第13話 イモ娘のサイドストーリー

 次の日曜日。

 すでに予定が入っていると言ったのは、ウソではない。

 私は川崎さんのお父さんに呼ばれ、寺詣でをしていた。お盆までには、まだかなり時期が早かったけれど、若い人たちが東京等から帰省するのに合わせてか、最近は墓掃除に来る人が多いとのこと。早朝の時間をさけて……とご住職からは連絡があった。

 我が塾から、クルマで小一時間も走ったろうか。

 鬱蒼とした竹林と、ビニールハウスの畑にはさまれた狭い道を上った先、目的地はあった。

 石巻の市街地ではほとんど聞けないヒグラシの音が、耳に快く届く。

 庫裡のほうの応接間は、どこにでもある普通の日本間である。一応江戸時代からの由緒あるお寺だそうだけれど、家族の住まう建物自体は、10年前に改築したばかりのツーバイフォーの一戸建てなのだそうだ。墨染の袈裟姿からして、法事のご予定でも? と問うと、「平日の9時から5時までは、供養の有無にかかわらず、きちんと僧衣でいます」というサラリーマンみたいな返事。

 麦茶を供されて、初めて気づいた。

 川崎さんが、私のことを「お父さんみたい」と言った意味だ。

 顔の造作は、似てないと言えば、あまり似てはいない。緩み切った私の童顔に比べて、住職のは毘沙門様のような少し険しい顔である。ドラえもんみたいな体型の私に比して、住職はアメフトのラインパッカーのような筋肉隆々でもある。けれど、どことなく、雰囲気がそっくりなのだ。

 漫才をやれば「ボケ」にまわり、妻をめとれば尻に敷かれ、娘にはデレデレとどこまでも甘い顔しかできない。

 私の感想に、ご住職は言った。

「もうひとつ、ありますな」

 彼は、つるつるにそり上げた頭を、自らぺたんぺたんと叩くと、ニヤっと笑った……。


 ボーイフレンド、というかボーイフレンド候補の話を、住職は娘から聞いていた。二人をくっつけるために、私たちが奔走していることも、そして背面アプローチのことも。さすがにノーパンミニスカで修行したことは話さなかったらしく、少しばかりホッとする。

「その。渡辺君という人の感触は、どうなんですか」

 頼りになりそうなお父さん、と見受けたので、腹を割って話すことにする。背面アプローチ一回目が失敗に終わったにもかかわらず、マキさんがまだやる気満々でいること。そして、残念ながら、彼氏は「イモ娘」タイプが……いや、素朴な感じの女の子が、好みではないこと。

「うん。そうですか……でも、失恋してしまったほうが、いいのかもしれません」

「は?」

 中庭に面した障子が、さーっと開いた。

 住職と同じ、墨染衣姿の人物が、入ってくる。住職にちょっとと声をかけると、床の間を背にして正座する。続けて、剣道の稽古着のような白六三四刺の胴着と、藍染の袴の中年女性。こちらは、逆に下座を占める。

 住職は、まず、胴着姿のオバちゃんのほうを紹介してくれた。

「妻です」

 しげしげと見つめれば、なるほど川崎マキの面影がある。少し垢抜けて年をとった感じの川崎マキ、そんな印象だ。薙刀の師範代、という事前情報通りではあるけれど、逆に、お母さんっぽいイメージがない。

 お昼頃来ると聞かされていたので、こんな格好で失礼する、という意味の挨拶があった。

 そして、上座を占めたお坊さんは……。

「ウチの道場主です」

 そう、川崎マキさんのお祖母さんなのだった。住職同様、すっかり頭を丸めてはいたし、それなりの年配ゆえに、最初は男の人だと思った。そして、険しい外見にふさわしい、険しい性格の持ち主であることを、私は知ることになる。

「……庭野先生。本日お呼び立てしたのは、ほかでもありません。ウチのマキが、先生の講師の方に、七針も縫う大けがをさせた件です。一言お詫び申し上げるとともに、詳しいお話を伺いたいと思いまして」

 それからは、尋問と言って差し支えない聞き取り調査が続いた。ウチの木下先生が、彼女をからかったのが直接の原因で、いわば、もらい事故みたいなものですよ……もちろん、最終的な責任は監督不行届きの私自身にあります……と説明したが、道場主は聞いちゃいなかった。なるほど、孫娘が悪いんですね、この一点張りである。なんでお祖母ちゃんはこんなに意固地になるのか? と首をひねる。石地蔵みたいに目をつぶって不動になった住職は、一言も発しない。代わりに、「前科があるんですよ」と母親のほうが教えてくれた。

 それは、小学校五年の夏の出来事だ。マキちゃんが同級生と一緒に下校しているとき、タチの悪い痴漢に会った。前科8犯、ランドセルを背負った女の子ばかりターゲットにしているロリコンだ。土佐闘犬をけしかけて、女の子がケガして動けなくなったところを襲うという、卑劣極まりない外道ロリコンである。三人がちょうど通っていた道は、通学路から少し外れた、農道だった。周囲には用水路と雑木林、そしてイチゴのハウス栽培用の資材置き場しかなかった。声の限り叫んでも、大人が駆けつけてくれるような場所じゃない。覚悟を決めた川崎マキちゃんは、資材置き場から、ビニールハウスの支柱にするための、細い鉄パイプを調達、級友の前に立った。年端もいかない子どもとナメていたオッサンと犬一匹は、手ひどいしっぺ返しを食らうことになる。

 土佐闘犬のほうは、撲殺された。

 恐怖でマキちゃんの手が止まらなくなったらしく、滅多打ちである。細パイプの使い方を見れば、そこにいるのは、ただの11歳の女の子ではなく、薙刀歴7年になる武道家の卵、と気づけたはず。しかし、愛犬を殺されて頭に血が上っていたロリコン痴漢魔には、分別がなかった。彼女のことは、どこまでも、憎しみと性欲の対象にしか見えなかったようなのだ。ロリコン痴漢魔は、マキちゃんのパンツとスカートに手をかけた。すっかり間合いに入った相手に、マキちゃんは会心の一撃を食らわせた。ロリコン痴漢魔は用水路に転げおちた。その拍子にコンクリ護岸に後頭部を打ちつけ、首の骨を折り、溺水し、半身不随に……いや、首から下は全く動かせなくなったのだから、9割がた不随になったのだ。

 正当防衛ということで、もちろんマキちゃんには、どんなお咎めもなかった。一緒に下校していた同級生の親御さんたちには、感謝された。学校の先生や駐在さん等、大人たちは、「そういうときは一目散に逃げるべし」「大人を呼べ」と注意はしたけれど、それが無理な状況だというのは、よく分かっていたに違いない。その後、警察やPTAの巡回など、防犯活動が盛んになったそうだ。

 ロリコン痴漢魔その人は、地元の地主さんの惣領息子だった。さんざん甘やかされて育ったせいか、40歳を過ぎても無職の変質者トラブルメーカーとして、悪名馳せていたそう。彼をよく知るご近所さんは、「いい気味だ」「自業自得」「もう二度とここに帰ってくんな」と誰もが留飲を下げていたそうだ。当の地主さんは、平身低頭、お寺にお詫びに来た。犯人の親類縁者一同、「一族の恥さらしに、天罰が下った」と同情する人はいなかった。

 けれど、ただ一人、この顛末が気にいらない人がいた。

 そう、川崎さんのお祖母さんである。

 ロリコン長男の家はお寺の有力檀家で、薙刀道場のほうにも、なにくれとなく援助をくれていた。不肖の息子が「自ら蒔いた種」とは言え、恩を仇で返す形になったのが、まず、気に食わない。

 鉄パイプの犠牲で死んだのは、たまたま犬のほうだったけれど、下手をすればロリコン痴漢魔も死んでいた。今少しのところで孫娘が殺人犯になりそうだったのが、気に食わない。

 そして何より、道場の外で、道場主や師範代の許可なく薙刀を……いや、この場合、鉄パイプで代用したのだから、薙刀の技を使ったのが、気に食わない、らしかった。

 周囲の誰もが止める中、お祖母さんはマキさんに折檻したそうな。

 そして、その際に、一つ約束をさせた。

 次に、武道を使って他人をケガさせたときには、薙刀道場を破門とする。

 何度も暴力を使ってしまうのは、よほど前世の因業が深い証拠。

 これ以上、人を傷つけないように、悪い因縁を断ち切るためにも、出家もしてもらう。

「出家って、つまり……」

「尼にさせます。きっちり、剃髪もさせます」

 先ほど、ご住職から聞いた、片思いしても無駄、という意味がようやく分かった。

「ご住職。ご家庭の躾に口を出すつもりはありませんけど。出家とは少し、大げさなような」

 私はお父さんのほうに声をかけたつもりだけれど、返事はお祖母さんから来た。

「仏門に使える人間の娘なんですよ。寺の評判にも関わりますし、父親として住職として、鼎の軽重を問われる、ゆゆしき事態です」

「……ウチの西講師の件は、偶発的事故で、娘さんは薙刀の技、使ってません」

「ええ。庭野先生の説明で、納得はしました。けれど、不問にすべきことでもないだろうと思います。私どもとしては、執行猶予付きの汚点が一つ増えたかと思っています」

「えーっと……」

 マキちゃんのために、さらに弁明を重ねておくべきか。それとも、「沈黙は金」で、黙って引き下がったほうが得策か。住職さんの意見が欲しいところだが、こちらは目をつむったままだ。

 師範代が言う。

「惚れた腫れたって、オトコにかまけているから、ひと様を傷つけるようなことをするんです。未熟者なら未熟者らしく、もっと勉強と鍛錬に精を出しなさい、ということです」

 私が呼ばれた理由は、西くん事件へのお詫びより、こちらの、釘を刺すほうにあるらしい。

 二時間の会見の間に、お寺の駐車場は再び混雑していた。

 私のハイエースでは、死角ができて、取り回しが難しい。僭越ながら、住職その人に誘導を頼むことしにした。玄関に出、二人になると、ご住職に、再び父親としてのゆるい顔が戻ってきた。

 彼はアスファルトに目を落として、言った。

 母親も祖母も、決して鬼じゃない。

 いや、マキちゃんのことを思って、あえて鬼を演じているんだ、という意味のことを、住職は言った。

「……話に尾ひれがついて、娘は中学のとき、イジメられましてね。いや、イジメというより、敬遠される、村八分にされるっていうほうが、当たってるかな。明るくよく笑う子だったのが、すっかり無口に、おどおどおびえるような性格になってしまって……また、妙な正義感を発揮して、独りぼっちになってくれるな、という親心なんですよ」

「妙な正義感」

「ははは……仏門に仕える身で、言うことじゃないですけどね」

 人に避けられるようになってから、自ら、人を避けるようになった。

 三つ編みオサゲ、イモ娘ふうの外見なったのは、そのころからだ。

「あれでも、あれが、心の鎧なんでしょう」 

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