第2話 私たちについて

 三十路を突っ走って、早ウン年。

 私は今、学習塾の経営をしている。

 発端は、学生時代の、アルバイト代わり、だ。軽い気持ちではじめたのが、当たった。今では専任講師三人に、大学生や専業主婦等のアルバイトを五人抱える。当たり前だけど、就職氷河期も、リストラも無縁の人生だ。

 経営には経営の苦労というものがあるのだけれど、サラリーマンの道を進んだ友人たちには、分からないらしい。ここ数年、顔を合わせるたび、「宮仕え」の苦労を聞かされる。いや、そればかりじゃない。

一通り愚痴を聞かされたあとは、絡まれたりする。

「苦労知らず」

「お山の大将」

「死んでしまえ」

 まったく、男の嫉妬というヤツは。


 男の嫉妬と言えば、商売以外に、もう一つある。

 そう、女の子のことだ。

 学生時代は、まったくと言っていいほど、モテなかった。

 いや、今でも年齢=恋人いない歴、更新中だ。

 ただ、社会人になってからは、私を異性としてみてくれる異性が、多くなったような気がする。

 具体的に言うと、塾の生徒さんたちだ。

 年頃の娘さんたちが身近に接することのできる、数少ない大人の独身男性……単に、そういうポジションにいるだけなのだろうけれど、とにかく、興味を示してくれるのだ。

 過去、デートに誘ってくれた女の子がいる。

 私の過去の女性関係を、根掘り葉掘り尋ねる女の子もいる。

 ラブレターをくれた女の子もいる。 

 彼女たちにとって、愛嬌のある珍獣以上のものではないと思うから、もちろん、本気で相手することはない。少々本気が入ってそうな女の子には、道化っぽく振舞って、はぐらかす。少々以上に本気が入ってそうな女の子には、桜子が相手をする。

 姪の毒舌のインパクトは、最強だ。

 客観的に見れば、どこにでもいるオッサンだよ……と姪が口説くと、たちまち目を覚ます。

 毎年一定の割合で、こういう「勘違い」しちゃう女の子がいて、苦労する……と学生時代の友人たちに、漏らしたことがある。

「それは、悩みじゃない。自慢ってヤツだ」

「まさかそれで、ハーレム築いてるんじゃないだろうな」

「オレたちは年齢=恋人いない歴更新中なのに」

 子どもにはモテても、ちゃんとした女性にモテてるわけじゃない……と言っても、彼らは聞く耳もたない。親しい友人ばかりじゃない。同窓会なんぞで疎遠になった人たちに会っても、同じ。なぜか、散々クダを巻かれるのだ。

「年甲斐もない若作り」

「生徒たちから精気を吸い取ってるんだろ」

「ハレンチ教師」

「死んでしまえ」

 若く見えるのは単なる童顔のせいなのだけれど、誰も言いわけなんぞ聞いてくれない。

 ましてや「若い精気」なんて、吸いとってない。

 ここのところは大事なので、もう一度繰り返しておきたい。

 まさか生徒に、手は出せない。

 そして……今まで、本当に、ホントにモテなかったんだってばっ。


 我が姪、正確には「従姪」もオジと一緒で、この道にはトンとうとい。

 はいっ、はっきり言ってモテません。

 なにか遺伝子が関係しているのかも。

 見てくれは、悪くないと思う。

 少なくとも、貧乳マニアにはウケると思う。「デレ」なしのツンデレ好きにはウケると思う。「女の子にモテる女の子」の愛好者には、モテると思う。童顔ではあるけれど、眉毛が太くてイマイチ男の子みたいな女の子のファンには、ウケると思う……。

 あ。

 いちおう、褒めてるつもりです。

 服装には、それなり、気を使っているみたい。

 そう、この点ばかりは、普通の女の子と一緒ですね。

 桜子の高校(我が母校でもある)には、制服がない。私が在学中には「下駄で登校禁止」とか「他高校の制服で登校禁止」「無地の白Tシャツで授業を受けること禁止」とか、いろいろやかましい規定があった。

 今は、どうやら、何もないみたい。

 けれど、学生たちは案外と保守的で、制服じみた私服で登校するとのこと。

 私の在学中には、ランドセルをしょってきた奴あり、スカートをはいた男子あり、マントを羽織ったバンカラ応援団あり……とにぎやかだった。

 当時は男子校だったせいもあるかもしれない。

 今は、共学だ。

 現在、学校ご推薦の「高校生らしい服装」というのは、「百メートルを全力疾走できる格好」。

 桜子は、でも普段ミニスカート姿だ。

 そう、いまどきの女子高生の制服と、一緒。

 いや、確かに全力疾走はできるだろうけれど。

 一生懸命走れば、スカートの中身が見えてしまう。

 私の指摘に、姪はあっさり言ったものだ。「だって、こんな格好できるの、高校生のうちだけでしょ」

 これも、ささやかな女心の、発露なのかも。

 でも、ここまでがんばっても、彼氏いない歴、更新中なんだよなあ……。

 それで、だ。

 両親も最近は心配しているようだ。

 あまりの男気のなさに。

「リボンをつけたり、カチューシャをつけたり、上も懲りなさい」だの、「せめて髪を肩くらいに伸ばせば」だの、色々とうるさいらしい。

 普段は軽くかわす桜子だが、時には感情を爆発させることもある。

 そのときひきあいに出されるのが、私だ。

「そういう心配なら、まずオジサンにしてよ」

 桜子の両親の反応は、色々だ。

 娘の戯言を軽く受け流すこともある。

 虫の居所が悪いときには、とばっちりがこっちにくることもある。

 見合い話を一ダースも、持ち込まれたこともあるのだ。

「オジさんにはもったいなさすぎる」という理由で、桜子がみんな断ってくれたが。

 ちなみに、桜子の両親は、娘に輪をかけて、タフ。

 娘の妨害にも、めげるタイプじゃない。

 見合い相手の現物を、わざわざ塾まで連れてきたこともある。

「年齢三十四歳、賞味期限は切れてますけど、まだまだイケますっ」とのたまう、妙に明るい看護婦さんだった。「お医者さんと不倫をしていて、婚期を逃しましたっ」と、やはり明るく告白してくれた。正直者は嫌いじゃないけれど、丁重にお断りした。というか、例によって、桜子が破談にしてくれた。

「彼女いない歴三十ウン年、自他ともに認める魔法使いの童貞には、刺激が強すぎるでしょ」。

 ……。

 ちなみに、桜子の父親というのが、私の従兄弟にあたる。

 塾で桜子が私を「大叔父」呼ばわりするのは、こういう血縁関係のせいだ(正確には、大叔父じゃなく、イトコ叔父なのだけど)。授業の合間には、聞こえよがしに友達とダベって、あることないこと、言ってまわる。

「ウチのオジさん、高校生のときから、オジさんくさかったひとなのよ。ハンコ彫りが趣味なの」

 篆刻って言えよ。渋くていい趣味だと思うんだけど。やっぱり、ジジ臭いんだろうか。

「怪しげな易者と結託して、裏でボロ儲けしてんのよ。ハンコ売り。ネクタイのコレクションは、そうやって壷だの御札だのハンコだの、霊感商法したおかげなんだからねっ。それに、ほら、よく見て。本人がかっこいいわけじゃなくて、スーツがかっこいいだけだから。だまされちゃ、ダメっ」

 そんなこと声高に喧伝された日には、生徒さんがみな、逃げちゃう。

 確かに、勘違い女子高生がいたら、一言言ってやって、と頼んではあるけれど。

 女子高生どころか、父兄のお姉さんお母さんたちにも、言ってまわる。

「勘違いしていない」女子高生にも、アヤしげな噂を吹き込む。

 私が苦言を呈しても、聞く耳もたない。

 まったく、商売の邪魔が、好きなのだ。

 スーツ姿の私にファンがいても、バレンタインにチョコひとつもらえない「ニワノゼミナール」七不思議のひとつは、間違いなく桜子が原因だ。

 だから、私も塾生の前で堂々、言い返したりする。「あ。気にしないで。ウチの姪、ごらんの通り、態度とお尻だけは大きいんだ。胸は全然成長してないんだけど」

 ……。

 自己紹介は、これくらいにしておくかな。

 どうもこう、身内の恥がダダ漏れになってくような気がする。

 どっちにしろ、脇役兼、語り手の補助だしね。

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