102話『異端なる執行者』

「主の御名の下に命ずる──」


 落ち着いた声色で、白髪の修道女セシリアは詠唱を開始する。

 アウラが代償を覚悟の上で作り出した好機。権能行使の反動で吐血しながらも、彼は巨人ウルリクムミの核を見つけ出し、顕わにして見せた。

 その献身を無駄にすることは許されず、この機を逃せば、二度とチャンスは訪れない。

 ──故に、彼女も全霊を以て事に臨む。

 

(アウラさんが巨人を抑えている間に、確実に葬れ)


 今一度自分に言い聞かせるセシリア。

 アウラの雷霆はウルリクムミの身体を貫き、抵抗できないよう大地に縫い付けていた。さながら、杭で打ち付けられた吸血鬼のようだった。

 それを確認すると、セシリアは槍斧を足元にある術式の基点に突き刺して、再び教典魔術を起動させる。

 主に仕えし大天使の威光を地に降ろす、ソテル教の秘儀。

 既に詠唱は済ませている。術式の駆動に取る時間はない。

 

「──主の天使の威光よ、古き魔を討ち払い給え」


 詠唱と共に、大地に刻まれた五芒星が光を帯びる。

 ウルリクムミの身体を蝕む蒼白い雷霆に、一切の邪悪を廃絶する白い聖光が加わる。

 

「教典魔術、四大天罰……っ!!」


 力強く、魔術名が宣告される。

 五芒星の頂点が円を描き、その巨躯を覆うほどにまで拡大していく。

 淡く、光が沸き上がった直後──天に向け、地に刻まれた魔法陣から光芒が放たれた。

 アウラをも巻き込んだ一撃。

 しかし、その光がアウラに牙を剥くことはない。

 魔滅の光の矛先は常に、主の敵にのみ向けられるのだから。


「ガ ── ── ── ──ア ァ゛ ── ── ── ── ! !」


 ウルリクムミが藻掻き、苦悶の声は咆哮となって墓地中に木霊する。

 破滅をもたらす光の中で、神代の巨人はなお生き足掻く。

 光芒は上空に顕現したウルリクムミの魔法陣をも浸食し、無効化していく。 

 この地に眠る魂を喰らい、自らの存在を強固にする──そんな蛮行は、何があっても許されるべきではない。


 苦しみ続けるウルリクムミを前に、セシリアは冷徹に言葉を紡ぐ。


「安らかに眠っていた魂を愚弄した罪、暗き陰府で償うといい」


 光芒は激しさを増す。

 ウルリクムミをこの世から消し去るべく、その核を着実に蝕んでいく。

 雷霆の楔で大地に繋ぎ留められ、抗うこともできない。

 そのまま放置していても、ウルリクムミは消滅する。

 苦しみの声を聴いても、セシリアは一切の慈悲なく、教典魔術の出力を上げていく。


「……聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな」


 ダメ押しとばかりに唱えられる三聖誦トリスアギオン

 神を讃える天使の言葉を以て、眼前で這いつくばる怪物の息の根を止める。

 使徒として、異端狩りとして。

 人の世を脅かす太古の魔神を、ここで討ち取る。

 

 一方、ウルリクムミの背中で雷霆を放ち続けていたアウラにも、限界が訪れようとしていた。


「……っが……っ!!」


 心臓が一際大きく鼓動する。

 直後、アウラは激しく吐血し、何度も血の塊を吐き出した。

 そして、ウルリクムミを縛り付けていた蒼白い雷が消失する。


(流石にここまでか……っ!)


 アウラの肉体は既に限界を迎えていた。

 神化を行使し、神性を解放した状態では、長時間の戦闘は不可能。

 最後の力を振り絞って跳躍し、転ぶように離脱した。

 

「アウラさん、少しだけ待っていて下さい!!」


 言うと、セシリアは再度、自らの術式に意識を向ける。

 槍斧を突き刺した足元──五芒星の頂点から、より多くの魔力を注ぎ込んでいく。

 そして、絶え間なく聖言を紡いでいく。

 雷霆が消えたとはいえ、そのダメージは確実にウルリクムミの体力を削ぎ落していた。


(このまま押し切れ……!!)


 歯を食いしばり、貫くような視線で這いつくばる巨人を見据えた。

 天に昇る光芒は激しさを増し、一切の抵抗を許さない。

 例えるなら、悪魔に下された神の鉄槌。

 人の身で振るわれる主の威光は、神の定めに背くモノ全てを殲滅する────!!

 

「その御名は万軍の主。神逆らう者、罪を犯す者は永劫の滅びを受ける。その眼差しは全地に満ち、悪を為す者の腕を挫く」


 紡がれる聖言詠唱。

 最後の抵抗か、ウルリクムミは光芒の中から腕を伸ばし、セシリアを捕えようとする。

 自らの身体を縛っていた雷霆が消えたことで、僅かながら自由を取り戻していた。

 巨人の手が人間を握り潰すのが先か、聖光が核を破壊するのが先か。

 醜くも足掻こうとするウルリクムミを前に、セシリアは明確に敵意を顕わにする。


「……眠れ。人の時代に、お前のようなモノが出る幕はない」


 冷徹に、異端狩りの修道女は言い放った。

 向かってくるウルリクムミの方へ、手を翳す。

 これ以上、この怪物を地上に存在させる訳にはいかない、と。


 止めを刺そうと、最後の一言を紡ぐ。

 その、刹那だった。


「──この程度の異形に二人がかりで苦戦。使徒はおろか、偽神すらこの程度とは」


「……ッ!?」


 言葉の端々に侮蔑の籠った声が、セシリアの後方から鼓膜を叩いた。

 戦いの中で背後を取られることは、死に直結する。

 反射的に振り向いた、その先には────、


「随分と落ちたものだな。正統派の異端狩りも、古き神の力も」


「お前は……」


 セシリアの瞳に移ったのは、光の矢を番えた純白の法衣の女。

 胸元にはソテル教のシンボルである「竜の巻きついた十字架」の刺繍があしらわれ、彼女が同じセシリアと同じ宗教の人間であることは明白だった。

 そんな彼女は深い紫の髪を後ろで結っており、灰色の瞳が冷たく獲物を捉えていた。

 狩人の眼。

 同じ異端狩りでも、セシリアのような人間性を持ち合わせていない。

 己の全てを教えと異端狩りに捧げ、それ以外の全てを捨てた、無慈悲な処刑人の眼をしていた。


「今から三つ数える。その間に、そこの偽神をどけろ」


 鉄のような修道女が警告する。

 番えられた矢に、光の粒子が収束していく。

 それは、さながら「砲門」だった。

 都市一つを更地に変えるほどの魔力が、ウルリクムミ一体に対して向けられている。


「ッ────!!」


 セシリアは術式への魔力供給を即座に中止し、跳躍する。

 彼女は、突如として現れた修道女の言葉を疑わなかった。

 

(コイツは、やる……間違いない、私たちごと殺すつもりだ……!!)


「三つ」


 純白の使徒のカウントダウン。

 地面が抉れるほどの力を込めて大地を蹴り、槍斧を携えたままとは思えない速度でアウラに接近する。

 当のアウラはヴァジュラを支えに、肩で呼吸しながら片膝の状態をなんとか保っていた。


「ふぅ……っ!! なんだ、アイツは……っ」


「詳しい話は後。今はまず、少しでもここから離れるのが先決です……ッ!!」


 セシリアはアウラの腰に腕を回し、小脇に抱えてみせた。

 ただ、無駄な話をしている暇はない。


「二つ」


(尋常じゃない魔力と熱量。巻き込まれたら確実に灰すら残らない……!)


 すぐさまセシリアは地を蹴り、ウルリクムミから距離を取る。


(あの光の矢は、本質は私の教典魔術と同じでしょう。果てには私よりも出力は上、あんなものをここで放ったら……)


 直感で、彼女は修道女の危険性を見抜いていた。

 自分と同じ異端狩りであることは、既に予想はついている。

 しかし、殲滅のために周囲を顧みない姿勢は、セシリアが属する正統派の使徒には見られないものだった。

 一歩でも多く、ウルリクムミから離れるべく木々の間を駆ける。

 既に、戦いの場であった墓地からは数十メートルの距離がある。

 ここまで来れば安心だろう、そう思って足を止めたセシリアだったが――――、


「な────────」


 その認識は誤りだったと、否が応でも理解させられた。

 迫りくる烈風と、鼓膜を叩く轟音。

 そして、夜闇を切り裂くような激しい閃光と衝撃波が、セシリアとアウラを襲ったのだった。

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