第4話 練習道場について

 特訓は、週末、ウチに本拠を移して、行うことになった。

 塾から車で、二十分。

 北上川河畔が望める、昔からの住宅地だ。道々、海も見える。砂浜も見える。知られざる絶景だ。

 日和大橋を挟んで、東側が漁港、西側が工業港。

 工業港には、日本最大の、電話帳工場がある。

 漁港は水揚量で日本第三位、船着場は日本最長を誇る。

 旧漁港は銚子港同様川中にあり、昔はよく船が転覆しそうになった……。

 運転中の私に代わって、姪が色々、解説役を買ってでる。

 ここいらへんは、お父さん譲り、と言ったところか。

 マキちゃんが、後部座席から、おずおずと言う。

「サクラちゃんと、庭野先生って、もしかして同居中なんですか?」

「同居とは、違うな」

「でも、同じお家なんでしょ?」

「うむむ。同じというか、違うというか」

 二世帯住宅の片側に、私。他の一方に桜子一家が住んでいるのだ。

 もともとは、桜子の祖父母が住まう予定だった。というか、実際、二年くらいは暮らしていた。

 知合いの大工さんに改築してもらい、安く済んだローンを完済したその年、交通事故で、二人、あっけなく他界したのだ。

「八年前のことだよ。桜子が、小学二年のとき」

 思い出したのか、桜子は急にしょんぼりする。

 黙ってしまった我が姪を横目に、あわててマキちゃんが質問する。

「それで、庭野先生が、代わりに住んでるんですか」

「そう。用心棒代わり」

 桜子のお父さんは、魚市場の職員さん。お母さんは助産師、昔風にいうと、産婆さんだ。

「産婆っていうと、字面から年食ってるみたいな感じだけど……年齢的にはかなり若いよ。産科専門の医院に勤めてるんだ」

 当然ながら、両親ともに不規則な勤務形態。二人揃って夜勤が入ってしまうということも、全然珍しくない。

「で、子守役を兼ねて住み込んでるって、わけ」

 しゃべっているうちに、到着した。

 玄関口も、二手に分かれている。

 下駄箱の中は、もちろん私自身の靴と、なぜか桜子の履物が一式、揃っている。

 反抗期真っ只中の中学時代、両親と顔を合わせるのもイヤ、とこちらに移ってきた名残だ。

 一階はリビングにバス・トイレ、それに仏壇を備えた居間と、年寄り向きの間取りになっている。猫額の広さだけど、裏庭だってついている。間口の広さ一間の、土間付・板敷きの八畳が、この庭に面して設えてある。桜子のおじいさんが、何に使うつもりだったのかは、今となっては分からない。現在は、私の趣味の作業場、篆刻専用ルームだ。

「ちなみに、もうひとつの趣味、ネトゲは寝室でやってるけどね」

 足腰が弱って、階段を上がるのが億劫だからと、桜子のおじいさんは寝室も一階に設けていた。

「個人的に、この間取り、大変気に入っている」

「そりゃ、タクちゃんが、ジジくさいから」

「もう、それはエエっちゅうのっ」

 そして、二階には……。

「すっごーい。ちょっとした、図書館ですねえ」

 二階には仕切りがなく、本棚がところ狭しと並べてある。昔風の木組みの本棚には、もちろん書物がぎっしりだ。

 桜子の祖父という人は、生前小学校の先生をしていて、童話や児童本のコレクターだった。

 ただ、レア物、珍本のたぐいはない。

 場所ばかりとる紙の束、と言ってしまえばそれまでだけど、これは桜子の祖父が、孫娘のためにと蒐集してきたものだ。捨てるに忍びなく、ヒマつぶしにも格好なので、そのままにしてある。

「あれ? じゃあ、サクラちゃんの部屋は?」

「屋根裏部屋。一番奥のところに、ハシゴがあるでしょ。あそこから、あがる。なんだか、子供みたいでしょ」

「いいえ。素敵です」

 ちなみに、姪がこちらに泊まるのは、週の半分くらい。母屋にも、ちゃんと部屋を持っているのだ。

「ま。案内はこれくらいで。何かとってくるから、腰を下ろしてて、くれ」

 桜子に、閲覧用のパイプ椅子を出してもらう。私は、一階の冷蔵庫に向かった。

 果汁百パーセントのジュースを各種用意しておいたのに、二人のオーダーは「ミネラルウオーター」。

「君ら、ダイエットの必要なんて、ないだろ」

 特に、Tシャツにスパッツ姿の桜子は、そうだ。私から見ると、やせすぎにさえ、見える。大きめのブラウスで体型を隠しているマキちゃんにしても、全然太っちゃいない。

 私の指摘に、川崎くんがすまなさそうに、言う。

「でも、体重、どうしても気になっちゃいますよ」

「私は、マキ先輩のお相伴だから」

 なんでもいいんだけど、一緒のものを頼む、だそうだ。

 パンプキンクッキーも買っておいたのだが、お土産に持たせることにした。

 ちなみに、私は無調整の豆乳だ。

「ジジくさっ」

 健康にいいんだぞ。渋い趣味と言ってくれ。

 桜子は一挙にコップの中身を飲み干すと、私にあごをしゃくった。

「それで?」

「うむむ……それで、だ。川崎くん」

「はい」

「君、本気で渡辺啓介のこと、好きか」

「え?」

「いや、だからね。君の覚悟がどれくらい本気か、知りたいんだよ。中途半端な気持ちなら、最初からやらないほうがいい。恋愛っていうのは、そういうもんなんだよ。分かる?」

「えっ、いや……よく分かりませんけど、分かるような」

「君には、今から修行をしてもらう。少林寺三十六房より厳しくつらい修行だ。『巨人の星』の星飛馬くらいの根性がないと、完遂はできない」

「ええっ。よく分からないけど、大変そうですね」

「大変なんだよ」

「タクちゃん、巨人の星だのなんだのって、たとえが古いって」

 どうして、そう、ジジくさいのっ。

 私は姪の茶々を無視して、続ける。演説の、一番いいところなのだ。

「師匠が命じたことは、黙々と実行する。疑問をさしはさまないこと、これが信頼の証だ」

「はい」

「これから、私のことを、先生と呼びたまえ」

「呼びたまえも何も、マキ先輩、最初っから言ってるじゃない」

「ええいっ。うるさいっ。塾の先生じゃなく、恋愛の先生ってことで、だよ」

「はいはい、分かった、分かった。それで、タクちゃん先生」

「うむ。この間、相談を受けたとき、ウエストのサイズ聞いたこと、覚えてるかい?」

「しっかり覚えてるわよ、スケベ先生」

「桜子、そういちいち、横から口を挟むな……それでだな。ここに股下マイナス二センチのマイクロミニスカートを準備した。これをはいて、ノーパン・ミニスカ姿になりたま……」

 最後まで言う前に、姪のスーパーロケットパンチが飛んできた。ついでに、回し蹴りや金的蹴りやアッパーやフックや頭突きまで飛んできた……。


「ぼこぼこ」という表現は、言い得て妙、だと思う。

 どこがへこんだわけではないけれど、私は「ぼこぼこ」になっていた。

 頭から湯気を立てた桜子が、昔の特高警察よろしく、私を尋問にかかる。

「ほら、白状しなさい。片思い中の女の子の弱みにつけこんで、エッチなことをしようとしたって」

「いや、待て。確かにいくらは趣味に走ってるところはあるけれど」

「ああん? いくらか? 変態趣味、丸出しのくせに」

「本当に、まじめな恋愛修行なんだよ、これ」

 途中で、ぐうぐう寝ないって約束してくれるんなら、理由、語るけど。

「約束するわ。けど、ノーパンにならなきゃならないっていう、合理的な理由、ちゃんとなければ、もう一回ボコボコにしちゃうわよ」

「……まず第一にだな、彼氏の前に出てもあがらないように……」

「度胸をつけるため、なんて、まさか言うわけじゃないわよねっ」

「いや、まさに、それも理由のひとつかな……」

 ぼこぼこ。

 マキちゃんがどうやら止めてくれ、そこからようやく、私の説明が始まった。

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