第19話 決心し直し、あるいはヒロインというキャラについて
夏休みに入る直前の日曜日。
私は川崎マキの母親がやっているという道場の片隅で、アグラをかいていた。
彼女の自宅を訪ねるのはこれで二度目。前回は庫裡のほうを案内されたので気がつかなかったけれど、付設の薙刀道場のほうが、立派に見える。
柔道、剣道場は県内に多々あれど、薙刀というのは珍しいらしく、それなりに繁盛しているとのこと。講堂で案内を乞うても誰も出ず、私はまっすぐに道場に向かったのだった。
静かだ。
蝉の鳴き声が、やたらうるさく聞こえる。
いや、もうひとつ、道場に響き渡る声があった。いうまでもない、我らがヒロイン、川崎マキの気合である。白い胴着に紺の袴。凛とした横顔、落ち着き払った目線。塾で見せる、モグラのような根暗娘とは別人のようだ。
二人一組で、半ダースくらいの門下生が、練習している。薙刀の稽古というから、やたら棒で打ち合いでもするのかな、と思っていた。でも、私の見ていた限り、棒は身体に触れてない。型の稽古、というヤツらしい。
待つこと、三十分。
ようやく休憩時間だ。
手ぬぐいで汗を拭きながら、マキちゃんが私の前に正座する。応接室に通す、というのを制して手短に挨拶だ。
「お母さんは?」
「おじいちゃんを、デイサービスに連れていきました」
「お父さんは?」
「法事です」
「おばあちゃんは?」
「……」
「ごめん。誰か、責任者のひとって、いる? お母さんの次に、偉いひと」
「うーん。私、かな。一応、師範代格、なんです」
「電話、男からだととりついでもらえないって言ってたから、直接きちゃったけど……」
「もちろん、OKです」
「こわい鬼たちがいないなら、ここで内緒話しよう」
私はラーメン屋での渡辺啓介との会談を、手短に伝えた。
「なんで、今ごろ、そんなこと……」
「傾向と対策」
「ハイ?」
「まあ、聞きなさい。今の君みたいに、ハキハキしているのが、彼氏の好みなんだよ」
「改めて言われなくとも、分かってます。今の私、じゃなくて、サクラちゃんでしょ」
「う。まあ、そう」
「それで?」
「それで……塾での君みたいな内気な女の子って、どうも生理的にダメみたい」
渡辺啓介自身から聞いた、生立ちをかいつまんで話す。
彼が嫌悪している実母のこと。
反対に思慕している継母のこと。
残念ながら、マキちゃんが、その実母を彷彿とさせるキャラなこと。
じゅうぶん、オブラートに包んだ言葉を、発したつもりではあった。けれど、真意は伝わったみたいだ。川崎マキの目尻が、じわっと濡れてくる。
「私、振られたんですか……」
「何を言ってる。まだ、恋愛、はじまってもいないよ」
「……そうですね」
「なんのために、ノーパンミニスカで、さんざん修行をしてきたんだ。あの恥ずかしさ、スースーする感覚を思い出すんだっ」
「いえ、あんまり思い出したくないんですけど……」
微苦笑する、マキちゃん。どうやら、まだ余裕ありげだ。
「少し立ち直ったところで、追い討ちをかけても、大丈夫か?」
こういうとき、ネットで出回る流行文句は、便利だ。
「大丈夫だ、問題ない」
マキちゃんがきっぱり宣言したところで、私は告げた。
「ワタナベ先生とウチの姪、デートの日付、決まったよ」
「えっ」
「桜子、何度も断りはしたんだけど、しつこさに根負けしちゃったらしい」
「サクラちゃん、そういうのに根負けするようなキャラじゃ、ないような……」
さすがに、プティーさんと私が交際し始めたことに対するアテツケ、とは言えなかった。
「まあ、いろいろ事情があるんだ。乗り気でないのは、確かだ。てか、妨害してくれ、と遠回しに言われた。だから、今日は、その傾向と対策に来たんだ」
「……デート、行くんですね」
「うん。でも、絶対これっきりっだよ。告られても、ウチの姪なら、きっぱり断る」
桜子は、絶対、君を裏切らない。
粗忽で、男勝りで乱暴者ではあるけれど、友達を裏切るようなことはしないタイプだ。
私が力説して述べると、川崎マキの表情が、どんどん優しげになっていった。口元には微笑を浮かべている。目つきがやたら、透明になっている。目の前に私がいるのに、全然見えてないような、感じ。
「サクラちゃん、幸せになるといいですよね」
「は?」
「確かに、私みたいなネクラより、ああいう元気なタイプのほうが、ワタナべ先生には、お似合いかも」
「ちょっと、待て」
「いいんです。私、ピエロの役、これが初めてじゃないですから。憧れのひとと、親友くっつける応援、何度もしてきたんです」
「おいおい」
「先生、もう何も言わないで。みじめになっちゃう。それに、私には政宗様や小十郎様や兼継様や幸村様がいるから。本当、大丈夫っ」
そういきなり、現実逃避するなよ。
四百年前の戦国武将は、君をプラネタリウムにも水族館にも、連れていってくれないぞ。
「今川義元や武田信玄にしても、あっさり恋愛諦めるヘタレ歴女なんか、眼中にないって言うかもな」
「それなら、それで、いいです。あんな厚化粧のお公家さんとか、お父さんみたいな入道頭とか、興味ないですから」
激励のつもりで言ったのに……どうして、そう、斜め上の反論をするんじゃあっ。
「それに、最初のデートなら、プラネタリウムとか水族館より、登米の明治村とか、行きたいなあ」
水沢県庁記念館や警察資料館で、記念撮影。板張りの廊下を慣れないブーツ姿で歩くマキちゃん。窓辺によりかかって、新緑あふれる庭園を見る。うーん、絵になる。手をつなぎたいけれど、自分では言い出せない。モジモジしながら、汗ばむ手のひらを閉じたり、開いたり。そちらに神経が行き過ぎて、足元がお留守になる。ここで、ドジっ子の本領発揮。足首を軽くひねって、コケそうになるのだ。すかさず腕をとり、胸に抱きとめる渡辺啓介。
「二人はそこで目があって……ねえ、先生、聞いてます?」
「聞いてるよ」
てか、なんで最初のデートで、なれないブーツなんかはいていくんだよ。チマタのデートマニュアルには、はき慣れた靴、とか書いてないのかな?
「それはですねえ、私が大正時代の女学生のような、おしゃれをしていくからですっ。生成りに紫紺の矢絣ついた着物、ちゃあんと持ってるんですよ、私。袴は臙脂と紺、どちらがいいと思います? あ、あと、衣裳に合わせてリボンとかつけていったら、ドン引きされるでしょうか?」
彼氏には、もちろん旧制高校の制服を着せて。マントに角帽というのが素敵っ……と言われてもなあ。いくら隠れオタクでも、そこまでの趣味はないような気がするが。
「そこは、ほら、先生お得意の洗脳で」
「いや、マキちゃん。洗脳なんて、全然得意じゃないから」
もはや突っ込むというレベルじゃないな、おい。
「最初の成功で気をよくしたワタナベ先生は、次のデートで勝負をかけるべく、ホームグラウンドの仙台を次のデート場所に選ぶんです。定禅寺通りの並木道を散策したり、クリスロードでウインドウショッピングしたり……」
「夜の国分町に繰り出したり、駅前・駅裏のオタクショップを回ってみたり?」
「ワタナベ先生に、そんな怪しげな趣味、あるわけないじゃないですかっ。庭野先生、自分と一緒にしちゃ、ダメですよ」
ずいぶん美化したもんだな、おい……てか、私のほうは、怪しさいっぱいっつうことかいっ。
「告白してもらうのは、街中より、もっとロマンチックな場所がいいですよね。仙台空港が見えるレストランで、飛行機が飛び立つのを見ながら、僕も一緒に舞い上がりたい……とか、どこか少年っぽい、あどけない笑顔でつぶやいて、手を握ってくるんです……そこからは……きゃーっ、エッチ、先生、言わせないで」
ああ……もうすっかり、自分の世界にはりま込んじまって……。
「結婚式は海外で、二人だけで、とかがいいなあ。庭野先生、オーストラリアとかニュージーランドとか、おしゃれなチャペル、紹介してくれませんか? え? 全然知らないんですか? うーん、そうですよね。サクラちゃんのツッコミじゃないけど、先生、縁遠いそうですもんね」
だから、一言余計だっちゅーの。君はウチの姪か。
「……お母さんに言ったら、お寺の娘がキリスト教の教会でなんてって、反対されそうだし……あ。でも、子どもいっぱい作るって約束したら許してもらえるかも。一人はお父さんみたいなお坊さんに、一人はお母さんみたいな薙刀の先生に、一人はワタナベ先生みたいなエンジニア? かな」
「川崎くん。それ、ちょっと違うかも。ワタナベ先生、工学部と言っても、専攻は建築系じゃなかったかと思うんだが。エンジニアって言うより、建築家とか、設計士の世界じゃないのかなあ」
彼氏にしたいひとの専攻くらいチェックしておきなさい……軽くたしなめようとする私の胸に、川崎マキがどさりと上半身を預けてきた。
あれ。気分が悪くなったのか?
両脇から二の腕を掴んで起こそうとするも、顔が上がってこない。
どうしたんだ……。
気がつくと、川崎マキは震えていた。
汗が冷えちゃったのか……いや、違う。
くすんくすん。
鼻を鳴らす音だ。
涙を流さず、川崎マキは泣いていた。
くすんくすん。
だんだん音が大きくなってくる。
困った。
本当に、困った。
道場の片隅で、薬缶の水やら、スポーツドリンクやらを飲んでいたお弟子さんたちが、いつのまにか薙刀片手に私を囲んでいた。
それも、すごい剣幕で。
待て待て、私がいじめたわけじゃないぞ。
とにかく、五体満足でこの道場を出るためには、彼女たちを落ち着かせるしかない。
しかし、彼女たち、この事情をどれ位、知ってるんだろう。
一番若く見えるお弟子さんが、そっと川崎マキの肩を抱いていた。黒髪ロング、瓜実顔の和風美人だ。
彼女相手に、手短に事情を説明する。お弟子さんたちの半分が、ため息をついた。やはり道場でも、川崎マキは、いつもの川崎マキらしい。ただ薙刀を握っているときは、性格が変わるらしい。試合のときの、千分の一の勇気があればねえ……誰かが、私に聞こえるようにつぶやいている。
彼女の嗚咽が収まったところで、私は言った。
「川崎くん、もう一度言うよ。諦めたら試合終了なんだ。君は、まだ、渡辺啓介に塾での一面しか見せてないんだろ?」
「……でも先生。どうしろって言うんです?」
「背面アプローチの奥の手、残ってないこともないんだけどね」
私の図書館で既に修行済みの君なら、すぐにでもマスターできる。
四十八手のうち、四十八手目、「丸見え」だ。
「あの……庭野先生? なんかそのネーミング、ものすごくいやな予感がするんですけど」
「最終奥義だからなあ。多少露骨なのは仕方がない」
方法は至極単純。ミニスカ・ノーパン姿で、床の雑巾がけをする。なるべくお尻を高くかかげたり、上下左右に振ったりしたら、より効果的かもしれない。お目当ての彼氏に後から近づいてもらえば、じゅうぶん過ぎるくらいのセックスアピール、完成だ。
「私だったら、絶対イチコロになるけどね。たぶん渡辺啓介だって、同じだと思う。彼氏の鼻の下とヘソの下がぐーんと伸びれば、成功。まあ、下手すると違う字のセイコウになっちゃうかもしれないけど」
ゴツンッ。
後頭部に鈍痛。
目から火花が出るような、衝撃。
気がつくと鬼のような形相で、例の瓜実顔の美人が、薙刀をかざしていた。
「下品っ」
彼女に続いて、次々薙刀が振り下ろされようとしている。
「うおおおお。暴力、はんたーいっ」
「安心しろ。峰打ちだ」
「稽古用の薙刀に、峰なんて、あんですか?」
瓜実顔の美人が、ため息をついて言う。
「庭野先生、ホント、口が減らないタイプなんですね……かねがね噂では聞いてましたけど……げ、ひ、ん。彼の前で一言も口をきけないようなヘタレ娘が、色情狂みたいなマネ、できるわけないでしょっ」
他に善後策はないの? と後ろのほうに控えていた初老の女性が言う。
年の功か、落ち着いている。
私は、渡辺啓介の女性の好みについて、繰り返し説明した。
「だから、この道場で、さっき練習してたみたいな姿、彼氏に見せればいいんですよ。そう、この道場に見学に来てもらう、とか」
ホームグラウンドで戦えばいいんですよ。サッカーと一緒です。
川崎くんを介抱していた瓜実顔の美人が、すかさずツッコミを入れる。
「でも庭野先生。その後、どうするんです? 毎回デートは道場でするんですか?」
「うーん」
「それとも、映画館とか、水族館とか、デートに薙刀持っていけとでも?」
「そうですねえ……。デートには、難しいかもしれない。けれど、デートの妨害になら、持ってっても、大丈夫じゃないかな」
「デートの妨害?」
「ええ。そのために、背面アプローチ応用編のトレーニングに、誘いに来たんです」
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