98話『異端狩りと雷霆使い』

 ──アウラ達が交戦を始めた頃、街の教会では「異変」が起こっていた。


 静かな一室。

 ベッドの上で眠っていた少女、サラ。

 彼女に憑りついていた悪霊は既にセシリアの手によって祓われた。だが──彼女の身体の中に宿るごく僅かな「残滓」が、新たな霊の呼び水となる。


「っ、────あぁぁぁぁッ────!!」


 悪寒が前身を駆け巡り、彼女は苦悶を顕わにする。

 冷たい何かが、自分の内側に入り込んで来る違和感。何にも形容し難い不快感が、サラを襲っていた。


「サラさん、どうしました!?」


「何かが、私の中に……っ!!」


 サラの叫び声を聞いて、別室にいたシスターのレナが駆け付ける。

 そのままうずくまるサラに駆け寄り、その背中をさすりながら、突如として起きた異変に直面する。

 本来であれば、起きる筈のない異常事態。


(シスター・セシリアの処置は万全だった。残滓は全部取り除いたのに、一体どうして……!?)


 確かに、セシリアの施術は完璧だった。

 人体に影響が出ないように残滓を取り除き、後遺症の可能性を加味して悪霊よけの術式まで施していた。

 しかし、それは僅かに遅かった。

 ほんの僅か。自我を持てない程の欠片に過ぎなかったが――悪霊の魂は、レナの魂にまで根を降ろしていた。


(まさか、対処がそもそも遅かったの────!?)


 そうなってしまえば、他の悪霊が憑りつく為の「糸口」が出来てしまう。

 肉体を求めて辿り着いた霊は、サラの意識を侵食。本能のまま彼女の身体の支配権をも奪取し、血走った目でレナを睨み、


「ッ……かはっ……!!」


「っ────!!」


 両手で、その首を強く絞める。

 酸素の供給が断たれ、声にならない声がレナの口から漏れる。

 サラには僅かばかりの理性が残っていたのか、彼女の表情は悲壮なものだった。


(────嫌、やめて……私の身体で……!!)


 彼女の頬を、涙が伝う。 

 思うように動かない身体で、人を殺めようとしている。レナの首を絞める手の力を緩めることはできず、完全に肉体の支配権を奪われている。

 声を出せない状況になっていることで、レナは悪霊祓いの聖言を使うことすらできない。

 激流に押し流されるように、意識は朦朧としていく。

 精一杯の力を振り絞り、レナはサラの両手首を掴もうとするが、拘束を解くことは叶わない。


(不味い、死ぬ……っ)


 抵抗する気力すら奪う膂力。 

 助けは来ない。当然、自分一人の力で今の状況が覆る筈もなく、レナは己に迫る死を受け入れようとすらしていた。

 サラに罪はない。

 悪霊に憑りつかれてしまったが故の殺人であれば、天におわす神もきっと彼女を許してくれるだろう。


(っ────、)


 レナが限界を迎え、意識を手放す直前。

 ガチャリ、という音と共にドアが開き、見覚えのないが視界に入ったのを最後に、レナの意識はブラックアウトした。




 ※※※※




 真夜中の墓地を舞台として、人と魔物の戦いが繰り広げられる。

 膨大な数の異形を相手取るのは、一神教の修道女と、太古の神の権能を振るう魔術師。

 人の手によって編み出された魔術と、人に畏れられた自然の暴威が魑魅魍魎の悉くを打ち払っていく。

 セシリアは握る手に力を込め、槍斧の柄から刀身に至るまで魔力を通した。


「魔物狩りは職務ではありませんが、結局やることは普段と変わりませんか」


 彼女が携えた槍斧に、文字が浮かび上がる。

 聖別された槍斧に刻み込まれていた、聖伝書の言葉の数々。故に──彼女の手繰る刃は、主の威光の宿る処刑道具と化す。


「教典魔術・戦葬儀典」


 法衣をたなびかせ、セシリアが詠唱する。

 教典魔術による身体強化。

 異端を屠るべく叩き込まれた戦闘技能が、遺憾無く発狂される。


「── ── ── ── !!」


 正面から襲い来るのは、蜘蛛と人間の混成のような怪物。

 その腕は鎌のように変形し、彼女の真上から振り下ろされる。


 直撃すれば致命傷は免れない一撃だが、彼女を捉えるには些か遅すぎる。

 セシリアは一歩で魔獣の懐へと入り込み、


「ッ────!!」


 蜘蛛の部分と人間部分の結合部分、人間の腹部にあたる部位を横に一閃する。

 底上げされた膂力と、退魔の武器に昇華された槍斧。

 その刃は一ミリの抵抗も許すことなく、魔物の命を刈り取った。


 しかし、すぐに「次」が来る。

 二人が戦っているのは、途方もない数の魔物。

 一体一体に必要以上に体力を消費するワケにはいかず、セシリアは懐から数本のナイフを取り出し、指の間に挟む形で背後に投擲した。


「グ、────ァ────!!」


 セシリアの後ろに迫っていたのは、真っ赤な瞳を光らせる「狼」の如き魔物。

 投擲されたナイフは前脚の付け根と眼球に突き刺さり、間髪入れずにセシリアは詠唱する。


「火葬儀典……!」


 一言、セシリアが唱えると同時、突き刺さった箇所から業火が燃え盛る。

 顕現した聖火は魔物の体躯を焼き尽くし、確認する素振りを見せずに次の獲物を視界に捉える。

 彼女にとって、魔獣の掃討もバチカル派の対処も、果てには悪霊祓いも変わらない。

 己が奉ずる主の威光を以て、仇なすモノを打ち払うだけ。


 一方、セシリアから少し離れた場所では、蒼白い稲妻が激しく迸っている。

 縦横無尽に墓地を駆けるのは、雷神の権能を解放した銀髪碧眼の魔術師────アウラである。


(コイツら、一体一体は大したことないけど、やっぱり数が多いのが厄介だな)


 眼前に立ちはだかる魔物の群れを前に、心の中で零した。

 特に数えていた訳ではないが、その攻撃の手が緩むことはない。


(無尽蔵に湧いているってことじゃ無さそうだけど、なるべく体力も温存しておきたい。さて、どうするか……)


 飛び掛かって来る蠍のような怪物を避けつつ、アウラは選択する。

 時間をかけて、セシリアと協力して魔物を討つか。あるいは────己がギアを上げ、短時間での殲滅に注力するか。


(今回の俺の仕事は、あくまでもセシリアのサポート。だったら……)


 己の役目に徹する。

 そうであれば、選ぶ選択肢は一つしかない。


「……我が身は、雷霆の示現」


 詠唱し、手繰る権能──雷霆の出力を上げる。

 アウラの身体から、蒼白い稲妻が激しく迸った直後、


(これは……アウラさんの……?)


 少し離れた場所で戦っていたセシリアが、異様な魔力のうねりを感じ取る。

 空気を震わせるかのように鋭い、重く鮮烈な魔力。

 具現した異変は、その場にいる生命そのものを威圧するように空間に広まっていく。

 セシリアがふと見上げると、空中に顕現していたのは──雷で構築された、無数の槍だった。


「セシリア、少し離れろ────っ!!」


「────ッ!!」


 アウラの呼びかけに、セシリアは頷きで返答。

 逐一相手にするのではなく、まとめて一掃する。出力を上げた雷霆であれば、有象無象の魔物を葬るには事足りる。

 現状、アウラとセシリアを囲む魔物の総数は数十にも及んでいた。

 それほどの数を一度で仕留めるには、相応の射程と範囲が必要。

 セシリアは地を蹴り、降り注ぐ雷霆の範囲外へと飛び出していき──、


「”聖堂よ”……!!」


 振り返り、アウラの雷霆が降り注ぐ範囲を。 

 自分の安全を確保したことをアウラに告げると同時に、魔物たちの逃げ場を無くす。


 その結界を例えるなら、妖魔を屠る為の処刑場。

 一体たりとも、降り注ぐ天の怒りから逃れる術はない。

 魔物たちが生き残る術は一つ。断頭台が落ち切る前に、その本体を殺すことのみ。

 本能でそれを察知したのか、周囲の魔物はターゲットをアウラに絞り、襲撃を開始する。


 ────だが、動き出した時には全てが遅かった。


「────『天を穿つ雷霆ヴァジュランダ』」


 呟いて、虚空を握った拳を一気に振り下ろす。

 その挙動をトリガーとして、蒼白い無数の雷が降り注ぐ。

 大地を抉り、次々とクレーターを作り出す破壊の具現。人の身で振るわれる自然の暴威は、あまりにも容易く魔物たちを殲滅する。


 それは、数秒続いた。

 魔獣の肉体が次々と灰と化していき、夜闇に包まれた一帯を雷光が明るく照らし出していた。

 人智を越えた神秘。

 一神教の信徒が振るうソレとは対極に位置する、太古の神の片鱗。

 初めて目にしたセシリアは、その光景を見て、


「これが、神の権能……」


 一言、言葉を漏らした。

 人の身で扱う以上、性能は「原典」よりもダウンサイジングされている。

 仮に本来の性能を発揮する場合があるのなら、それはアウラが神化──テウルギアを行使してインドラの神性を解放している時のみ。

 それでも、アウラの雷霆は純粋な神秘としては圧倒的という他ない。

 一つの神話世界に君臨していた神の御業が、楯突く魔性の悉くを討ち払う。


(人でありながら、神の力を振るう「偽神」……使徒の機関長補佐も似たようなものですが、実際に見てみると規格外ですね)


 雷霆の雨が止み、静かに佇むアウラを見つめる。

 ソテル教の異端審問機関、使徒。

 セシリアはアウラを見て、自分が属する巡礼組織「使徒」の上司を連想していた。

 一神教と多神教、その神話系統は大きく異なるが、人の身で超常の異能を行使するという点では共通している。


 魔獣を一掃したことで、周囲には再び静寂が訪れた。 


「……一旦は落ち着いたか」


「恐らくは。それにしても、凄まじい威力でしたね」


「まぁ、普段よりも神性の出力と範囲を上げた上での一撃だったから。確かに威力は高くなるけど、そう何度も乱発できるものでもないよ」


 結界の外から戻って来るセシリアに、アウラは頭を掻きながら答える。

 戦闘が終わったと同時に、アウラは雷霆の出力を元に戻し、「強化」の魔術も解除している。

 大気中のマナを取り込めない以上、アウラは可能な限り魔力を節約しなければならない上、出力を上げた雷霆を使い過ぎれば反動で動けなくなるのがオチだ。

 一呼吸置いて、アウラは話を切り出す。


「それで、どうする? もう一回、あの祭壇を見に行くか?」


「周囲の魔物は一掃したようなので、そうしましょうか。悪霊の活性化の原因が分かれば、あとは私が土地ごと浄化します。アウラさんは、その手伝いだけしてもらえれば十分ですので」


「分かった。他にも何かあれば、遠慮なく言ってくれよな」


「ええ、勿論です」


 セシリアが軽く笑いながら返答し、二人は瘴気を放つ問題の祭壇へと向かっていった。

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