第10話 勝利条件の見直し
「30歳過ぎに限らず、童貞って、みんな魔法使いだと思うのよね」
「お、おう」
「でも、ほら、魔法って言ったって、クレヤボヤンスとか、テレキシネスとかじゃ、なくってよ」
「それは魔法じゃなく、超能力だ」
「魔法陣の中に、生贄の女の子を捧げて、妖しげな呪文を唱えるのでも、なくて」
「それは単に黒魔術だ」
「もっと、ファンタジー的な魔法。おとぎ話にあるような。たとえば、シンデレラのために、カボチャを馬車に変えました的な意味での、魔法ね」
「その、こころは?」
「……オタサーの姫とかが、姫になるプロセスって、この魔法そのものだと思うわけよ。どこにでもいるような、ややブス……いや、フツーの女の子が、アニメだのマンガだのコスプレだののサークルに入っただけで、イキナリ肌がキレイになったり、目が大きくなったりするわけじゃ、ないでしょ。そこには、ほら、盛り上げ役のオタクたちが、ちやほやして、アイドルって持ち上げてくれるからであって」
「何が言いたいんだ、梅子」
「もー。タクちゃん、プラムって呼んでって、言ってるでしょ。アタシが何を言いたいかっていうとねえ……つまり、変なアプローチの仕方を伝授するよっか、彼女そのものをキレイにしたほうが、いいと思うわけよ。イマドキの化粧って、スゴイんだから。別人みたいに、変身できるんだから」
「しかし……イモ歴女の素顔、もう渡辺くんには知れ渡ってるわけで」
「素顔は素顔、化粧した顔は化粧した顔よ」
「渡辺くんの好み的に、うまくなさそうだがなあ。化粧の映える美人より、オテンバ的元気娘がいいっていうタイプだし」
それに梅子、お前のアイデアには三つの誤解がある。
その一。シンデレラ的魔法使いでも、童貞的魔法使いでも、姫の顔そのものを変えちゃいない。
ややブスは、ややブスのまんまだ。
その二。シンデレラ的魔法使いは、舞踏会参加者全員に効く魔法を使ったわけだけれど、童貞的魔法使いの効能があるのは、サークルの中だけである。
つまり、サークルの外の人間にとって、ややブスはややブスのまんまだ。
その三。仮に、その魔法でキレイになったとしても、その効能が切れたときは、どーすんだよ。
ややブスは、またもとのややブスに戻ることになるんだぞ。
「まだある」
シンデレラの物語は、王子様と結婚してめでたしめでたしで終わるけど、ウチのイモ歴女の物語は、シナリオのないまま続く。
「タクちゃん。もう、やめなよ。どうせ酔っ払いのたわごとなんだからさ」
「サクラちゃん。久々に会ったのに、冷たいのねえ」
「わたしのせいじゃないし。それより、お姉ちゃん、お土産とか、ないの? 萩の月とか、リクエストしてたでしょ」
梅子は桜子より10歳年上の姉で、母親と同じ助産師の仕事をしている。
勤務先病院は多賀城なのだから、自宅から通えばいいものを、かたくなに下宿にこだわるのは、高校からの付き合いだという彼氏と半同棲しているからだ。姉妹だけあって、出るところは出ていない体型も、男の子みたいな顔つきもよく似ている。明治大正的な響きのある名前を気に入ってないらしく、自らから「プラム」と名乗っている。けど、彼氏も含め、誰もそんなニックネームでは、呼んでない。
そもそも、梅とプラムって、別物じゃないの?
時折は石巻にも帰ってくるけれど、両親のところでなく、私と桜子の別宅に入り浸る。ひとえに、昼間から缶チューハイをかっくらうためだ。もともと、魚市場勤務のオヤジさんが昼間から「晩酌」していたから、抵抗はないらしい。もちろん、日曜でなく平日の昼間だ。本人も勤務上、夜勤とかがあるし、第一、日曜日ごとに休みになる仕事でもない。この日も週の始まり月曜だというのに、コンビニ袋にいっぱいの缶チューハイを下げて、帰省してきた。ダブ゛ダブのスエットに着替えるなり、プッシュプルを開けたのだった。
私も桜子も、この酔っ払いは見慣れているから、何も言わない。
女の子がみっともないから止めなさいと、もっぱらオフクロさんが説教する。
顔形が似てはいるが、姉妹で決定的に違うところがある。
梅子、とてもモテるのだ。
中学に入ってから、男子に告白された回数は数知れず。高校時代、現在のステディと交際するまで、彼氏をとっかえひっかえ……まではしていないけれど、とにかくオトコが途切れたことがない。
桜子によると、姉妹でコイバナなんてしたこと、ないとのこと。
けれど、このときばかりは、イモ歴女の話を振った。
一回目のチャレンジが失敗に終わった私たちが、それとなくアドバイスを乞うたのは、自然の流れだった。
梅子「講師」のレクチャーの肝は、二点だった。
化粧させろ。
化粧に相当する、何か「魔法」をかけろ。
「それに、化粧って、一生ものの技術よ。そのなんちゃらアプローチって、恋に恋するようなオボコ娘でなくなったら、用なしの技術じゃない」
「そうかなあ。初心忘れず、じゃないけど、例えば渡辺君と交際して破局して、さらにまた新しい彼氏とつきあい始めましたってなったときは、必要になったりするんじゃないの?」
「んなわけないでしょ、タクちゃん」
一度でも男とつきあえば、もう、怖気づくことはなくなる、という。
「でしょ、サクラちゃん?」
「私、彼氏いたことないから、分かんない」
「彼氏彼女がいたことないアンタたちが、恋のアドバイザーってのが、そもそもヘンなのよね。女心とかさっぱりわからなそうだし」
「お姉ちゃん、私、女だよ」
「サクラちゃん。女心が分からない女の子だって、イマドキ、いっぱいいるよ」
「こっちは男子校出身だからな。豪快かつバンカラに、異性の心情には鈍感なのだ」
「タクちゃん。そんなことで、いばらないでよ」
「いばってない。開き直ってるだけ」
「なお悪いわ」
それに、今はなしているのは、心情の問題じゃない。
方法論の話だ。
「まあ、川崎マキが歴戦の勇者になったら、必要なくなる、という理屈は分かる」
「タクちゃん。歴戦の勇者って何よ。ネトゲのやりすぎ」
姉のほうが、話を元に戻す。
「単に回数をこなしたらっていう、問題じゃないよ。彼氏いなくても、やっぱり必要でなくなってくの」
年とともに、この手の羞恥心というのは、薄れていくものだという。
中学生カップルにとって、キスは一大イベントかもしれないが、高校生カップルにとっては、挨拶代わりかもしれない。社会人となれば、キスどころかセックスから始めるカップルも、あるかもしれない。
「生々しいな、おい」
「30歳にもなって、異性と手をつなぐだけでドキドキ、なんていうオッサンがいたら、気持ち悪いでしょ。てか、少なくとも私は敬遠する」
「うむ」
それは私のことか。
てか、30歳なんて、とうの昔に過ぎてるんだが。
気持ち悪いとか言わんといてくれ。
「お姉ちゃん、脱線してない?」
「そうだ。背面アプローチ成功のための、アドバイスに戻ってくれ」
「最終目標、二人がつきあうこと、だったっけ?」
「いまさら確認しなくとも、そうだよ」
「勝利条件は、その一歩手前くらいにしておいたほうが、いいかもね」
「一歩手前?」
「たとえば、最初のデート、とか」
「つきあうのと、どこが違うんだ?」
「つきあう、イーコル、デートじゃないよ。イマドキの十代向けのデートマニュアルだと、三回くらいお試しにデートして、男から告白っていうのがスタンダードじゃないかな」
「そういうものか」
ピンとこない。
「まったく、これだから、高齢童貞は」
「卵が先か、鶏が先かっていう話に似てるな。少なくとも、私は、告白が先でデートが後だと思ってたよ」
「じゃあ、タクちゃん。タクちゃんがアタシに告白したあと、二人で、野球観戦デートに行ったとする。楽天ファンのタクちゃんに対して、私が実は熱烈な日ハムファンだって言ったら、どーする?」
「梅子、宮城県人なら、地元球団を応援しろよ」
「……そうじゃなくて。告白したあと、どーしようもなく価値観が違ってたら、どーするかっていう話じゃないの」
「ああ。そうか」
「少なくとも、その、背面アプローチの守備範囲は超えてるでしょ? この場合は、野球チームの好き嫌いの話だけれど、心の相性の問題にまでは、踏み込めない」
「一塁側と三塁側、交互に行き来したらいいら、いいんじゃないかな」
「もー。飲み込めてないみたいねえ。そもそも、カップルの問題には、他人が踏み込んじゃダメな領域があるのよ」
「そうなのか」
「たとえば、よ。アタシの彼氏がフェラチオされるのが好きだけど、アタシはオチンチン舐めるの、嫌い。こういう問題は、基本的、他人に相談できないし、他人がアドバイスするような問題でもない。カップル二人で解決すること。先生教師友人家族、誰も踏み込んじゃダメな領域。違う?」
「梅子。たとえ話だとしても、妹の前でしゃべっちゃダメなコトが、あるだろ」
「ウチはお母さんも私も産婆で、この子も助産師志望よ。姉としてっていうより、先輩として、いつかはこういう話もすることになる。産婆の主な仕事は赤ん坊を取り上げることだけど、誰もが祝福されて生まれてくるわけじゃない。レイプの結果とか、父親が誰かわからない子。中学生同士のカップルの子供で、迷ってる間に堕胎できる時期が過ぎちゃった子。母親の抱えている問題に、必要以上に踏み込んじゃダメだけれど、目を背けっぱなしでも、イケない」
「わかったよ。ある程度、他人行儀にするのも優しさで、仲人のマナーだ。梅子のいいたいこと、これでいい?」
「ニュアンス、ちょっと違うけど、まあ、あってるかな」
「そのへん、ウチのイモ歴女には、なんて説明したらいいかな」
勝利条件の、変更について。
「彼女、とにかく彼氏の外面に惚れたって、ことなんでしょ? なら……リアル・バサラ政宗君は、中身までゲームキャラっぽいかどうかは、わからない。デートのセッティングまではしてあげるけど、あとは確かめてからのほうが、いいよ、とか」
「なるほど」
助産師の話が出てから、ほどなく梅子の近況報告になった。
半同棲って、大変ねえ……とつぶやく桜子に対し、「同棲前だって、結婚してからだって、大変に決まってるでしょ。つきあうって、そういうこと」と梅子は姉の威厳を持って、答えた。
ダベっているときには気づかなかったけれど、チューハイを5本も開けていて、彼女は風呂にも入らず寝こけたのだった。
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