第25話

 私は7本の緑色の指を優しく撫でた。皮膚は枯れ木のようにガサガサだ。口元から覗く鋭く尖った歯はライオンのよう。潰れた不細工な鼻には嫌悪感すら覚える。

 だが、その目はひたすらに純粋だった。赤子のように綺麗だった。身体的な特徴から、黒山羊に関連する存在に違いないけれど、裏を返せば不安要素はそれだけで、この子たちが害をなすものだとはとても思えなかった。


「あなたたちは七の巫女なの?」


 ゴブリンは丁寧にお辞儀をした。姿にそぐわない丁寧な日本語で話しはじめる。


「お察しの通りです。今でこそごぶりんのような外見をしていますが、元は人間でした。わたしたちは七の巫女の成れの果てです。皆、海に流されたのちに祝福を受け、新しく産み落とされた存在なのです」


「成れの果て……」


「今代の七の巫女も神に捧げられる宿命を背負っています。わたしたち七の巫女が捧げられる限り、灰冠島は豊穣な土地でいられます。どうか、七の巫女が役目を終えるのを見守ってあげてほしいのです」


 “豊穣の儀式”の単語が思い出される。屋敷の人間は少女と引き換えに豊かさを得ていたのだ。


「ナナノちゃんを救う方法はないんですか。このような因習はすぐにでも断ち切るべきです!」


 ゴブリン、いや七の巫女は悲しげに首を振った。


「七の巫女は捧げられるために育てられてきたのです。満ち足りた衣食住をいただき、身に余るほど十分な教育も受けてきました。灰冠島の人も豊かさも、わたしたちの人生の結晶といっても過言ではありません。わたしたちの人生を終わらせるなど、そんな残酷なことをどうかおっしゃらないでください」


「人生を終わらせる? ナナノちゃんを捧げない場合の影響は豊穣がなくなるぐらいではないんですか?」


「いいえ。七の巫女が捧げられなかったことから、すでに神は、眷属に収穫を命じています。眷属というのは森の黒山羊ですね。島民の半数以上は収穫済みです。ただし、お屋敷の方々は亡くなった夜にわたしたちが収穫しましたが」


「……念のため聞きますけど、収穫とは具体的にどういうことですか」


「祝福が満ちた者を神へ捧げることです。わたしたちとは違い、端的にいって亡くなります」


 島の西の住民が消えた理由はこれで分かった。収穫のために召喚された黒山羊が別にいたのだ。暁の背後から現れたのはその個体だったのだろう。

 彼女たちの話に興味は尽きないが、破壊音が耳に響いてきた。


「……もっとお話を聞きたいところだけど、背後から化物が迫ってきてる。もう行かなきゃ」


「だめです。サメさんは収穫されてキリさんはきっと踏み潰されます。森の黒山羊が二人いたのは見たでしょう。森の入り口で一方が先回りしています。挟み撃ちです」


「なんだよそれ。もう詰みじゃないか」


七の巫女たちは輪になって呪文を唱え出した。輪の中には十人ほどの七の巫女がたたずんでいる。神に祈るかのような表情で。


「そのためにわたしたちがこの場に姿を現したのです。これからあなたたちを屋敷へ転移させます。今代の七の巫女をどうか見送ってあげて下さい」

 背後から空気を切り裂くような風が吹いてきた。そして吹き飛ばされてきた木は別の木に衝突して停止した。もしあの木が自分たちの方に飛んできたらと想像すると冷や汗が止まらない。

 辺りには墓場のような臭気が漂い、黒山羊は命を愚弄するような声を森に響かせる。


『ホウ ホウ  ホウ ホウ』


 やばい。追いつかれた。淀んだ空気で吐き気がこみ上げてくる。黒山羊は目と鼻の先だ。


「さあ輪の中にお入りください。もうすぐ準備が完了します」


 観光ガイドのように案内する七の巫女、にしばらく沈黙を保っていたキリが訴えかけた。


「これで私たちは助かるかもしれません。でもあなたたちはこのままでいいんですか。成長したらやりたいことがあったんじゃないですか。人生がたった7年で終わる運命なんてそう受け入れられるものではないでしょう。私はナナノちゃんもあなたたちも助けたいんです!」


 七の巫女たちは詠唱を止めた。俯き、溢れ出すのは秘めたる想い。


「学校へ行きたかった」


「友達がほしかった」


「大人になりたかった」


「島の外を見たかった」


「恋をしたかった」


「子供を育てたかった」


「幸せに死にたかった」



「──しかし願いを口にするにはもう遅いのです」


 輪の中心で祈っていた彼女たちは自ら首を切り、黒い血を吹き出しながら倒れ伏した。ビシャビシャと流された体液は地面に染みの紋様を描きだす。私たちは唖然としながら、輪の中央に押し込まれる。


「ちょ、ちょっと何してるの!?」


「非常事態ですから。生贄の動物を用意する時間がありませんでしたので」


 倒れた七の巫女たちはもうピクリとも動かず、キリが必死に傷口を抑えるが出血は止まらない。血の紋様が青白く輝いた。


「ではお二人ともさようなら」


「キリさん、助けは要りませんのでお気持ちだけ受け取っておきます。今代の七の巫女によろしくお伝えk」


 漆黒のひづめが七の巫女の頭部を踏み潰したところで、視界が白く染まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る