第9話

 かにかにかにかにかにかにさしみかにかにかに。脳内思考メモリの9割をかにが占めている。

 テーブルに広がるのは、懐石料理という名の大海原。煌びやかに盛り付けられた刺身が私の目を釘付けにし、一杯のカニが激しく自己主張をしていた。


「いいですかナナノちゃん。今のサメさんはハイエナと大差ありません。隙を見せればあっという間におかずを食べられてしまいますよ」


「失敬な! いくら私でも無断で人の料理を取ったりはしないよ」


「よだれを流しているせいで説得力が皆無です」


 私は慌てて紙ナプキンでよだれを拭い、ナナノへ弁明を試みる。


「このよだれは違うの。そうつまり……」


「言い訳ですか」


「ううん。言い訳すら思いつかなかった。『料理美味しそう』の他によだれを流す理由がないや。

 でも、私が無断で人の料理を奪い取るような人に見えるかな。出会って1日も経っていないけど私がお淑やかで美人で慎ましやかで上品で礼儀正しく繊細かつ美人な女性だってことは分かってもらえたと信じてる。そんなに警戒する必要はないんだよ」


 信頼して欲しいと必死の想いを込めて一気にまくしたてた。落ち着いた私は料理を一望して舌舐めずりをした。


「美人って二回云いましたね」


「キリ、何かいった?」


「いいえ。気のせいですね」


 ナナノは食卓に広がるご馳走と私を見比べて、決心したように言い放った。


「ナナノの唐揚げは絶対に渡しません」


 言い忘れていたが、ナナノに提供されているのは子ども用メニューである。「そっちかー」とキリが額を押さえたのが妙に印象的だった。



「すっかり忘れてたけど、ナナノちゃんと一緒に入ってた瓶の中身気にならない?」


「気になりはしますが……開けるんですか?」


「開けなきゃ調べようがないでしょ」


 若干の抵抗をみせるキリだったが、やはり積極的には制止してこない。私は栓抜きでカコンと王冠を取り外し液体の香りを嗅いでみる。


「酒だね。こりゃ」


「お酒、ですか」


 しかも日本酒だ。私はニヤリと笑ってコップに酒を注いでいく。キリはゴクリと唾を飲み込み耳を忙しなく動かした。こうなれば誰にも私たちを止められない。


「悪い大人がいます」


 苦言を呈するナナノだが、彼女は唐揚げを守るので精一杯だ。止められはしない。ただ唐揚げはつまみに丁度いいかと狙っていたので、少々残念ではある。


「では改めて、温泉旅行とナナノちゃんとの出会いに乾杯!」


「かんぱーい!」


「乾杯、です」


 私たちはコップをかち合わせ、今日という日を祝福し、中身を一気に飲み干した。(もちろんナナノはオレンジジュースである)


 カニの甲羅に酒を注ぎ火で炙れば、まさに神の酒。黒い温泉卵に醤油をかけて味わえば、それはもう天にも昇る心地だ。


「あんなふぁっしろなおゆでふでてくろくなるなんてふしふぃですねえ」


 既にキリの呂律が怪しい。私は呆れつつもその疑問に答えた。


「もー、食べ歩きの時聞いたでしょ!たしかねぇえー。絵の具で塗ってるんだよ!ひっく」


「全然違います。硫黄泉で茹でたから黒くなったんです。温泉の硫化水素と卵に鉄分が反応して硫化鉄になって黒く染まるんですよ……聞いてますか?」


「聞いてるよー」


 ナナノが何か解説しているが一切頭に染み込んでこない。つまみには困らず、瓶は7本もある。私とキリが酔い潰れるまで、長い時間は掛からなかった。




 ドカン。爆音で目が覚めた。何か恐ろしい夢を見ていた気がする。

 それはそれとして、何事だ?飲み過ぎで痛む頭を無理に起こして、大きくあくびをする。暗い室内で私が目にしたのは、ナナノを抱えた黒装束の姿だったのである。

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