第11話 本当の恋愛は、惚れ直してからが、スタートだ

 この翌週のこと。

 私は最高級のドレスアップをして、件のメンバーとともに、塾の応接ルームにいた。

 職員室の一番奥、パーティションで仕切っただけの空間だが、革張りのソファと観葉植物で、それとなく立派に見せている。

 言葉に「誠意」を持たせるための、装置である。

 もちろん、「場」だけでなく、「格好」も言葉の一種である。

 いつもはQBハウスで間に合わせる床屋だが、カリスマ理容師を紹介してもらい、きっちり整髪した。

 スーツはピンストライプのアルマーニ。ネクタイは京都西陣の絹製、上品な藍色に銀糸で鶴と富士山の刺繍が入った縁起モノだ。

「桜子。これは、渋いんだからなっ。あくまで渋い趣味なのっ」

「分かった、分かった。ジジくさいって、言わないから」

 ウチの姪も、この日ばかりは元気がなかった。

 当然である。

 この日は、メンバー全員で、叱られる予定だったからだ。

 いつもはミニスカート一辺倒の桜子も、この日は地味な紺一色、膝がすっぽり隠れるロング姿。隣には、同じような格好をした川崎マキが、腰を下ろしている。そわそわ落ちつかないのは渡辺啓介で、応接ルームを行ったり来たりしている。

 秘書役の木下先生が、みんなにお茶を振舞った。

「西先生のお母さんって、こわい人、なんですか?」

「モンスターペアレントタイプ、とかは聞いたことがある」もちろん、その息子からだ。

 私、そういう人、苦手だな、と川崎マキがつぶやく。

 ウチの姪も唱和する。

「教育ママゴンって感じのひと?」

「そうだなあ。そういう映画があったら、準主役くらいは張れるかもしれないタイプ、らしい」

 すかさず、渡辺啓介が補足する。

「西くんと一緒で、頑丈一点張りって、感じだったな」

 しかし、当の息子のほう、西くんは見かけほど頑丈ではなかった。

 本人は「これくらいの怪我、ツバつけとけば、すぐに治るっスよ」と言い張ったらしい。けれど、渡辺啓介は、仙台に到着するなり、西君を強引に病院に引っ張っていったらしい。

 その結果。額を七針も縫う大怪我だと分かった。

 原因が授業にまつわる不可抗力な事故なんかではなく、単なる飲み会で、だと知って、西君のお母さんは怒った。救急車その他、塾スタッフが必要な処置をしてくれなかったことを、怒った。

 何より、やんちゃ娘の悪ふざけのトバッチリと知って、西君のお母さんは怒り心頭に達したのだ。

 詳しい事情が知りたい、と先方から日時の指定があった。それがこの日、この時刻なのだ。

「後日、こちらから見舞いにいくつもり。治療費は労災で……」

 最後まで言い終わらないうちに、頭に包帯を巻いた、西君が来た。

 そして、後ろにはワインレッドのスーツを着た、ご母堂が……。

 私はすかさず名刺を差し出し、会釈した。

「私が塾長の庭野卓郎です。このたびは大変失礼をば……」

 西君のお母さんには、私の言葉が全然聞こえていなかったようだ。

 すぐさま、罵声が飛んできた。

「ちょっと。そこのお姉ちゃんっ。お茶汲みは、もういいからっ。そこに正座しなさいっ。あんたも原因なんでしょっ。そこの小娘も、こっちのソバカス娘もっ」

 彼女の怒りは、なぜか女性陣三人に向かっていった。

 間接原因の木下先生、直接原因のマキちゃん、そしてタコ踊りで囃していた我が姪と。

 筒井康隆の小説には、「死ね死ね死んでしまえ」から始まって、やたら罵詈雑言を浴びせるキャラが登場する。最近は、そんな漫画よりマンガチックな人物がやたら増えているようだ。

 西君のお母さんも、その口だった。

 渡辺啓介が耳元でささやく。

「そんな。不謹慎ですよ」

 西君が怪我したのは、事実なんですから。親としては当然の怒りです。

「どうやったら、許してもらえると思う?」

「一生懸命、誠意をもって謝罪するしか、ありません」

「たとえばだよ、この三人の誰かが代表して、西君のお嫁さんになるとか、どうだろう」

「塾長。冗談言ってる場合じゃ、ないですよ」

 怪我した本人がいつの間にか私たちの側にきて、言う。

「オレも塾長の意見に一票っス。大歓迎ッスよ。でも、それだと壮絶な嫁姑争いになりそうッす」

「西君。君、ひとごとじゃないだろう」

「いや。ひとごとッスよ」

 小学校のとき、鉄棒の逆上がりをしていて、砂場に落ちた。それでもご母堂は、学校に殴りこんできたという。中学のときには、黒板消しを投げつけられて。これは、西君が悪友たちと音楽の先生の着替えを覗いていたからだと言う。

 三人同時に、言葉が出た。

「子どもの頃から、過保護だったンすよ」と西君。

「子どもの頃から、やんちゃだったってわけだ」と渡辺啓介。

「その音楽の先生ってさ、どこまで脱いでたの?」と私。

 なぜか二人の冷ややかな視線が、私の横顔に突き刺さる。

 痛い。

 こほん。

 ここはひとつ、威厳を取り戻すようなこと、言わねば。

「説教するほうも、されるほうも、もうクタクタみたいだ。そろそろ潮時、切り上げるきっかけをやったら、どうだろう」

 西君が、すかさず、言う。

「お茶、冷めたようだし、新しいの出したらいいッスよ」

 渡辺啓介も賛成した。

 私は給湯室に向かった。

「うむ。選挙カーのウグイス嬢も真っ青なくらい、しゃべりまくってるみたいだからな。塾長、手ずからのお茶で、あとは勘弁してもらうかな」

 しかし、西君のお母さんは、まだ怒り足りなかったようなのである。

 私がおそるおそる差し出したお茶には、見向きもしなかった。

 目配せで合図を送った木下先生には、私の意図が通じたようだ。

 我が姪の肘を掴んで、立ち上がらせる。

 二人、深々と頭を下げ、お開きと相成るところだったのだが……。

 二人?

 そう、なぜか川崎マキが立ちあがらなかったのだ。

 桜子が無言の悲鳴を上げても、やはり立ちあがらなかった。

 ふてくされたような泣きそうな顔で、じっと、テーブルを見つめている。

 間が持たない。

 気まずい。

 取り繕うのは、自分の役目だと思った。

 駄菓子を持った洋皿が、カサッと音を立てる。

 皿ごとみんなに差し出す。

 精一杯にこやかな顔をしたけれど、見向きもされない。

「大丈夫。紙製の皿ですから、壊れても、破片飛び散りませんよ」

 場を和ませるつもりでつぶやいたのだけれど、今度は応接ルームに居合わせた全員から、背筋の凍るような視線を浴びるはめになった。

 ぼそぼそ、私にだけ聞こえるように、桜子がつぶやく。

「タクちゃん、どうしてこう、空気読めないかな」

 すまん、桜子。男子校出身だから。バンカラかつ豪快に、トンチンカンな言動をしてしまうのだ。

 さらに気まずい数秒が続く。

 やがて、西君のお母さんが、啖呵をきる。

「ああ、そうかい。あんた自分のしたことは棚にあげて、開き直るってわけかいっ。どうせ、アタシのこと、口うるさいババアって思ってんだろ」

 西君がご母堂を止めに入った。

 けれど、一歩遅かった。

 彼女はいきなり、目の前の茶碗を掴んで、川崎くんに投げつけた……。

「申し訳ありません。あとで、よく、言い聞かせますから」

 川崎マキの盾になり、熱いお茶を浴びたのは、誰であろう、渡辺啓介だった。

 頬から滴り落ちる緑色の液体をぬぐいもせず、彼はそのまま西君のお母さんに、頭を下げた。

 気迫勝ち、と言っていいかもしれない。

 アルバイトのあんたが、そんな責任を感じなくてもいいんだよ、とか何とか、西君のお母さんは、口の中でモゴモゴつぶやいた。

 それでも、渡辺啓介は頭を上げず、よく言って聞かせますから、と言い続けた。

 彼が頭をあげたとき、息子に腕を引っ張られ、母親は玄関口へと向かっていた……。


 役者、退場。

 木下先生が、茶碗一式をお盆に載せ、給湯室に向かう。

 渡辺啓介も上着をパーティションの縁にひっかけると、顔を洗いにいった。

 桜子が、ドスンとソファに腰を下ろす。

 私は川崎マキにお説教をするつもりだった。

「ちょっとタクちゃん。マキ先輩、一年分くらいのお説教を浴びたばかりなんだからさ、今日はよしてよ」

 そして、少しやさしめの声で、言う。

「先輩、怖くて腰が抜けちゃっただけなんですよね。先輩のお母さんによく似たタイプですもんね。私だって、一番の標的にされたら、先輩みたいになっちゃいますよ」

 しかし、事態は、桜子のフォローを上回るものだった。

「最初に叱られたとき……びっくりして……おもらし、しちゃったの……」

 あまりにトホホ……過ぎて、さすがの桜子も絶句した。

 私も、思わず漏らした。

「へタレ・むっつり・イモ歴女か」

 マキちゃんは、私のつぶやきに、涙目・涙声で答えた。

「へタレ・むっつり・イモ娘の、どこが悪いんですかっ」

「いや、悪いとは言ってないよ」

 かばってもらったことで、渡辺啓介への気持ちが、本気になったらしい。

「ワタナベ先生、へタレ娘も好みなら、いいけどな」

「ああ。そうか。どうしよう」

「マキ先輩、大丈夫ですよ。タクちゃん、ネットでへタレ娘の画像を拾ってきて、ワタナベ先生を洗脳するのっ」

「お前なあ……」

 とりあえず、かばってくれたお礼をして、点数を稼ぐくらいのことは、したほうがいい。

 私が言うと、マキちゃんはコクコク、うなずいた。

「サクラちゃん、ついてきてね」

 一人で行きなさい……て、無理か。やっぱ、へタレ娘だ。

 恋する乙女は、それでも精一杯勇気をふるうつもりらしい。

「次行く決心つきましたっ。再セッティング、お願いしますっ」

 もちろん、背面アプローチの、だ。

 パーティション一枚挟んで、講師がいっぱいいるのに、濡れたパンツを下げた。

 へんなところで、勇気があるんだよなあ。

 桜子が必死でフォローする。

「女の子にとってはね、好きな男子以外、イモなのカボチャなのニンジンなのっ。野菜畑でパンツ脱ぐのと変わんないんだからねっ」

「分かった、分かった。どうせウチの講師陣は、カボチャだよ」

「庭野先生。ノーパンになるついでに、基礎訓練もお願いしますっ」

「もっと静かな声で」

 彼女は真剣な顔で、続けた。

「必要なら、このスカートも脱ぎます」

「やめれ」

 ウチの姪が乗り移ったような、非常識ぶりだ。

 ちなみにパンツの洗濯は、木下先生が率先して引き受けた。

「この洗濯、汚名挽回のチャンスですから」

 一生懸命手洗いしたあと、懐に入れて乾かします……だと。

 ちよっと、百合趣味モロ出しじゃないか。

 しかし、川崎マキが屈託なく、言う。

「先生。木下冬実じゃなくって、木下藤吉郎だったんですね」

 いや。あれはパンツじゃなく、草履じゃなかったか?

「ご先祖様をネタに使うなんて、すてき。同志の歴女が、こんな身近にいたなんて」

「……いや、百歩譲っても、先祖なわけなかろう」

 なぜか私のツッコミは無視され、連帯感が強まったようだ。

 桜子がダメ押しする。

「よし。後は練習あるのみ、よね。私もここでパンツ脱いじゃお」

「おいおい、ちょっと待てっ」

 君ら、熱意があるのはいいけれど、ちょっと矛先違うくない?

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