99話『顕現/Elder giant』

「瘴気が、少し濃くなっていますね」


 祭壇に近付くにつれ、セシリアは周囲の気配が変化していることに気付く。

 魔獣を一通り片付けたにも関わらず、墓地を含めた一帯の雰囲気は重苦しいものだったのだ。

 それはアウラも感じていた模様で、一度目に足を踏み入れた時と同じ感覚を抱いていた。

 彼は「あぁ」と頷き、セシリアの言葉を肯定するように話し出す。


「最初に来た時よりも、確かに悪化してる気がする」


「と言うと?」


「俺の内にある神性のせいかな。魔神やら悪魔みたいな「魔」とか「死」に関するモノの気配に関しては割と敏感なんだけど……そういう匂いが強くなってる」


「魔の者、ですか。そういえば、アウラさんが倒したバチカル派の司教も、似たような存在でしたね」


「うん、ヴェヘイアが取り込んでたのは、冥界の魔神モレクの核だった。より詳細に言うんだったら、そうだな……感覚的には、アイツが冥界ゲヘナを地上に顕現させてた時の雰囲気に、墓地を含めた一帯が似てる気がするんだよ」


 アウラは歩きながら、自分の感覚を言語化していく。

 古来、墓地は死後の世界への入り口でもあった。即ち、人間の世界で最も「死」に近い場所である。


「魔神モレクの冥界、あらゆる魂を焼き尽くすゲヘナと、この辺りの雰囲気が似ていると?」


「確実に同一とは言えないけどな。ただ、一つ推測するとすれば、悪霊の活性化の原因……さっき地脈を通じて視た悪魔の起源がモレクに近い地域にあったとしたら、雰囲気が近いのも頷けると思う」


 アウラの口から出た神の名は、当然セシリアも知っている。

 ──灼熱の冥界ゲヘナを統べし牛神モレク。

 幼子の生贄と引き換えに豊穣を確約し、恐怖による支配によって信仰を得ていた魔神である。

 曰く、神期が終わった後にもその祭儀は続いた。そのあまりの残酷さ故、異教に寛容だったソテル教ですら信仰を禁じたという。


「邪神モレクについては、私も教皇庁の書庫で資料を読んだことがあります。……となると、この異変の元凶は、東の大陸を起源とする悪魔や魔神の類だ……と。そういうことですね?」


「あくまでも、俺の予想だけどな」


 前置きして、アウラは足を止めた。

 続いて、彼の前をセシリアが進む。そして──墓地の中で一際異彩を放つ祭壇の前で足を止めた。

 彼女は祭壇についている埃を払い、注意深く観察を始める。

 一方のアウラは周囲を警戒しつつ、いつ異変が起きても良いように備えていた。


「瘴気の根源はこの祭壇の下……それと、この碑文の内容は……」


 祭壇の冷たく硬い表面に触れつつ、一体に蔓延する瘴気の出どころを探る。

 セシリアが感じ取ったのは、祭壇の真下。地中の奥深くから発生している。

 彼女は続いて祭壇の上に刻まれた碑文に視線を移し、その内容を読み解いていく。

 

(……”汝、天を衝きし巨人が一人。何人もその巨躯を見下ろすこと能わず”……ですか。祭壇自体におかしな術式が刻まれている訳でもない……)


 碑文を指でなぞりながら、黙読する。

 この文章が何を示しているかは、考えるまでもない。

 墓地に眠るモノ、セシリアが聴いた死者たちが恐れ。アウラがインドラの記憶の中で姿を視た、悪霊騒ぎの「元凶」だ。

 他に手がかりになりうる情報は見つからず、セシリアはそのまま「土地の浄化」に移る。


「何か分かったのか?」


「やはり、瘴気の出どころはあの祭壇の下でした。なので、あそこを基点として結界を敷いて土地を浄化します。少し大がかりになるので、アウラさんにはコレを私の言った場所に配置してきてくれませんか?」


 そう言って手渡したのは、刀身に『聖伝書』の一節が刻まれた数本のナイフだった。

 

「祭壇を中心として、五芒星の位置に突き刺してきてくれれば大丈夫です。何も起きなければ、残りは私の仕事ですので」


「了解だ」


 アウラは端的に答えつつ、同時に頭に浮かんだ素朴な感想を口にする。


「それにしても、五芒星か……」


「何か気になることでも?」


「あぁいや、なんというか、ソテル教も昔からあるシンボルを使うんだなって思ってさ。元々、五芒星って魔術における五大元素の象徴図だったろ?」


「教典魔術は教会が編み出した魔術とはいえ、古代の異教的な要素も完全にゼロではありません。私達が使うのは、世界を構築する五元素に対応する五芒星を、我らが主に仕えし四人の大天使に組み替えた物です」


「なるほどなぁ。既存の魔術理論を、ソテル教の世界観に沿うようにってワケか」


 懐から一枚の紙──聖伝書のページを取り出しながら、セシリアは答えた。

 時の教皇によって方針に違いこそあったが、古来より異教に寛容だったソテル教だからこそできた芸当である。

 神に仕え、悪魔を討ち払う大天使。

 一神教という特性上、崇敬されることはあっても古来の神々のように熱心な信仰の対象にはなっていない。しかしソテル教の魔術理論において、その概念は重要なファクターとなっていた。


「流石に土地そのものに干渉する浄化となると、これぐらい大がかりな魔術でないと難しいので。……では、お願いしますよ」


「おう、任せてくれ」


 拳で胸を叩き、ナイフの配置に向かう。

 頂点から始まり、左下、右上、左上、右下の順に地面に突き刺していく。

 一方のセシリアは五芒星の中心となる祭壇の前に立ち、取り出した聖伝書の一ページを地面に置き、その周囲に幾何学模様が重なったような方陣を描いてた。

 それは、術式を成立させるための「基点」である。


(前に洞窟でナーガと戦った時にクロノがやってたのと似たような感じか。大規模な術式なら、それだけ魔法陣のサイズも比例して大きくなる)


 自分の仕事を終えたアウラは、準備に勤しむセシリアを見て思い出していた。

 最初の依頼の洞窟探索。

 その際、アウラはクロノと共に、巨大な地下空洞に神期の魔獣であるナーガと交戦。これを討ち取ってみせた。

 その際、クロノは決定打となる魔術──神言魔術を成立させるため、魔法陣を形作る為の基点を地面に打ち込んでいたのだ。

 セシリアがやっていることは、根本的にはそれと変わらない。


「使う魔術の系統は全くの別だけど、根幹自体は同じ。つまりは出力される物が異なるだけってところか」


 腕を組み、得心がいったように呟いた。

 しかし同時に、魔術に対する理解を深めたところでこうも思ったようで、

 

(でもよくよく考えたら俺、基本的に雷霆と「強化」の魔術しか使わないのに、これ以上魔術の知識を入れる必要なくない? ……いやそんなことはないか。もしこれから魔術師と戦うことになった時に役立つよな、多分)


 一瞬疑心暗鬼になった自分を、即座に戒める。

 知識を付けておくに越したことはない。

 事実、殆ど近接戦闘で押し切るカレンでさえ、魔術の知識は豊富に持ち合わせているのだから。

 そう自分の中で落とし所を見つけたところで、セシリアの準備は整った。


「……ふぅ、大体こんなところでしょうか。やはり複雑な陣を描くのは骨が折れますね」


「お疲れ様。でも、本番はここからだろ?」


「えぇ、この土地の悪霊を祓い尽くすまでが私の仕事です。では──始めましょう」


 セシリアが言い終えると共に、彼女の纏う雰囲気が一変する。

 深呼吸をして、意識を研ぎ澄ませていく。

 この地に蔓延る悪霊の存在を感じ取り、その一切を土地そのものから引き剥がし、消滅させる為に。

 彼女は槍斧の柄に魔力を通し、刀身を具現化させる。そして切っ先を聖伝書に突き立て──魔を打ち払う聖句を紡ぎ出した。


「──主の御名の下に告げる」


 宣告するかのように、彼女の声が一帯に響き渡る。

 聖伝書のページが突き破られると、その周囲に描かれていた魔法陣に白い光が灯る。

 天地万象を創造せし真なる神。それがソテル教の信奉する神だ。

 その神の御前に立ち、七つの天を治めていた者こそ、数多の天使の頂点に立つ大天使たちである。


 これよりセシリアが行うのは、その筆頭たる四大天使の威光を再演し、魔を打ち払う追儺の儀式。

 上位存在の力を魔術として再演する点においては、異教の魔術の最奥──神言魔術に等しい。


「汝、万軍の主に仕えし者、主の御前に在りし四人の御使いよ。その大権と威光を以て、神理の敵を討ち払い給え」


 淀みなく紡がれる聖句。

 逐一思い出しながら唱えているようには見えず、詰まることなくスラスラと言葉が続く。


「南に神の如きミカエル、東に神の人ガブリエル、西に神の癒せしラファエル、北に神の炎ウリエル。ヘハロトの宮殿より出で、その御力を此処に示せ」


 天使の名が告げられるごとに、五芒星の点と点が繋がっていく。

 そして、頂点同士から回路のように線が流れ、光と共に五芒星を囲う円が形成されていった。

 魔法陣の成立。

 魔力は絶え間なく循環を始め、邪気に満ちた土地を浄化する「場」へと書き換えていく。

 陣より発する光は徐々に強さを増していき、セシリアの纏う法衣がたなびきだす。


「我は主の天使の大能を地上に降ろし、遍く魔を屠る刃とせん」


 詠唱と共に、光は波紋のように広がっていく。

 夜闇を切り裂くように照らし出しながら、墓地を、ひいては土地そのものを「浄化」の範囲に収めていく。

 さながら空間が上書きされるかのように、光が広がっていく。


「……教典魔術・四大天罰」


 そして、セシリアが魔術名を唱えて結実させる。

 唱え終わった刹那、それまでゆっくりだった空間の侵食が加速を始める。

 魔術の及ぶ範囲はさらに数十メートルほど拡大。そして人ならざるモノを炙り出し──主と大天使の威光を以て打ち払う。

 

 眩しいとすら感じられるほどに明るく照らし出され、術式が駆動する。

 その光景は、この場にいるのが悪霊に侵された墓地だということを忘れさせるほどに幻想的だった。


 アウラは儀式の進行を見届けつつ、周囲の光景に目を奪われていたが──、


「……これ、悪霊か……?」


 呟いて、眼前で起きた「異変」に目をやる。

 地面から、無数の影が引き摺り出されていくという光景。それは苦悶を浮かべているようにも見え、瞬く間に蒸発するように霧散していく。

 その光景を見たセシリアは補足するように、アウラに語り出す。

 

「四大天使はかつて、人類を堕落させた悪魔……エグリゴリと呼ばれる堕天使たちを捕えたといいます。即ち、ミカエルやラファエルは自ら悪魔を退けた存在。限定的に再現された威容だけでも、土地に根付いた悪霊を根こそぎ祓うには十分でしょう」


「確かに、寧ろやり過ぎってレベルだな……完全に悪霊を狩り尽くすまで止まらないのか?」


「おそらくは。この規模であれば、二分ほどあれば足りるでしょう」


 眼前で、次々と悪霊たちが消失していく。

 冥府に送り返すのではなく、悪霊たちに与えられるのは完全な霊魂の破滅だ。

 主と大天使の威光は、まさしく霊にとっては天敵。こと対霊において、教典魔術ほど効果を発揮する魔術はない。

 

 時間と共に、セシリアの魔術は威力を増していく。

 悪霊が抵抗すればするほど、より強く、悪霊を地上から引き剥がそうとするのだ。

 如何なる霊も逃れる術はない。

 

「……アドナイ・メレフ・ネエマーン。主の理に背く魂に、天の代行者たる私が告げ――――」


 浄化の進行度を確認し、術式を締めくくる聖言を唱えようとする。

 しかし、セシリアは詠唱を途中で止めた。

 さながら、何か違和感を感じ取ったかのように。

 その様子を見たアウラは、すかさず彼女に問う。


「どうした?」


「……おかしい、悪霊は祓っているのに、瘴気が消えていません……いや、寧ろ増えて……────っ!!??」


 突如として、地震が起きる。

 畳み掛けるように大地に亀裂が入り、赤黒い瘴気が堰を切ったように溢れ出した。


「これは――――ッ!!??」


「セシリア!!」


 眼前で起きた異変。

 彼女の眼前にあった祭壇は崩壊していき、その下からは現れた。

 

「ッ────!!」


 這い出るように、裂け目から巨大な「腕」が現れる。それは、さながら堅牢な岩のような質感をしているようにも見えた。

 その腕は大地を掴み、深い地の底から少し遅れて「本体」も姿を現す。

 セシリアはいち早く飛び退いて距離を取り、現れた怪物を見据える。

 

「これは、さっき視た……」


「本命のおでましだな」


 槍斧の刀身を具現化させるセシリアと、ヴァジュラを実体化させつつ雷霆を帯びるアウラ。

 その「腕」が出現した時点で、即座に臨戦態勢に移行していた。

 二人が距離を取ったところで、大地から現れたソレは、自分を葬ろうとする人間の存在を認識する。

 

(岩窟の巨人。モレクと同じく東の大陸で語り継がれた存在……だったら話は早いな)


 出現した巨人を見つつ、アウラはその真名を推測する。

 その巨人は、少なくとも全長15メートルはあった。身体を覆う岩は最早「鎧」に等しく、重厚感のあるフォルムをしていた。


「……ウルリクムミ、か」


「アウラさん?」


「コイツの真名だよ。インドラの記憶と俺の知識が正しければ──天に届くほどの体躯を誇り、神々の軍勢すら退けた神話の巨人だ」


 冷静に、アウラは告げた。

 かつて王座を奪われた神が、復讐が為に生み出したという巨人・ウルリクムミ。

 それが、悪霊騒動の原因──そして、二人がこの場で絶対に討ち取らなければならない怪物だった。

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