第8話 実践一回目

「今日は、アプローチ四十八手のうち、『窮鳥』を使うことにする」

 勢子には、私自身と、秘書兼講師の木下冬実先生。

 ミラー役には、桜子、だ。

「ねえ。フガフガ、タクちゃん。そのミラー役って、フガフガ、何よ」

「口にモノを入れたまま、しゃべるなよ……ていうか、オマケで来てるんだからもうちっと、遠慮しいしい食えんのか……ええっと、だな。ミラー役っていうのは、ワタナベ先生の反応を、川崎くんに伝える役だよ。文字通りの、バックミラー代わり。後ろの気配を掴む練習、ずいぶんしたけれど、やっぱバックアップがあると、楽だろ」

 二人でブロックサイン、決めときな。

 たとえば、渡辺啓介がマキちゃんの背中を見ているようなら、頭をかく、とか。

 逆に無視しているようなら、鼻歌歌う、とか。

「先生が先輩を抱きしめそうになったら、焼肉を食う、とか?」

「フガフガ、ひっきりなしに食ってるのに、サインになるかっ」

 私自身と、木下先生が、マキちゃんを少しばかり怯えさせるような話をする。

 しながら、もちろん彼女に迫っていく。

 マキちゃんは、私たちの動きに合わせて、ゆっくり、後ろ向きのまま、後退。

 そう、いかにも追い詰められている感じで。

 もちろん、ゴールは渡辺啓介のところだ。

「彼氏のほうがリアクションを起こしたら、川崎くん、君もうまく反応するんだぞ」

「え……具体的に、どうやるんですか?」

「庭野塾長の話、面白いですね、とか。木下先生、意外とホラー話好きですね、とか。その場の話題をふる。話が弾んだら、彼氏の趣味について、質問してみる。スノボとか、釣りとか、色々とな。さらに話が弾むようなら、横についていて、焼肉とかを焼いてあげる。ヤツ、奉行をやっていて、あんまり食ってないはずだ」

「分かりましたっ」

「急接近はいいけれど、焦って皿をひっくり返したり、膝の上に座っちゃったり、するなよ」

「まさか、サクラちゃんじゃ、あるまいし」

「ちょっと先輩、何言ってんですかっ」

「うむ。軽口が出るくらい、リラックスしている証拠。幸先、いいぞっ」

 実際の作戦開始は、渡辺啓介がトイレに立ち、ついでに庭の散歩までして戻ってきたので、三十分後になった。

「あのう……塾長。私は、どうしたらいいでしょう?」

 手持ち無沙汰の時間、生真面目に質問してきたのは、もう一人の作戦担当、木下冬実先生である。

 たったコップ一杯のビールで、顔を真っ赤にしている。

 リクルートのときに着てきたという、地味極まるグレーのスーツ姿なのだけれど……とにかく、色っぽい。

 マリリン・モンローの生まれ変わりのような、メリハリのついたボディ。ほとんど化粧はしてないのに、場末のキャバクラ嬢のような、妖艶な表情。

 これでいて、中身はクソマジメ。

 彼女を勢子役に選んだ第一の理由は、私に一番忠実な手駒だからである。けれど、木下先生がいては、渡辺啓介の視線がそっちにおよいじゃう、という理由も多分にある。

「川崎さんへの脅し役なんですよね。私、ハロウィンみたいな化粧、してきましょうか」

 彼女の提案は即座に却下された。

 マキちゃん以外の女性陣を、目立たなくするための配役なのだ。

 派手な化粧をされては、木下先生を勢子に配した意味が、なくなってしまう。

 ワタナベ先生の視線が飛ばないように、ブラウスのボタンは一番上まで、しっかり閉めていてください、とだけお願いした。

「でも、ハロウィンっていうアイデアは、いいですね。魔女になったつもりで、せまってください」

 で……。

 木下先生は、自分の役割に忠実だった。

 本当に、魔女みたいに、振舞った。

 マキちゃんとの会話を再現すると、確か、こんな感じだった気がする。

「木下先生、顔真っ赤ですよ。大丈夫ですか?」

「すぐにのぼせちゃうタイプなのよ。赤面症って、感じ? いい年して、子どもみたいでしょ。前にデパートのスーツ売り場で働いてたんだけど、これが原因でやめたの。からかわれちゃうのよね。ズボンの裾上げをすれば、お客さんは脱いで脱ぎっぱなし、下着一丁のまま商品を返してよこすし。上司はしょっちゅう、私の前でシモネタ話するし。男って、どうして、ああいうふうに、セクハラ好きなのかしらね」

「それは……木下先生、美人だから、からかいたくなっちゃうんですよ。女の私でも、そう思いますもん」

「あら。川崎さんが、そんなこと言うなんて。先生、嬉しいわ」

 言いながら、木下先生はマキちゃんに近づき、手をとった。両手で、彼女の手を包み込むようにして、だ。

 マキちゃんはびっくりして、あとじさった。

 まあ、勢子としての目的はじゅうぶん達しているわけだけれど。

「でも、私、もう、おばさんよ。その点、川崎さん、うらやましいわあ。若いって、いいわよねえ。これ、本当に洗顔料だけ? ファンデーションとか、使ってないの?」

 言いながら、今度はマキちゃんの頬をなでまわす。いや、顎から、首筋、そしてむき出しの肩を通って、再び腕へ、だ。

 マキちゃんは頬をひきつらせて、さらに後ろに下がる。

 なかなかの「魔女」っぷりだ。

 マキちゃんは、本当に怖いんだろう……まあ、色々な意味で。

「で、でも、木下先生。先生だって、まだぴちぴちのお肌ですよ。私なんか、ほら、そばかす出てるし。お肌のお手入れ、私のほうが教えてほしいくらい」

「簡単よ。ずーっと昔からある、古典的な方法。フランス革命前の出来事なんだけど……エリザベートっていう、女領主、知ってる? 夜な夜な、若い娘さんを捕まえてきては、鉄張りついた人形の中に入れて、生血を絞ったんですって」

「あ。その先の話、聞いたことがあります。鉄の処女、ですよね。それで、生血のお風呂に使ったとか言う……でも、現代ニッポンでは、できない話ですよね」

「あら。でも、若いぴちぴちの女の子のエキスを吸い取る方法は、他にもあるのよ」

 台詞とともに、木下先生はマキちゃんの膝をなぜ回した。

 畳のこすれる音高く、マキちゃんは後退した。

「あの。あの。木下先生って、意外とホラー話好きですよね」

 私は声なき声で、マキちゃんに言い返す。

「それは、私じゃなく、ワタナベ先生に向かって言う台詞だろ」

「だってえ」

「それに、ホラー話でもない」

「でも」

「せっかくだし、あちこちなぜまわされているところ、ワタナベ先生に見せつけてやりなさいっ」

「でも、でも、私、百合趣味なんて、ありませんよお」

「じゃあ、今日から、その趣味にはまりなさいっ」

 私の叱咤が耳に届いたのか、木下先生が妖艶に微笑む。

 今度は私に向かってだ。

 私は、心を鬼にして、こっくりうなずいた。

 合図とともに、木下先生の手が伸び、スルスル、「窮鳥」のスカートの中に入っていく……。


 なにやらエッチくさい攻防戦の最中、姪は相変わらず焼肉にぱくついていた。

 川崎マキのリアクションを見ながら、キングコングのように胸を叩き、佐渡オケサを踊り、そして「あっかんべー」をした。

 気づいた渡辺啓介が、腹を抱えて大笑いしている。

 川崎くんたちの奮闘が、台無しだ。

 教訓。

 ウチの姪は、天性のコメディアンだな……。


 気づくと、渡辺啓介が、ひっくりかえっていた。

 マキちゃんが、彼氏の膝の上に腰かけている。

 全然、気づいてない。

 パーソナルスペース、入りすぎだよ、こりゃ。

 勢子役が、あまりにも上手すぎたのも、敗因のひとつ。

 桜子が焼肉に気を取られて、合図が遅れたのも、敗因のひとつかもしれない。

 木下先生の手の感触に驚いたマキちゃんは、文字通り、渡辺啓介のところに、飛んでいった。

 カルビと砂肝の入った皿をひっくり返し、ビール瓶を割った。

 炭火から落ちた鉄網を拾おうとして、私がちょっとだけ火傷した。

 ビール瓶のかけらは、黙々焼肉を堪能していた、新人講師へと飛んでいった。

 西君、というこのガタイのいい新人は、高校時代ラグビーのフランカーだったそうな。

「ボールのあるところ、真っ先に飛んでいく」役目だそうで、年中生傷だらけ、だったと言う。

 ビールのかけらがざっくり、コメカミからほほに突き刺さっても、西君は平気な顔をしていた。

「怪我すると、酒が飲めなくなるから、ツライっすよね」

 ひとごとのように言って、ウチの姪同様、箸を休めない。

 見かねた木下先生が、宿のご主人に頼んで、救急箱を借りてきた。オキシドールと赤チンで、応急処置をする。過酸化水素水が、ぶくぶくと泡を立て始めた。

 うわ、むちゃくちゃ痛そう。

 けど、西君はやっぱり、平気の平左。

「こんな美人に手当てをしてもえらるなら、もっと怪我してもいいくらいですよ」と相変わらずビールジョッキをあおり続けたのだった……。

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