第17話 桜子のあまのじゃく的デート事情

 昼はともかく、夜は涼しくなる東北の夏。

 私自身暑苦しい男だが、姪もまたヤンデレ・ツンデレで、なかなか冷めないタイプの娘であることを、記しておこう。


「タクちゃん。また、見合い?」

「修行だよ」

 裏庭に面した板敷きの部屋で書道をしていると、珍しく桜子が興味を示してきた。「和」テイストで塗り固めた修行場に、ピンクのダブダブパーカーの女の子はそぐわない。半ば無視して墨を磨っていると、姪はむくれた。私のように、作務衣みたいなのを着てないと、黒いのがつくぞ、と脅すと、引き戸の桟に腰を下ろした。

 芸事は何でも同じだと思うが、篆刻も修行を怠ると、たちまち腕が落ちる。ハンコ彫り作業から連想するのか、素人ほど彫刻どうのこうのという話をしたがる。しかし、基本は「書」であり、篆刻はその派生だ。週に一度は篆書の模写をする。一応、号ももらい、印章彫刻技能士の資格もとり、篆刻家として「開業」もしているけれど、印章作成の依頼が来たことは、ない。

 神棚下のサイドテーブルに、釣書が出しっぱなしだった。

「だから、見合い、したんでしょ?」

 目ざとく見つけ、桜子はパラパラとめくった。

「なかなかの、美人さんね」

「……ああ。一昨日、会ってきたばかり。ていうか、ここにも来たぞ」

 仲人さんを通して、返事待ちなのである。

「まったく。お母さんたら。懲りないなあ」

「いや。今回、話を持ってきてくれたの、師匠だ」

 私の篆刻の師匠・東海林先生は、山形は天童の住まいで、そもそもは将棋の駒職人だ。石巻とは距離があるので、最近めったに会ったりはしない。先日珍しく電話をくれて、そのヤボ用というのが、見合いの話だった。

「外国のひと?」

「チベット系インド人だそうだ……生粋の石巻生まれ、石巻育ち、らしいけど」

 名前を、山田プティーさん、という。祖父母の代で石巻に来て中華料理店を開業、お父さんが日本人と結婚した。プティーさんは、いわばハーフだそうだけれど、お父さんのほうの血が濃いのか、顔は完全にインド顔……いや、チベット顔? だ。

「てか、インドから来たのに、カレー屋さんじゃないんだ」

「質問、そこ?」

 プティーさん自身は、調理師の免許を取ったあと、学校の給食施設に就職したそうだ。女性ばかりの職場で出会いがない。エキゾチックな風貌は魅力的だと思うけれど、東北の片田舎では需要がないのか、合コン、見合い、友人の紹介……と出会いの場に何度も臨んだものの、「素敵な男性」とはご縁がなかった、そう。

「外見、インド人だけど、中身は生粋の石巻人なんでしょ? せっかくの美人なのに、料簡の狭い男、多いのねえ」

 インド人じゃなく、チベット系インド人な。

「いや……それがな……実は、中身、一癖も二癖もあるタイプでな」

 プティーさんの祖父母だが、実は祖父が二人もいるという。

 彼女のご先祖様の出身地、チベットの山村では、一妻多夫制という結婚風習があるそうだ。お嫁さんは、旦那さんと結婚したあと、その弟とも結婚する。生まれてきた子供は兄のものになり、弟のほうは叔父さんと呼ばれるようになる。

「で?」

「プティーさんは、おばあちゃんをたいそう尊敬している人でな。お金と、子供と、旦那さんは多ければ多いほどいいっていうのが、そのおばあちゃんの信条だそうでな」

 将来は私も二人目の夫が欲しい、と見合いの席で堂々宣言してみせたのだった。

「……ずうずうしいなあ。最初から浮気しますって宣言して、見合いだなんて」

「浮気じゃないよ。夫、二号だ」

 ちなみに、二号を選ぶ権利は一号にあるのだそう。プティーさんのご先祖の村では、兄弟が二号になる例が圧倒的だったそう。

「へー……」

 交際が決まったら、今度は二号選びのために、三人見合いをしましょうね、と彼女は屈託なく笑って、見合いを締めくくったのだった。

「どうだ。中身もなかなか、日本人離れしているだろ」

「タクちゃん、そこ、自慢するところじゃないから。てか、そんなヘンな女、断りなよ」

「仲人さんには、もう、ヨロシクお願いしますって返事しちまったよ。何より、師匠の奥さんに説得されちゃって。一度でもいいから、年齢イコール彼女いない歴に終止符を打ちなさいって。一度でも交際経験ありっていうのが、今後の自信になるのよって、言われた」

「そうかなあ」

「ま。練習であり勉強だと思って、さ。プティーさんのほうも、仲人に同じこと言われたって、言ってた。軽い気持ちでつきあい、軽い気持ちでゴメンナサイしましょう、恨みっこナシよ、だって。サバけた女性だよね。多少……ていうか、かなりヘンな女の子なのは確かだけれど、この先、これだけの美人でこれだけ相性の良さそうな女性と、めぐり合うことないだろうし」

「本当に、それでいいの?」

「だから、練習であり勉強だって」

「お師匠の関係で断りにくいなら、私が断ってあげるって」

「だから、そんなことをしたら師匠のメンツを潰すことになるだろ」

「タクちゃん。いくら適齢期の女性にモテないからって、プライドとか、ないの?」

「……交際が始まったら、その三人見合いの席で、相手を拒否しまくってやろうかなって、思ってるんだけど。彼女が、二号さんを諦めるまで」

「でも、おばあちゃんから受け継いだ信条なんでしょ」

「……どっちにしろ、今まで連戦連敗だったんだ。ダメもとでイエスって返事をしたんだ。桜子がいらん心配をしなくとも、ゴメンナサイされて終わりだと思うがな」


 しかし、あに図らんや、プティーさんはイエスという返事を出してきた。

 せっかちなタチなのか、単に行動力があるのか、次のデートには二号さん候補? を連れてきた。

 石巻駅前での待ち合わせに5分ほど遅刻してきた彼女は、背格好のよく似た彼氏を紹介して、言った。縦じまの白いシャツに地味なネクタイを合わせた、シックなおしゃれ。ファッションセンスは完全に日本人のそれ、なのだろう。プティーさん自身、銀行の窓口嬢が着ているような、落ち着いたスーツ姿である。

「待った?」

「今、来たところ」

 という、デート待ち合わせの黄金パターンを復唱したあと、プティーさんは、さっそく連れを紹介してくれた。

「正確には、候補じゃなく、(仮)二号よ」

 プティーさんの実弟、テンジン君である。姉同様、チベットの遺伝子が色濃く出ているイケメンだ。私が彫りの深い彼の容姿を褒めると、「本来のチベット人は日本人そっくりなんですよ、ウチは例外中の例外、インド顔です……」という意外な返事が返ってきた。

 彼は常識人で、一妻多夫には反対だという。姉とどれくらい年が離れているのか、頭が上がらないようだった。「練習台に、ぴったりでしょう」とプティーさんは笑った。狐につままれた気分のまんま、本当に三人でデートをした。仙台でウインドーショッピングをして、映画を見るという、ありきたりのコースである。案に相違して、楽しかった。姉弟の息がぴったりで、漫才コンビにつきあっている気分になった。石巻でこそ、二人は目立つ容姿だが、仙台の繁華街では、彼女たちを振り返ってみる人もいない。百万都市の余裕で、外国人も珍しくないのだろう。

 目から鱗が落ちる気分。

 石巻でなら、相手が「外国人」であるという理由から、この見合いを止めるひともいるかもしれない。けど、仙台でだったら、その手の偏見も、なかろう。なんだか少しだけ、彼女との距離が縮まったような気がする。

 帰りの仙石線の中で私が感想を述べると、プティーさんはその日一番の意味深な笑顔を浮かべた。

 じゃあ一妻多夫入門編の総仕上げね、と私にウインクをくれると、プティーさんは弟にべたべたとキスし始めたのだった……。

「タクちゃん、騙されてるよ、やっぱり」

「この場合、騙すっていうのは、隠れて他の男とつきあってたりする場合を言うんじゃないのか? プティーさんは正々堂々と、だぞ」

「じゃあ、洗脳されてるよ」

「そうかなあ」

「姉弟でキスなんて、気持ち悪い」

「彼女たちの国では、普通なのかもしれない」

「チベットにはそんな風習ないよ……たぶん」

「そうかなあ」

「それに、中身、石巻人なんでしょ」

「まあ、たぶんね」

「もっと……こう、普通っぽい女の人なら許せるけど。タクちゃんが、そんなヘンな女に引っかかるなんて、許せない」

「桜子、君は私のオフクロか」

「違うわよ。でも、許せないものは許せない。許せないったら、許せない」

 その日の夜、私がデートの顛末を報告すると、桜子はこうして不機嫌に不貞腐れた。お土産にエスパルで買ったゴティバのチョコレートを差し出しても、やっぱり不機嫌なまんまなのだった。そして私が、「これも勉強だと思うから、もう少し交際を続けてみる」と宣言すると、姪の不機嫌は最高潮に達した。


 桜子が本宅に戻ったまま、二世帯住宅のこちら側に戻ってこなくなったのは、それからである。

 塾でも口をきいてくれず、西くんや木下先生たちに、本気で心配された。

 私は、梅子に相談した。

 電話口からアルコールの臭いが漂ってくるかのような口調で、姉のほうは私をなじった。

「胸に手を当てて、考えて御覧なさい」

「……おっぱいはついてないけど、デブだから多少の脂肪はあるかな」

「あほ。そういうことじゃなくて」

「見合い相手、インド人ってところが、気に入らなかった。だろ?」

「違うわよ。どこの誰が相手でも、気に入らないのっ」

 鈍感男のために、梅子は懇切丁寧に教えてくれた。

「ウチのツンデレ娘は、同居中の冴えないオッサンのことが、気になって気になって、仕方ないのよ。そこに協力なライバル登場。負けヒロインになりそうで、すねちゃったってわけ」

「年の差恋愛の対象になるのは、もっと枯れた感じのオッサンじゃないの? ほら、ロマンスグレーとか言うじゃない」

「知らないわよ。蓼食う虫も好き好きって言うでしょう。一時の気の迷いにしたって、趣味悪って思うけど」

「本人に向かって、堂々というな、梅子」

「もう。プラムって呼んで言ってるでしょ……あの子のことだから、これからもっと分かりやすいツンデレ・リアクションをするわよ。かまって、かまってって」

「リアルにかまったら、君らのご両親から、白い目で見られそう。いい年して、高校生に手を出してって。そもそも、番犬代わりに、ここに住むことになったんだ、私は」

「でも、それなりにかまってあげなさいよ。暴走するわよ、あの子」

 梅子の予想は当たった。

 あんなにも断り続けていた渡辺啓介とのデートを、「受けて立つ」と桜子は宣言した。

 そして「私、本当はモテるんだから。後で後悔したって知らないからね、タクちゃん」と私を挑発したあと、「マキ先輩に悪いと思ったら、妨害しなさいよ」と分かりやすく「泣き」を入れてきたのであった。

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