閑話『正統と異端』

「一つ……」


 純白の修道女の、カウントダウンが終わる。

 つい数秒前まで巨人を苦しめていた光芒は消え、ウルリクムミの身体は再生しつつあった。

 アウラの雷霆によって破壊された外殻と、切断された右足。そして、彼が死に物狂いで露出させた核でさえ、堅牢な鎧の内側に隠れていた。

 万全というワケではないが、目の前の人間を一人殺すには十分。

 だが、修道女は揺るがない。

 意識を研ぎ澄まし、狙いを定め、圧縮された光の矢を番えていた。

 

「醜いな、古き神の産物というのは」


 一言、憐れむように呟いた。

 ウルリクムミについて、知識としては知っていたのだろう。

 王座を追われた神クマルビが、復讐するために生み出した岩の怪物。

 一人の神の恨みを晴らすためだけに創造され、「神に仇なす」という命令を忠実に遂行する巌の巨人。

 その存在は、彼女が奉ずる教えとは相容れない。

 修道女が信じるのは、全能なる主のみ。逆に言えば、他の神の存在は認めず、その産物は彼女から見れば完全な「異端」であった。


「貴様にかける慈悲はない。主の加護の満ちる地上から、疾く失せるがいい」


 冷たく言い放つと、彼女は矢を引き絞った。

 鏃に、光が集束していく。

 それは周囲のマナではなく、彼女自身から溢れ出るオドに形を与えたものだった。

 弓矢という形をとることに、深い意味はない。ただ、怪物を殺すために最も適したモノを選んだだけだ。

 

 それは、セシリアが振るった光芒と同じモノ。

 すなわち、魔を祓う聖光。

 

「ゴエーティア・■■■■■――――」


 より確実に、眼前の怪物を葬るため。

 異端狩りの執行者は詠唱し、出力を底上げする。

 彼女の一矢の破壊力は、今やアウラによる雷霆の投擲、あるいはバチカル派司教・ヴェヘイアが振るった冥府の炎を軽く凌駕していた。

 一撃で都市を更地に変えるほどの純粋な破壊。

 空間を捻じ曲げるほどの出力と、圧倒的な熱量。

 手負いの怪物を確実に仕留めるために、異端狩りの修道女はその異能を振るう。


「グ―― ―― ―― ァ ―― ―― ―― ―― ―― !!」


 身体の修復を終えたウルリクムミが、咆哮と共に襲い掛かる。

 巨人から見れば、目の前に現れた修道女など虫に等しい。

 その場から逃げる素振りを見せなければなどのこと。

 ウルリクムミは拳に稲妻を纏わせ、鉄槌の如く振り下ろそうとする。


「……失せろ」


 侮蔑の言葉と共に、神罰の嚆矢は放たれた。

 一切を蹂躙する光の奔流。それは最早「矢」という言葉で済ませられるものではなく、「大砲」という域に至っていた。


 ソレは一切を蹂躙する魔力の螺旋となり、巨人の体躯を粉砕する。


「―― ―― ―― ―― ァ ―― ―― ―― ―― ―― !!」


 その叫びは、巨人の断末魔か。

 撃ち放たれた聖光は、ウルリクムミが伸ばした手を腕ごと貫き、そのまま核もろとも胴体を破壊した。

 ウルリクムミの動きが止まる。 

 巨大な顎を開けたまま、数秒の沈黙が訪れる。

 そして、巨人の全身を駆け巡った光が、さながら榴弾のように一斉に励起する。


 外殻の隙間から、幾つもの光が差す。

 直後。ウルリクムミの身体が、鼓膜を破らんほどの轟音と共に内側からした。


 巨人の死に様を、修道女はただ見ていた。

 憐憫はない。ただ、醜いモノを見るような視線で、その最期を見届けた。

 爆発による閃光と衝撃波が、回避していたセシリアとアウラを襲っていることも知らずに。



※※※※



 戦いの舞台となった墓地に、異形の姿はない。

 修道女の放った一撃は、ウルリクムミどころか、土地に棲みついていた悪霊を一匹残らず浄化せしめた。

 風が、墓地を囲う木々を揺らす。

 月明りの下、一瞬にして魔を鏖殺した純白の修道女が、静かに佇んでいた。


 少しして、森の方から墓地の方へ足音が聞こえてきた。

 紺色の修道服と、彼女に肩を貸されている、腕から流血した銀髪の青年。

 教会の使徒セシリアと、権能行使の反動に苦しむアウラの姿だった。


「……これは、一体どういう風の吹き回しですか」


「何、私はただ自分の仕事をしたまでだ。貴様も同じ異端狩りなら、それぐらいは分かるだろう」


 視線を合わせ、セシリアと修道女は言葉を交わす。

 セシリアの口振りから察するに、彼女はこの修道女のことを知っている。

 

「っ……アイツは……教会の……?」


「はい。ですが、私達とは別の宗派の異端狩りです」


「ソテル教の分派……っ。確か、カノン派って言ったっけ」


 アウラの推測に、セシリアが静かに頷く。

 セシリアの治療により、権能行使の反動は多少は抑えられていた。戦闘はできないが、会話できる程度には回復している。


 ソテル教の宗派の一つ――カノン派。

 古来の信仰を認めることなく、全能なる主のみを神とするソテル教の教派である。

 神に対するスタンスこそ違うが、宗教上の対立はしていないというのは教皇エノスの口から語られていた。

   

(使徒以外に異端狩りがいたのも驚きだけど……戦わなくても分かる。俺やヴェヘイアよりも遥かに強い……)


 純白の修道女が放った一矢は、ウルリクムミを消滅させて余りある出力を誇っていた。

 実力に、あまりにも差がある。

 たとえアウラが開幕から神性を全開して挑んでも、現状では足元にも及ばない。

 一切の魔や異端を屠るために全てを捨てることで、この修道女は異端狩りとして至高とも言える領域に至っていた。

 

 続けて、セシリアは口にする。

 突如として現れた、異端狩りの聖女の名を。


「彼女は、キリエ・バルファランゲル。カノン派の異端審問組織「審判院」の執行者にして、アルカナの第六位。カノン派の中でも最強を謳われる異端狩りです」


「アルカナ――!?」


 アウラが眼を剥く。

 人外に等しい実力の猛者が名を連ねるアルカナ。その第六位。

 既に、アウラはそのうち二人と邂逅を果たしている。

 この先、アルカナに属する人間と出会うことは覚悟していたが――まさかこんなところで遭遇するなど、一体誰が予測できただろうか。


「確かにアルカナとやらに属してはいるが、くれぐれも同胞などとは思うな。これはあくまでも利害の一致に過ぎないのだからな。異教の人間……しかも偽神と肩を並べるなど、正直言って虫唾が走る」

 

 その単語を聞いた修道女――キリエは、冷たく返す。

 彼女の灰色の瞳は、確かにアウラを捉えていた。

 主以外の神を認めないというのが、カノン派の特徴だ。

 彼女がアウラにあまり良くない印象を抱いているのも、仕方のないことだとも言える。


「主以外の神……しかも、その力を継ぐ代行者など、私達からすれば異端も同然だ。バチカル派のように人に害を為す存在でなければ、既に我ら審判院が狩っている。貴様らがあの教団を討伐するというのなら、好きにするといい」


「信仰心も、そこまで行き過ぎると恐ろしいものですね。やはり、同じ神を信じているといっても、私達とは相容れません」


「結構だ。人々を惑わし、民の心を救わない空虚な神々に価値などないからな。この考えが変わることは未来永劫ない」


 セシリアの言葉を、キリエは否定しない。

 理解できない、という訳ではない。

 古き神を認めない。それが、正統派とカノン派の唯一にして絶対の違い。

 その溝が埋まることはない。

 異教を排斥し、唯一の神への信仰を広める。それが、キリエの信じる絶対的な教義だ。


「先の巨人の神骸は我ら審判院が押収するが、構わないな」


「異論はありません。バチカル派の手に渡るよりかはマシですので」


「了解した。では、私はここで失礼する」


「――ちょっと待った」


 法衣を翻すキリエを呼び止める声。

 それは、セシリアの一歩前に立つアウラだった。

 声に敵意はない。

 ただカノン派とはいえ、どうしてそこまで神を敵視するのか。

 アウラは神の力の代行者――偽神として、知りたかったのだ。


「ちょっと、アウラさん」


「大丈夫。もう一人で歩けるから」


 心配するセシリアを余所に、答えた。

 さきほどまでは足元が覚束ないこともあったが、今のアウラは両足で力強く立っていた。

 

「古き戦神の代行者が、私に何の用だ」


「いや、一つ聞きたかっただけだ。……確かに、カノン派の教義は知ってる。ただ、アンタの信仰は、俺から見れば多少ラインを越えてるように見える」


「……ほう」


 キリエが振り返ることはない。

 だが、その一言には僅かに怒気が籠っているようにも聞こえた。

 アウラの問いは、唯一の神に身を捧げる信徒の逆鱗を掠めていたのだ。

 

「……」


「――――っ」


 セシリアも、思わず生唾を飲み込んだ。

 キリエの纏う魔力か、はたまた漏れ出た神気か。

 彼女は背中を見せたままにも関わらず、圧倒的なまでの威圧感を放っていた。

 呼応するように、周囲の木々が風に揺れる。

 それは、ある種の警告だったのだろう。

 一線を踏み越えれば、誰であろうと主の御名の下に滅する。

 同じ神の信徒であるセシリアはまだしも、古き神の因子を宿すアウラに限って言えば、十分に殲滅対象になりうる。


 少し間を置いて、キリエは激情を落ち着けたのか、問の答えを紡ぎ出す。


「……古き神はもういない。いつまでも先の時代の信仰に縋ることは、言わば過去への執着だ。今は神の時代ではなく人の時代――故に、人々は古き信仰を捨て、唯一の神と共に未来に目を向けるべきだ」


「役割を終えたから、もう不要だと?」


「多くの神がいれば、その名の下に争いが生まれる。祭儀と称して無辜の民が生贄にされたこともあっただろう。元来、宗教や信仰は人の幸せを願うためにある……だというのに、その過程で誰かが悲しむなど、本末転倒も甚だしい」


「っ……」


 キリエの言い分に、アウラは反論できなかった。

 古来の信仰の中には、動物だけではない、人間を生贄に捧げるものもあった。

 かつてアウラが退けた司教――ヴェヘイアが接続していた魔神モレクなどはその代表的なものだろう。

 多神教の神は、人に寄り添っていた半面、生贄を求めることも少なくなかった。

 いうなれば、多神教の負の側面といっていい。

 命を対価に豊穣をもたらす。

 その等価交換の影で、一体どれほどの人が涙を飲んだのだろう。


「既存の神と教えが、争いと悲しみの火種になるのなら……その一切を廃し、唯一の神と教えに統合されるべきだろう」


「教会の神は生贄を求めず、争いを生まないから、か」


「無論だ。人を見離した神を、我らは認めない。常に人と共に在り、迷える者に道を指し示し、人心を惑わす魔を退ける。――その神の意志を実践することこそ、我ら審判院、ひいてはカノン派の存在意義だ」


 キリエの言葉には、自分の教えに対する絶大な信頼があった。

 どんな過去を経験したのかは分からない。

 ただ、キリエ・バルファランゲルという修道女は、己の全てを捧げるだけの価値をカノン派に見出していた。

 傍から見れば、一人の狂信者のように映るだろう。

 しかし、彼女の信仰はこの上なく純粋かつ高潔だった。

 凡人の陥りがちな妄信とは異なり、本質を理解し、全霊をもって教えを体現している。

 

 キリエの返答を受けたアウラは、静かに頭を下げる。


「……不躾な質問だったな。申し訳ない」


「構わない。であれば、私からも一つ質問させてもらおう」


 再び、純白の法衣が翻る。

 刺すような視線が、アウラを見下ろす。

 生半可な答えは許さない、そう言っているかのようだった。


「――貴様に、人であることを捨てる覚悟はあるか」


「……それは、俺が偽神だからか」


「私達は相容れないもの同士だが、バチカル派を討つという一点においては同じ目的を持っている。それを果たすために、己の全てを投げ打つ覚悟があるのかどうか、聞きたくなっただけだ」


 異教の神の化身と、一神教の崇高な信徒。

 正統派のソテル教——エクレシア派ならまだしも、彼らが並び立つことは本来はありえないのだから。

 それに値するのか否かを、キリエは問う。


(確かに、カノン派は本来、他の宗派や異教の力を借りずにバチカル派を討とうとする宗派だったな。言ってしまえば、見極められているってワケか)


 汗を滲ませながら、アウラは心中で零す。

 カノン派にとっての「例外」。

 肩を並べるに値する覚悟があるのかどうかを、ここでアウラは言葉で示さねばならない。

 

「アウラさん……」


「……答えになっているかは分からないけど、俺は偽神としての役割を全うするだけだ。ヴァジュラと雷霆の担い手になった時点で半ば人間を辞めているようなものだし、命を張る覚悟ならとっくに済ませてる」


 真っすぐな視線と共に、答えた。

 アウラは既に、只人の範囲から逸脱した存在だ。

 インドラと契約し、神の力を手繰る「器」として不完全だったのにも関わらず、彼は偽神になることを受け入れた。

 それは、自分が見つけた使命を果たすため。

 古き神の力を宿すアウラにとって、魔神・悪魔の異能を濫用するバチカル派を止めることは「責務」でもあったのだ。


「俺はバチカル派の連中と渡り合うために、インドラからヴァジュラと権能を託されたんだ。曲りなりにも認めてくれたのなら、それに応えられるように生きるのが筋ってもんだろ」


 アウラの言葉に、嘘偽りはない。

 たとえ身を滅ぼすほどの力だとしても、借り受けた以上は正しく使う。

 その先に死が待っていたとしても、関係ない。

 自分自身、そして神を裏切らないために、アウラは全霊を以て異能を振るうだろう。

 

「偽神としての矜持。自己肯定と他者の救済の両方を為すために、神と契約した、ということか……であれば、あとは行動で示すことだな」


「そんなことは分かってる。言っても、まだ司教を一人討伐しただけだからな。それにまだ、借りを返してないヤツもいるし」


 アウラの声に、力が籠った。

 彼が言っていたのは、十中八九、以前戦ったバチカル派の司教――ヴォグのことを指している。

 同じ「偽神」でありながら、バチカル派に加担する男。

 コインの裏表のように、二人の理想が交わることのない。

 アウラにとって、ヴォグは全霊を賭してでも捻じ伏せねばならない敵だったのだ。

 

「……いいだろう、精々道を違わぬように精進するといい」


 その言葉を最後に、キリエは歩き出した。

 夜闇に溶けるように、彼女の姿は森の中に消えていく。

 残されたのは、アウラとセシリアの二人だけ。

 暫しの静寂の後、緊張の糸が解けたのか、アウラは安堵したように溜め息を吐いた。


「ふぅ……しんど」


「凄い冷や汗ですよ」


「流石にな。あの一瞬の圧と殺意は間違いなく本物だった。返答を少しでも間違っていたら、確実に殺されてたと思う。それなりに場数は踏んできたつもりだったけど、問答だけでここまで緊張したのは久々だな……」


 軽く俯いて、アウラは額に指を当てる。

 初任務で疑似的な不死性を持つナーガと相対した時。

 エクレシア王国で司教序列第一位――ヴォグ・アラストルと戦い、死を乗り越えてぶつかった時。

 そして、全てを焼き尽くす冥界の魔人と渡り合った時。

 これらに優るとも劣らぬほどの緊迫感が、先のやり取りの中にあったのだ。


「一時はどうなるかと思ったけど、ウルリクムミも討伐できたし結果オーライか。……けほっ、けほっ」


「口元から血、垂れてますよ。本当に大丈夫なんですか?」


「ごめん、ちょっとやせ我慢してたかも……」


「全く……仕方ないですね。肩なら貸しますから、一先ず教会に戻りましょう」


「申し訳ない……」


 予想外の乱入があったとはいえ、当初の目的は果たした。

 あとは無事にエリュシオンまで戻り、結果を報告するだけだ。

 セシリアがアウラの身体を支え、ゆっくりと街の方へと歩き出す。

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