第18話 続・お見合い19回目の後日談
「チビ・ハゲ・デブで童貞のオッサンだって、恋をするよっ」
「それは、同居の姪に?」
「いや。マリリン・モンローばりにグラマーな、秘書さんにさっ」
クスクス笑いながら、プティーさんが言う。
「ずいぶんと自虐的なのね、ダーリン」
「昔は江戸屋猫八ばりに、動物の鳴きまねに凝ってみたことも、あったさ。でも生徒ウケするのは、こっちの自分をネタにする芸風だって分かったんだよ、ハニー」
「ダーリン、ハニーか……」
「何かヘン? 川崎さん」
「いいえ。でも、違和感バリバリで。その……本物の恋人じゃ、ないんですよね」
「ああ。なぜか桜子にはすぐにバレた。木下先生にも、すぐにバレるかな?」
「あら。ダーリン。ウソの恋人っていうほうは、すぐにバレてもいいんでしょ」
「そうだった。あれ、どーしたの、川崎さん?」
「ややこしくて。頭がこんがらがって」
「さもありなん。でも、こんがらがったままでも、いいからね。私の、いや、私たちの味方になってくれれば」
「オモラシしちゃったパンツを、親身に手洗いしてくれた人をだますのは、ちょっと気が引ける?」
「プティーさん。その話は、しないでくださいっ」
顔を真っ赤にして下を向いてしまった川崎さんの肩を、私はぽんぽん叩いて、言った。
「ウキ、引いてるよ」
私たち三人、私と川崎マキちゃんとプティーさんは、桃生町追波川支流に、渓流釣りに来ていた。北上漁協に払う遊漁券3人分で九千円はちと痛いけど、これも勉強のため、渡辺君攻略のため。そう、彼の趣味である渓流釣りにいつか連れていってもらうため、ひそかに下準備に来ていたのである。
マキちゃんは全くの初心者で、道具をそろえるのが大変だ、と言っていた。けれど、年季の入った長靴に日焼けした麦わら帽子、そして腰に下げた手ぬぐいと、スタイルだけはばっちり決まっている。デートの一環としていくなら、見た目重視でおしゃれしていかなきゃ、とプティーさんは苦言を呈したけれど、そもそもそのおしゃれがどーいうのだか分からない、とマキちゃんは首をひねっていた。イモ娘にとっては、質実剛健こそが、美の基準らしい。イモ娘とは、田舎そのものよりも農林水産の現場から生まれ育つものだな、と私は実感する。プティーさんのほうは、釣り針につける生餌が気持ち悪い、とか言って、うまくシカケを作ることができない。インスタに上げる写真が撮れればいいの……と、このインド系石巻人は開き直って写真ばかり撮っていた。
私はキャンバス地の折りたたみ椅子に腰を下ろす際、なぜか釣り竿を尻に敷いてしまった。安くもない釣り竿が台無しになったのが悔しい。まあ、弘法筆を選ばずと言うし、テグスが健在なら、魚はかかるだろう。
ヤマメやアユの塩焼きと聞いて、当然我が姪もついてきたがった。
しかし私には、桜子には話せない秘密の相談があったのだ。
単なる講師から秘書に格上げして、はや一年半。ちっともなびいてくれない木下先生攻略の、密議である。
もちろん、私には見合い相手がいる。
そう、くだんのプティーさんだ。
師匠の親心も分からないでもない。
でも、今度の見合いも失敗したら、どーなるのだ?
プティーさん自身が、どこまで本気だか、分かったもんじゃない。
一妻多夫主義を公言し、デートに実弟を連れてくるひとだ。
この交際は練習であり勉強だ、とも公言する人だ。
明日にでも、バイバイされる可能性、なきにしもあらず。
それで、インド人の次はどうなる? タンザニア人? はたまた、ブラジル人?
肌の色や国籍が違えど、妙齢の女性に振られる自信は、大いにある。目を白黒させて、ヒンディー語だのスワヒリ語だのポルトガル語だのを勉強する前に、手が届く範囲にいる和製マリリン・モンローを恋人にすれば、いいのだ。私は、石巻グランドホテルに木下先生をエスコート、仙台牛のステーキとイタリアワインのディナーで彼女を口説いた。
返事は「条件付きの、ノー」だった。
彼女曰く、木下先生は「男性も好きだけど、女性も好きな女性」なのだそう。パートナーにするなら、要するに恋人にするなら、同じ趣味の人を……つまり「女性も好きだけど、男性も好きな男性」がいい、という。
「塾長は、どうですか?」
私が返事をしあぐねていると、彼女はそそくさと帰ってしまった。
おひとり様二万円以上のコース料理は確かに絶品だったが、神通力は通用しなかった。私はさらに酒を飲んだくれ、二人ぶんの名前でとった部屋で、一人泣きぬれたのである……。
誰にも内緒にしていたはずの失恋は、なぜか次の日には塾の全講師が知っていた。それどころか、桜子や梅子、はてはプティーさんにまで、まんべんなく情報は漏れていたのである。
失意の私を慰めてくれたのは、恋のライバルであるはずのプティーさんである。
公式には見合い後、結婚を目指しての交際をしている真っ最中のはず。私の「浮気」をとっちめて当たり前の立場であるのに、このインド系石巻美人は、「秘書さんとの恋愛、応援してあげる」と励ましててくれた。
彼女の内心が、このときは全く分からなかった。
善は急げとばかりに、私は翌々日蛇田のイオンに呼び出された。和風喫茶の喜久水庵にのこのこ出張ると、いつもセットで来ているテンジン君がいなかった。プティーさん自身は、なぜかターコイズブルーのサリー姿という非常に目立つ姿である。民族衣装を来ている彼女を見て、エキゾチック美人であることを再確認した。
「……弟のためではあるけれど、弟にはちょっ都合が悪い密約しようと思って」と彼女は悪びれずに切り出した。あれ。切り出しから、話の雲行きが怪しい。
「木下先生との恋愛を応援してくれるっていう話は?」
「せっかちにしないで、聞きなさい」
プティーさんは私にも抹茶パフェを頼んでくれると、スプーンで優雅に一口、食べたのだった。
「私が一妻多夫主義者ってことは、知ってるわよね」
イエスである。
「私がブラコンで……じゃなくて、テンジンがシスコンであるのは、知ってるわよね」
まあ、あのデートの様子だと、そうなんだろうな。あ。イエス、です。
「じゃあ、私の一妻多夫主義が、テンジンとのイケナイ男女交際をカムフラージュするための口実だってのは、知ってた?」
「そうなんですか?」
「狭い街だからね。隠れてデート、隠れて交際ってのが、できないのよ、石巻じゃ」
ダミー彼氏がいれば、三人デートをしても、周囲を納得させられる。インセストな交際を認めてくれる知人身内は皆無だが、チベットという出自のお陰で、一妻多夫主義はなぜか容認される。
「私と弟の仲を知っていて、彼氏のふりして変則的交際ができる人。ずっと探してたのよ」
「はあ」
プティーさんはいいかもしれないけど、ダミーにされる男は、たまったもんじゃないだろう。
「そこで、密約よ。相互の助け合いよ。庭野センセが、私たち姉弟のダミー彼氏になってくれるなら、ウチのテンジンを代わりにダミーとして貸し出すっていうのは、どう?」
「は?」
つまり、である。
私がプティーさんの協力をもらって、木下先生につくウソは、こうである。
私こと庭野卓郎は、一妻多夫主義者のプティーさんの意見に賛同して、テンジン君を含めた三人で男女交際をしている。でも実は、それは世間一般を欺くために方便である。本当は弟思いのプティーさんがうった芝居なのだ。バイセクシャルのテンジン君と私が割りない仲になってしまったけれど、それでは外聞が悪いので、代わりに姉であるプティーさんが、ヘンな結婚観の持ち主という汚名をかぶって、弟をかばっているだけなのだ、と。これであとは、テンジン君がボロを出さなければ、バイセクシャル卓郎の完成であり、大手を振って木下先生を口説ける……。
どっちにしろ、私とプティーさんが恋人のふりをしなければならない、というところは、面白いかもしれない。とりあえず、お互いを「ダーリン」「ハニー」呼ばわりして、どれくらいの人がだまされてくれるか、周囲の反応を見ることにした。
桜子が、すぐにウソの恋人ごっこを見破ったのは、前述のとおりである。ついでに、テンジン君と私がアヤしげな関係でも何でもないことも、すぐにバレた。けれど、いいのだ。ターゲットの木下先生さえ、何とかごまかし通せば、それでいい。
証拠写真があったほうがいいわよねえ……とプティーさんは私とテンジン君と三人で家デートをしてくれた。意味があるかどーか分からないけれど、彼女が王様ゲームを企画し、弟さんは下半身すっぽんぽんの姿で私にキスする、という「罰ゲーム」を食らうことになった。テンジン君と私のラブラブショット写真は、その後大量に焼き増しされた。写真は姉の手によって関係者一同に配布され、テンジン君は三日間引きこもった。
その後木下先生と私は「恋人未満」という関係が続いてはいるけれど、妙な連帯感で「彼氏」のことを応援されているような気がする……。
ギブ・アンド・テイクというヤツで、今度、マキちゃんにも「木下先生攻略」の作戦チームに入ってもらいたい。プティーさんとマキちゃんをわざわざ顔合わせさせたのは、こーゆ意味もあってのことなのだ。
「川崎さん、何か質問ある?」
「あります。バイセクシャルなんて秘密、ぺらぺらしゃべってもいいんですか?」
「本人曰く、積極的にオープンにしているわけではないけれど、隠してもいない、だそうだ。告白して、振った相手には漏れなく告げている、とも教えてもらった」
「フラれて、悪意で情報を広める人だって、いますよね」
「木下先生の場合、好みピッタリの男性を探し出すためには、自分の性癖をどーしても晒す必要性があるからね」
「そして、それを庭野先生が利用しようとする?」
「利用だなんて、失敬な。……木下先生がバイ男性を求めているのは、同じ性癖の人なら、自分のことを理解できるかも、という考えによってなんだよ。普通のノンケの男性だって、彼女のことを理解できるんなら、十分彼氏になる資格は、あるんじゃないかなあ。私はテンジン君を踏み台にして……もとい、きっかけにして、インフォーマルな場面でも、お近づきになりたいだけなんだよ」
再び釣り糸がひき、竿がしなるが、川崎さんはもう川面を見ちゃいない。
「私、プティーさんのほうにも、質問があるんです」
「あら。近親恋愛どーのこーのって、いうこと?」
「そうです」
「好きになった相手が、たまたま実の弟だった。近親恋愛を差別するな、なんていう原理主義的な事を言って、世間の良識とやらと徹底抗戦するつもりは、ないの。けれど、自分の気持ちを偽るつもりもない。だから、こんな形で目的を成就させるつもり。それで幸せになれば、いいんじゃない?」
「そうでしょうか」
「木下先生もたぶん同じスタンスよ。川崎さん、あなたはどーなの? お祖母ちゃんが尼になれって言ったら、頭を丸めて出家する人なの? 渡辺センセの好みのタイプじゃないっていう、又聞きの情報だけで、そのまま引き下がる人なの?」
「それは……」
「私や木下先生から言えば、あなたが考えている恋愛の障害は、障害でもなんでもないと思うな」
考えこんでしまった川崎マキちゃんは、せっかく釣り針に引っかかってくれたヤマメをその後五度取り逃がした。もとより写真ばかりとっていたプティーさんに釣果はなく、私もボーズだった。
「サクラちゃんを連れてきたら、よかったですね」
「いやさ、マキちゃん。あいつ、あれで釣り達者なんだよ。横にいると、からかわれちゃうんだ。父ちゃんが名人なんだ」
出がけに父娘にからかわれたので、絶対大漁だと、大見えを張って出てきた。
お陰で、その日の庭野家の夕食は、ごはんとみそ汁、タクワンだけだった。
メインディッシュ用の大皿には、「やまめ」と書かれたB4のコピー用紙が「盛りつけ」られていた。
私は、桜子に白い目で見られながら、コピー用紙をもしゃもしゃ食べるはめになった……。
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