第6話

 温泉街は観光客で賑わっている。お土産を買うならこの通りがいいだろう。温泉たまごやごぼうアイスなどが目につくが、最初に向かう店は既に決まっていた。


「キツネさん、いなりずしとはなんでしょうか」


「いなり寿司というのは、油揚げで酢飯を包んだ食べ物です。世界で、いや宇宙で一番おいしい食べ物ですよ」


「宇宙で一番おいしいのですか!」


 ナナノが犬なら尻尾をパタパタと振っているところだ。いなり寿司がおいしいのは否定しないが、キリの誇大広告を信じ切っていないか心配だ。


 いなり寿司はサバ、アナゴ、カツオ、タイ、タコ、カニの全6種類だ。6個セット×2を注文して、私たちは席に着いた。

 他の席もそこそこ埋まっていてそれなりに繁盛しているようだ。通りを眺めているが、大半の人間は5本指、つまり観光客が大半だ。6本指の人間は圧倒的にまれ。7本指は見かけなかった。

 しばらくすると計12個のいなり寿司が運ばれてきた。


「これ!これですよ!私の人生はいなり寿司を食べるこの瞬間のためにあったといっても過言ではありません!」


 私とナナノで6個のいなり寿司を分け合うのに対し、キリは全種類を制覇するつもりのようだ。満腹になっても知らないぞ。

 彼女が初めに手をつけたのはサバいなりだった。どれ、感想を聞いてみるか。


「どう?サバいなりは美味しい?」


「サメさん、キツネさんの邪魔をしてはいけませんよ」


 声をかけた私をナナノが鋭く制した。なるほど。キリは作品の品評を行う気難しい芸術家のような面持ちでゆっくりとサバいなりを咀嚼している。やがて彼女の喉がゴクリと動く。目をカッと見開いて大声で一言。


「うまい!」


 キリの飾り気のない感想を受け、店の主人がフッと照れたように笑った。なんだこれ。

 そして熱いお茶をぐいっと飲み干して油を溶かすと、キリはバッグから手帳を取り出し、流れ星のような速度で何やら書き込みはじめた。


「それは何を書いてるの?」


「いなり寿司の味のメモですよ。旅行が終わったら界隈に報告書を提出しなければならないので忘れないうちに書いておかないと」


 食レポを報告書と云うあたり、いなり寿司へかける情熱半端じゃないな。


「キツネさんは旅行先でも大変なのですね……」


 素直に感心するナナノ。世間知らずなのは元々なのか、記憶喪失のせいなのか。


 それじゃ私も食べよっかな。私がとったのはカニいなりだ。うーんおいしい!

 カニいなりからは蟹の風味が感じられる、が明らかに具としてのカニだけのものではない。この風味は酢めしに付いているようだ……ま、まさか蟹からとった出汁で米を炊いているのか!? こだわり半端ないな。油揚げの油もちょうどいい。熱いお茶をすすればさらりと油が流れてゆく。

 ふう、100点満点。いなり寿司ガチ勢の言葉に嘘はなかったようだ。


「サメさんはキツネさんみたいに報告書を書かなくていいんですか?」


「いや、あれは特殊な事例だから……。食べ方は人それぞれ。美味しく食べられればそれでいいの。ほらナナノちゃんもどうぞ」


 ナナノは恐る恐るサバいなりを選び、一気に頬ばった。風船のように膨らんだほっぺたを突きたくなるが我慢我慢。喉に詰まらせないかと心配したが、目を閉じてゆっくりと確実に飲み込んでゆく。嚥下えんげし、お茶をすすって最後に一言。


「うまい! です」






 店主がたくあんをサービスしてくれた。 

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