第3話 令和弐年の二月二十日は『カケル少年』でちょっと哲学。
時計を真剣に眺めている男の子がいた。パッと見は十歳かそこらで、デパートの家電売り場に一人きりは似つかわしくなかった。これが隣のゲーム売り場であれば見落としたかもしれないが、あと一時間もすれば夜の九時。閉店時間も近いのである。
迷子かと周囲を見渡した所、確かに保護者はいない。家電売り場担当であったこの男、飯田はフロア担当の佐竹にインカムで報告し、少年へと声を掛けるのだった。
「きみ一人かい? お父さんかお母さんは一緒に来ているかな?」
飯田の声に、男の子は物凄い不満げに眉をひそめた。その表情は、あきらかに”いい所だったのだから邪魔をするな”と言う抗議の表情であった。しかし、少年はその不満を噛み殺して、飯田へ向かって丁寧な返事を返してきた。
「残念ながら、そういう年齢ではないのです。こんなに年を取ってしまいました」
と。
見た目十歳もいかないようなその少年は、そう飯田に答えたのだった。
飯田は面を食らったものの、笑顔を崩さないまま、
「それは失礼しました。閉店時間も近いものでお声を掛けさせてもらいました。見た目が大変お若いものでしたから。」
と負けずに丁寧に返事をした。少年は頷きながら、時計から離れる。
「こちらこそ恐れ入ります。今日でもう十一歳になってしまいましたからね。十年以上この世界に留まるとは思いもしませんでした」
そう、遠い目をした少年は、飯田の横を通って店を出ようと立ち去る。少年の物言いに飯田は半ば呆れつつ、
「家は近所ですか? ご自宅に連絡して迎えにきてもらわなくて大丈夫ですか?」
とだけ声を掛けた。
少年は店の出口で立ち止まり。
「問題ない。もう何度もこの道は通ってきたのだから。」
と、大仰な口ぶりで店を出るのであった。
飯田はインカムで再び報告する。
「いやー変な子でした。出て行ったのでそのまま見送っちゃいましたけど、大丈夫ですかね?」
インカムから、佐竹の返事が返ってくる。
「……その子、誕生日とか言ってた?」
飯田はこの佐竹の返答に、少し違和感を覚えた。普段だったら仕事中は必要の無い物言いはしないし、淀みもせずにテキパキと動くのが佐竹と言うチーフであった。
「あー、そういえばそうだったかもしれません。何か知っているんですか?」
「実は、去年の今日だったはずだ。私も迷子を時計売り場で見つけて、迷子かと思って話し掛けたんだ。」
「へえ、去年と全く同じ。」
「そうなんだ。その時な、その子が妙に大人ぶった口調で、『ついに十代になってしまいました。今年はあっという間でした。』なんて言うから、少し笑っちまったんだ。そしたら、『笑い事ではありませんよ。学校で習った通り、人生はどんどん短く感じていくんです。僕の人生は、三分の一が過ぎたと言っても過言ではないのです』って、すごい真剣に言ってくるもんだからさ。私も、そういえばそんな話を聞いたことあるな、って思い出して、そしたら急に、そういえば俺も二十歳から三十歳ってあっと言う間だったな、と思っちゃった訳。」
佐竹がいつに無く饒舌に話すので、飯田は静かに聞いていた。同フロアのインカムには、他の人も聞いているはずだが、各々が佐竹の話に思わず耳を傾けているのが分かった。
「小さい子を見ると、そりゃ俺達は経験した道だから『まだまだ若いんだから』なんて気軽に言うけど、そもそも人間生きてれば、”その人にとって、常に今が一番年を取っている状態”なんだよなって気づいちゃってさ……」
佐竹はそこまで話しをして、咳払いをした。話しすぎていたことに、急に冷静になったのが伝わってきた。
「みんなすまん。今日はちょっと暇だったからかな。さっさと閉店作業して、家に帰ろう。」
と、佐竹はインカムの通信を終えた。
ロッカーで着替えていると、パラパラと、各売り場から社員があがってくる。普段なら挨拶程度で、お互いに疲れた顔をして会話になったりはしない。しかし、今日は誰とも無く飲みにいく?とか、そういえば最近気になっている習い事とか――と会話をしている人がいた。飯田は会話こそしなかったが、ロッカーの鍵を閉めると、ちらりと時計を見て帰宅まで余裕があることを確認していた。最近買っていなかった雑誌を買って、家でゆっくり読んでみようと考えていた。
おそらく誰もがなんとなく、さきほどの佐竹の話が耳にこびりついているように見えた。
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