100話『再誕せし太古の巨人』

「ナーガみたいな「神期にいた種族」じゃない……紛うごとなき神話の怪物だよ、コイツは」


 怪物を見据えて、アウラが呟いた。

 蘇った岩窟の巨人は、魔術によって造られたゴーレムなどではない。正真正銘のだ。

 太古の神王クマルビが、己を追放した嵐神テシュプと神々に復讐するために創造した存在。

 アウラとセシリアの二人が相手をしていたのは、決して只人が立ち向かっていいものではなかった。


 たかが神の力を借り受けた人間風情が刃を向けようなど────傲慢も甚だしい。


「── ── ── ── ── ── !!!!」


 天を仰ぎ、ウルリクムミが咆哮を上げた。

 それは、怒号だった。

 矮小な人間が、愚かしくも自分を葬るべく武器を執ったことに対する、純粋な怒り。

 あるいは、眼前に立つ雷霆の代行者に、かつて敗北を喫した嵐の神と同じ匂いを感じ取ったのだろうか。


「「っ……!!」」


 あまりの轟音に、思わず二人は耳を塞ぐ。

 魔力で保護していなければ、鼓膜が破れかねない程の轟音。

 数秒、アウラ達はその場から動けず──直後、巨人の攻勢が始まった。

 

「────っぶね……ッ!!」


 鉄槌の如く、ウルリクムミの拳が振り下ろされる。

 純粋な瞬発力と反応速度のみで、アウラとセシリアは一撃を避け、戦いの口火を切る。


「我が身は雷霆の示現……!」


 最初に動いたのは、アウラだった。

 振り下ろされた腕を足場にして、そのまま一気に駆け上がり──詠唱を以て雷霆の出力を底上げする。

 もう一本の腕で羽虫の如きアウラを捕えようとするが、彼を捉えるには些か遅い。

 

(巨人の弱点といえば、ココって相場が決まってるだろ……!!)


 狙うは一点、巨人の頭。

 眼窩を目掛けて、ヴァジュラに雷霆を纏わせる。

 頭を斬り落とされた杉の森の番人フンババや、百眼の巨人アルゴス、あるいは頭を打ち抜かれた邪視の魔人バロール──頭部を狙われて敗北した巨人の伝承は各地に点在する。

 

 図書館の資料での調査、そしてインドラの記録による検証。

 既に己の知識と、伝承の実在・非実在の擦り合わせは済ませている。

 アウラが迷いなく頭を狙いに行ったのは、それが要因だ。


「まずは、一発────ッ!!」


 アウラは瞬く間に腕から肩、胸へと駆け上がる。

 勢いそのままに跳躍し、稲妻が迸るヴァジュラの切っ先をウルリクムミの眉間に突き刺した。


「グ、ォォォォォォォァァァァアァ────────!!」


 ウルリクムミが苦痛の声を上げる。

 だが、それで終わりではない。

 ヴァジュラの刃は岩窟の体躯を容易に貫き、深々と突き刺さる。 

 アウラは振り回されないように踏ん張りながら、雷霆を巨人の体内に流し込み──炸裂させた。


「爆ぜろ……ッ!!」


 怪物の身体全体を、蒼白い雷が駆け抜ける。

 雷神インドラが振るった天の暴威。

 全能の大神ゼウスの雷霆ケラウノスに並び称された、万象を打ち砕く破壊の具現。

 人の身で行使されようとも、その雷が魔術の埒外にあることに変わりはない。

 アウラの雷霆は巨人の体躯を内側から蹂躙していき、鋼鉄のように堅牢な外殻を破壊してみせた。


(仕込みは済んだ。後は核の位置が分かればブチ抜くだけ……なんだけど)


 ウルリクムミの顔面を蹴り、アウラは離脱する。

 初手に雷霆を打ち込んだのは、ただ攻撃するためだけではない。

 長期戦に持ち込む気など更々なく、雷霆を使って巨人を構成する「核」の場所を遠隔で探し当て、雷霆の投擲でケリを付けるつもりだった。

 とはいえ、相手は神代の巨人。

 その程度で仕留められるなど、思い上がりに過ぎない。


「いくら神代の雷霆と言えど、効き目はあまり無いみたいですね」


「巨人の神話に共通する「基盤」を突けば多少は効くと思ったんだけど……ダメだな。流石に硬いし、外殻を少し剥がしただけだ」


 冷静な判断を下す、槍斧を肩に担いだ修道女。

 アウラの方も反論することはなく、雷霆を叩き込んだ時の感覚を吐露した。

 東西の大陸を跨いで存在する「頭を弱点とする巨人」の伝承を利用し、アウラは初撃を叩き込んだ。

 彼の雷霆が竜種のナーガを粉砕したように、頭部を狙うことで「限定的な神話の再演」を行ったが──この巨人には効果がないように思えた。


 一歩後ずさるウルリクムミ。

 その巨躯はすぐに体勢を立て直し、再び拳を振り下ろそうとした直前──巨人の背に、天使の如き光の輪が顕現する。


「「────ッ!!」」


 大地が、揺れ動いたかのようだった。

 光輪の出現に呼応するように、ウルリクムミの足元から黒い影が引き摺りだされていく。

 その正体を、セシリアは即座に察していた。

 この地に眠る、霊だった。

 安らかに眠っていた筈の魂が無理やり呼び起こされ、巨人の背の魔法陣へと取り込まれていく。

 吸収というよりも、捕食。

 死者の魂を糧として、己をより強く現世に「定着」させる。

 そして──巨人の体躯が一回り巨大化する。


 再び、鉄槌が振り下ろされる。

 振りかぶられた拳には、奇しくもアウラと似たような蒼雷が宿っていた。

 さながら、北方にて無双を誇った雷神トールの神器ミョルニルの如く。ただの拳が、外敵を周囲の土地ごと葬る凶器へと変貌する。


(コイツ、土地ごと俺らを殺すつもりか……!!)


 退避という選択肢は除外。

 アウラは思考を即座に「迎撃」に切り替え、ヴァジュラを持った腕を引き絞る。

 

「アウラさん、離れて!」


「……いや、問題ない」

 

 己に宿る神性を表出させ、魔力を練り上げる。

 空気が震える。それは傍らに立っていたセシリアも感じ取っていた。

 墓地、ひいては周囲の景色を構成する自然そのものが、アウラの内から漏れ出た神威に畏れをなしたかのようだった。


 巨人の異能だろうと関係ない。

 かつて戦った嵐神の権能の贋作が、真なる権能を凌駕しようなど──片腹痛いにも程がある。


(上等だ……ッ!!)

 

 雷霆が唸りを上げる。

 稲妻を纏い、魔を葬る槍へと変貌したヴァジュラを、アウラは振り下ろされる拳目掛けて撃ち放った。

 アウラに宿る雷神の断片が助力していたのかと思わせるほどの、凄絶な一撃。

 放たれた光は夜闇を真昼の如く照らし出し、巨人の鉄槌と拮抗した。

 

 鬩ぎ合う二つの雷。

 しかし、贋作と真作。そのどちらが上回っているかは一目瞭然だった。

 

「── ── ── ── !?」


 振り下ろされる巨人の拳が、止まる。

 投擲された雷霆は、徐々にウルリクムミの一撃を押し返していく。

 アウラにとっての奥の手である神化──テウルギアこそ行使していないが、それでも出力は限界まで上げている。

 純粋な破壊力だけであれば、それは神代の巨人にも届きうる。


 数秒の拮抗の末。

 アウラの雷霆は轟音と閃光を伴って、ウルリクムミの右腕を破壊せしめた。


 巨人にも通用する一撃。

 傍から見れば、アウラ単身でも渡り合うことは可能なように思えるが──当の本人の感触は芳しくなかったようで。


(この出力なら押し負けはしない……けど、あんま効果的ではなさそうだな)


 崩壊した右腕を押さえるウルリクムミ。

 アウラは距離を取りつつ、巨人に起きている異変に目を留める。

 

「やはり、破壊しても即座に再生していきますね」


「完全にデジャヴだなこりゃ……いや、ナーガみたいに手数が多くないだけマシか。それよかアイツ、死者の霊魂を取り込んだのか?」

 

「いや、少し違いますね。ヤツが取り込んだのは、おそらくプネウマでしょう」


「プネウマって確か、人間の魂が変質した魔力源みたいなものだったか。バチカル派の連中が民を殺すのも、プネウマが重要な要素だっていうのはクロノから聞いたよ」

 

 セシリアが語った単語に、アウラは聞き覚えがあった。

 

「プネウマは、言わば魂がより純化されたもの。魔力源としては間違いなく最良でしょう。この巨人が力を取り戻しているのが、何よりの証拠です」


「となると、力を削ぎ落すには……プネウマを吐き出させるしかないか。もっとも、方法があればの話だけど」


 徐々に巨人の腕が修復していき、贋作の雷霆も激しさを増していく。

 このままでは二人とも消耗する一方であり、戦況は未だ不利なまま。

 同じ再生能力持ちの怪物といっても、その速度はナーガに劣る。手数も少ない一方、一撃一撃の攻撃範囲はナーガを軽く凌駕している。

 モロに食らえば、致命傷は免れない。

 されど──それが、彼らが退く理由にはなりえない。


「……戦いの中でプネウマを放出させることは難しいでしょう。ただ、この巨人を核ごと葬り去れば、解放される可能性はゼロではありません」


 一歩、セシリアが前に出る。

 神の言葉が刻み込まれた槍斧を手に、さながら戦士のように立ちはだかる。

 

「悪霊ならいざ知らず、この怪物は安らかに眠る魂を喰らいました。それは、死者の冒瀆に他なりません。であれば──その魂たちを供養するためにも、コイツはここで殺し切ります」


 ふつふつと、彼女の闘争心に火がともる。

 往生を遂げた魂は、二度と起こされるべきではない。

 生きている間の苦から解放された今、死者が安寧を享受し続けるべきだと、セシリアは考えていた。

 教会でも、天に昇った魂は神の国へと受け入れられると、そう教えられてきた。

 俗世から離れた者。既に人生を生き抜いた者を自らの為に利用した。

 その所業を、冒瀆と言わずしてなんと言う。

 

 ソテル教の教えを守る使徒として、セシリアはウルリクムミを明確に「神の敵」だと定義した。

 主の定めた理に背くモノを葬るため。

 内より沸き上がる憤怒を力に変え──異端狩りの修道女は神代の巨人を迎え撃つ。


「アウラさん、ヤツの核を露出させることはできますか?」


「正確な位置が掴めないから少し難しいけど、ようは弱点を剥き出しにすれば良いんだな」


「えぇ。浄化の為に刻んだ五芒星はまだ機能していますので、ヤツの弱点さえ炙り出してくれれば問題ありません。そこからは私がやります」


「コイツの核ごと浄化するのか?」


「今の状態では、流石に外殻が邪魔過ぎて浄化が核まで行き届きませんから。どうか頼みます」


「了解だ。何がなんでも、あの厄介な鎧を引っぺがしてやるさ」


 言い終えると、アウラは一度深呼吸をする。

 これより振るうのは、人の編み出した魔術に非ず。

 神話の巨人には、神代の力を。

 余計な思考を全てカットし、内に宿る神性に意識を向け────、


「……テウルギア・ヴァジュラパーニ」


 貫くような視線と共に、聖句を紡いだ。

 インドラの神性を解放し、戦神としての威容を人の身で再演する。

 紫電が迸り、雷神の再臨を告げる。

 神代の巨人、何するものぞ。

 人の時代に、古き魔神が出る幕はないのだから。


 

 


 

 



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