母親が必要だろうからって、今まで離婚を我慢してきた。でも、本当に浮気したら、今度こそ別れるだろうって」
「ヨコヤリ君自身は、どーなんですか?」
「ストーカーのスイッチが入っていないときは、いい母親なんだそうだ。若くて美人の自慢のママで、しかも献身的に息子に尽くしてくれる」
「でも……」
「ヨコヤリ・ママの渡辺啓介攻略は、既に始まっている。彼を慕っていたイモ歴女に対して、悪意のデマを流して、実害を与えた」
「……」
「ヨコヤリ君自身に、ミッションを頼まれてるんだ」
母親の野望を、阻止してくれ。
「具体的には?」
「だから、渡辺君と、桜子のデートのガードだよ。ついでに、二人がうまくいかないように、このデートをぶっつぶす」
「……」
「川崎くんは、桜子と渡辺くんが、うまくいきそうだって思って、落ち込んでるんだろ。そして、それが渡辺君自身の幸福だと、信じてる」
「ええ。まあ、そんなところです」
「違うぞ。二人のデートの失敗こそ、渡辺啓介が幸せになる道のりだ」
「なんだか、都合よく言いくるめられているような」
「実の母親が憎くて憎くて仕方ないから、逆のタイプの女性が好き。そんな気持ちでする恋愛がうまくいくと思う? よしんばうまくいったとして、幸せな、楽しい恋愛になると思う?」
「それは……」
「渡辺君は高スペックの男だから、順風満帆のときには、それでも楽しかろうよ。でも、お母さんへの憎しみがあるうちは、どこかそれでうまくいかなくなる。あるいは、うまくいかなくなって、余計、ご母堂への憎しみが募る」
「それだけ聞くと、なんだか渡辺先生がかわいそうな人に、聞こえます」
「彼を実母の呪縛から解放してあげるのは、彼のことを心底好きになって、周囲からも祝福されるような女の子だよ。ついでに、渡辺君の母親にどことなく似てはいるけれど、真逆な面を合わせもっているような女の子なら、なおいい。自分が知っている限りでは、そんな条件に該当する女の子、ひとりしかいないんだけどな」
「……がんばります、庭野先生」
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