第9話 反省会一回目
その日の夕方、帰りの電車の中。
仙台に帰る渡辺啓介と西君を見送り、私たちは仙石線の下りに乗った。
野蒜駅につくまで、マキちゃんは無言だった。駅前には、東名まで続く長い運河があり、船外機つきの和船が、そこかしこに繋留されていた。
帰りの道々、渡辺啓介が眼前のボートの品評をしてくれた。釣り好きだけあって、詳しいのだ。
桜子や木下先生のついで、という感じではあったけど、渡辺啓介はマキちゃんにも色々話題を振ってくれた。けれど、彼女は視線を運河に向けたまま、ああ、とか、うん、とか生返事を繰り返すばかりだった。
内心、何を考えているのか、分からない。
せめてサクランボみたいに頬でも染めてくれれば、かわいげあるところだけれど、それもない。
精気の抜けた、おばあさんみたいな感じ。
彼女は駅の改札をくぐっても、終始無言だった。
石巻帰宅組は、川崎マキに合わせて、みな、黙りこくった。
お通夜みたいな雰囲気だ。
「忘れないうちに、今日の総括、しておかなきゃ」
私が誰ともなく言うと、すかさず、姪が相槌を打ってくれる。
「ああ。うん。そうだね」
声がどこか、遠慮がち。
で……。
反省会というには、略式すぎるけど、まあ反省会だ。
もちろん、背面アプローチの。
疲れ顔の木下先生と、川崎マキを座らせる。
席が空いてないわけじゃなかったけれど、私たちはつり革につかまって、話すことにした。
桜子が、まず、切り出す。
「結局、ワタナベ先生、宴会中、マキ先輩としゃべらなかったね」
そうなのだ。
彼氏は優しく、懐に飛び込んできた「窮鳥」の心配を、しはした。
怪我はない?
大丈夫?
『せっかくのおしゃれなスカートに、タレ、ついちゃったね。すぐに水洗いしないと、とれなくなるよ」
で、川崎マキに洗面台の場所を教えた。彼女が消えると、ウチの姪相手に、バカ話を始めた……。
「ま。肩の凝らないタイプ、なのかもしれんな」
実は、桜子好みのタイプかもな。
「ちょっと。先輩を刺激するようなこと、言わないでよ」
「いや、でも、な」
私はキャミソール姿のままのマキちゃんを、見下ろした。
「ふー」彼女は窓の外を見ている。
石巻市内に入るまでは、ささやかながら、海が見えるのだ。
仙石線の座席は、横長の椅子で、外を見るには首をひねるしかない。
私たちからすれば、そっぽを向いているように見える。
愛想をつかされたようで、ちょっぴり悲しい。
マキちゃんに土下座せんばかりの風情で、猛省していたのは、木下冬実先生。
彼女が悪いわけじゃ、ないんだけど。生真面目なんだよなあ。
私は、言った。
もし、今回の作戦がうまくいかなかったとしたら、それは私の責任である、と。
木下先生の「勢子役」が下手だったというならともかく、うますぎるぶんには、仕方がない。
「そうよ、そうよ。ぜんぶ、タクちゃんが悪いのっ」
姪が変な加勢をする。
「桜子、君にも責任の一端はあるんだぞ。ミラー役、ちゃんとやっていれば……」
「ふんっ」
「あと。口のまわりに、焼肉のタレ、ついてるぞ。女の子なら、もうちっと頻繁に鏡を見ろ」
「ぎゃーっ。なんで、宿を出るとき、言ってくれなかったのっ」
子供みたいな声をあげると、私のネクタイをひっぱり、口をぬぐう。
本当に、ウチの姪は……。
「汚名挽回のチャンスをくださいっ」
姪に続き声を張り上げたのは、木下先生だ。
桜子が離したばかりのネクタイにしがみつき、必死で嘆願してくる。
うぐぐぐぐ。
熱心なのは分かるけどさ、あなた、しがみつくところが違うでしょっ。
首がしまる。
みるみる紫色に染まる、私の顔。
慌てて手を離す木下先生に、ダメもとで言ってみる。
「もうダメだ。このまま死んじゃうかも。木下先生、人工呼吸お願いします」
私のささやかなリクエストは、桜子のアッパーにとってかわった。
「どう、直った? それとも、もう一発お見舞いしとく?」
「……結構です」
塾長の威厳、台無しだ。
ささやかな茶番の間も、マキちゃんは車窓の外を見つめたままだった。
野蒜の民宿に、気持ちを置き忘れてきたのか。
こほん。
私は改めて、木下先生に言う。
「チャンスをくれと頼むとしたら、私ではなく、川崎くんにだよ」
私の言を受け、桜子が、おそるおそる先輩に話しかける。
夢見るようなトロンとした表情で、マキちゃんはつぶやいた。
「……たくましかった……」
渡辺啓介のことを言っていると気づくまで、三十秒くらい、かかったろうか。
なるほど、線は細く見えても、ヤツはスポーツマン。
胸板とか、二の腕とか、女の子的にポイントの高い部分は、しっかり「たくましい」のだろう。
男に対する免疫のない彼女のこと、こういうちょっとした触合いでも、敏感に反応してしまうのかも、しれない。
「あ。胸板とか、二の腕とかじゃなくて、ですよ」
「じゃなくて?」
膝の上にダイブしたとき、触っちまったという……男の、もっとも男らしい部分を。
「最初、お尻の下に敷いたときには、ぷにぷにしてたんです」
勢い込んで、マキちゃんは言う。
「それが、渡辺先生に謝りながら、立ち上がるときに、触っちゃって……ぷにぷに、から、もこもこ。あ。偶然ですよ、偶然。手のひらで、ちょっとタッチしただけで、、握ったり揉んだりなんて、決してしてませんから」
マキちゃん。誰もそこまで、突っ込んで聞いてないよ。
「もこもこ、から、カチンカチンまで、二十秒くらいだったと思います。ネットで見た、AV男優なみはあるかも、とか思って。すごいですよね。服の上の感触であれなら、実物、どういうのかなって、想像しちゃって」
今まで呆けてたのは、そんなこと考えてたんかいっ。
それにねえ……いくら「楽屋オチ」の話だからって、そんなはしたない話、しちゃダメだよ。ウチの姪みたいになっちゃうよ。
「タクちゃん。一言、余計」
「なあ、桜子。川崎くんって、こういうキャラなの?」
つーか、ネットでエロ画像を検索するイモ娘って、いったい……。
「上杉謙信とか、織田信長とか、色々調べてたら、いつのまにか、そういう画像にたどりついちゃったりするんですっ」
「へー。いつのまにか、ねえ」と棒読み口調の私。
すかさず、桜子がフォローする。
「男の子に縁のない生活してると、女の子でも、色々と想像、たくましくなっちゃうもんなのよ」
女子高あたりにいくと、もっと「重症」なのが多い、とか。
石巻終着まで、川崎マキは、延々渡辺啓介のパンツの中身の話をしていった。
あきれたのも確かだけれど、まっ、彼女もいまどきの女の子と知って、安心したりもした。
木下先生が苦笑して、いう。
「ていうか、いまどきの腐女子、女オタクですよね」
「ねえ、タクちゃん。これくらいで腐女子とか言ってたら、世の女の子、みんな腐女子になっちゃうよ」
なるほど。
そういうものなのか。
確かにネトゲの仲間にも、川崎くんっぽいひとがいるな。
シモネタにも平気の平左というタイプが。
「それ、ネカマの可能性もありますよ」
色々、心あたりがあり過ぎて、ドキッとする。もしかして、私自身が女性キャラでプレイしているの、バレた?
「……」
いや。違うっぽい。
女の子二人の話題は、いつしかゲームの美形キャラに移っている。
「なあ、川崎くん。歴史の勉強と、渡辺啓介の股間の研究と、どっちが好き?」
間髪いれず、桜子から返事が返ってきた。
「どっちも、に決まってるでしょっ」
桜子と今度はヤオイ話に興じるマキちゃんは、どうやら、今回の「窮鳥」を失敗とはみなしてないらしい。
よし、それなら。
再チャレンジも、じゅうぶん可能だ。
しかし、キャラ変更による作戦の練り直しは必要かもしれない。
「むっつり・イモ歴女、だもんな」
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