第12話 早起き月下氷人

「もう、青臭い恋愛ができるトシじゃ、なかろう。てか、恋愛どうのこうの言ってるトシじゃ、なかろう」

「中身は未熟者のまま、なんですが」

 月曜早朝六時、いきなり電話で叩き起こされた。

 私は仕事がら、十時を過ぎないと起床しない生活を送っている。しかし、だからこそ、少しでも健康な生活を送らせたい、という親心だそうだ。

 まあ、年のせいで、単に朝が早い、だけだろうけれど。

 電話の相手は、篆刻の師匠、東海林先生である。

 いわばIT音痴、パソコン、インターネットのたぐいは一切使えないひとなので、連絡は必ず携帯電話かファックスでくれる。もっとも、弟子たちの個展や中国への勉強ツアー、画材の共同購入等、事務的連絡は師匠の奥さんがファックスで流す。電話不精な師匠のほうから、連絡をくれるのは、珍しい。久しぶりに、声を聴く。

「庭野くん。君の兄弟子たちで、惚れたハレタ、やっている人が、他にいるかい?」

「いませんね……硯屋さんに、この間、孫ができたとか。四つ年上なだけなのに」

 硯屋さんはニックネームだが、東海林門下では、この名で通っている。雄勝出身。実家が昔、硯石の問屋さんだった。今はお墓ともども矢本に引っ越してきて、本人はバスの運転手だ。表彰状の清書などで、たまにお小遣いを稼いでいると、いう。身近な兄弟子で、唯一、この趣味をオカネにできている人だ。

「硯屋くんだけじゃなかろう、庭野くん。紙屋さんには小学生のお子さん三人。ギャラリー墨の社長のところは、中学生の息子さんと小学生の娘さん。三宝貿易の仙台支店長さんは、子供五人の子だくさんだ」

「わかりました、わかりましたよ」

「いんや、君はわかってない」

「はあ」

「ひとり寂しい老後を送ること、想像してみたまえ」

 朝から憂鬱な説教が続く。

 口答えすれば、時間がさらに長引く。

 師匠が疲れるまで、私は黙って聞いていた。

「……学習塾を生業としてますから。生徒の惚れたハレタの相談は、聞きますよ」

「君、結婚予定はないんだな。交際中の相手も」

「プレイボーイ誌のグラビアモデルしそうな女史を、秘書にしてますけれどね。手を出すところまでは、いってません」

「それで、いい。僥倖だ」

「は?」

「見合い、受けてくれ。石巻界隈にいる独身男を、紹介してくれって、嫁の親戚から頼まれていてな。宮城県東部の知人で、まだ嫁をもらってないの、君しかいない」

「しかし、師匠」

「しかしも、へったくれも、ない」

「二世帯住宅で、大家さんの奥さんが、しょっちゅう釣書きを持ってきてくれますがね。今まで、18戦18敗です」

「なんと。全部、先方から断られた、と」

「子供にはモテるんですけどね。気は優しくて、力持ち、ですから」

「19戦目には、勝利の美酒といこうじゃないか」

「だから、大人の女性には、モテないんですよ」

「君、子どもにモテると言っても、彼氏やボーイフレンドにしたい……という意味でモテるのと、違うだろう?」

「はあ」

「……うむ……そうか……そうか……実は、嫁さんが横にいて、君とのやり取り、逐一聞いててな。なんでも、相手の女性も、連戦連敗中で、条件は一緒だそうだぞ」

「はあ」

「残りモノには福があるというじゃないか。まあ、君も、福だ。どーだ。石巻の見合い最弱決定戦に臨むつもりで、受けてはくれんか」

「それ、シャレにも慰めにも、なってませんが」

「期日を決めようか。君、日曜日ごとに休み、じゃなかったな」

「はあ。自営業ですから。多少の融通は……」

「来週日曜、いけるか?」

「すでに、予定が入ってます」

「再来週は?」

「すでに、予定が入ってます」

「その次の週は?」

「すでに予定が……」

「ええいっ。往生際が悪いな、庭野くん。腹をくくれ」

 恐妻家、というほどでもないけれど、隣で聞き耳を立てている奥さんに、せっつかれているんだろう。

「再来週の日曜、雨天決行するぞ。万難を排して、オシャレしてくるべし」

「心得ました」

 奥さんが、電話を替わるという。

 せっかくの機会だから、こまごまとした事務連絡をしておく、という。

「あ。言い忘れてたけど」

「はい?」

「相手の人、インド人よ」

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