97話『エンカウント/地に眠るは──』
「……そろそろ、件の墓地か」
夜闇に覆われた森。
人々は既に寝静まり、起きて外を出歩いている民間人など誰一人もいない。
魑魅魍魎が跋扈する時間帯、いつ魔物の襲撃があっても可笑しくないが──アウラは怯える様子もなく、軽い口調で呟いた。
彼からすれば、この場所に訪れるのは二度目。しかも、たった数時間前に来たばかりだ。
「調子の方は問題ないので?」
「ああ。レナさんが巻いてくれた包帯のお陰で、体内に残ってた瘴気も綺麗サッパリ除去されてる。戦いになっても特に支障はないよ」
「今回の依頼が終わった後、もし不調があれば教会までお越し下さい。ロギアさんも色々と心配してましたから」
「ロギアが?」
「えぇ。カレンさんやクロノさんも含め、バチカル派の掃討に協力して頂いてるのが負担になっていないかボヤいていましてね。あの人はああ見えて、自分が認めた相手には必要以上に肩入れしてしまう質なので」
「真面目だな……前にもカレンが言ってたけど、俺達と使徒の利害は合致してる。協力しない理由はないし──ウチのギルドで一番強い人が司教を討伐して回ってる手前、部下の俺達も動かないと……ねぇ?」
何処か気まずそうに視線を逸らして、アウラは答える。
戦禍の槍──グングニルを振るうモノ。
最高位の「
彼のことはセシリアも知っているのか、視線を合わせずに返答する。
「確か、アルカナの第一位の方でしたか。圧倒的に格上の存在とはいえ、同じギルドの主力としての自覚はあるのですね」
「自覚というか重責というか、まぁ、そんな感じ。元々いた主力の穴埋めに過ぎないんだろうけど、俺に務まるんだったら全霊を尽くさなきゃだから」
「……教会の暗部の私がこんなことを聞くのも野暮ですが、怖くはないのですか?」
「怖くないって言ったら嘘になるけど、いざ戦いになれば気にする余裕なんてないしな。それに────戦える人間が逃げるなんて真似はできないだろ」
アウラは少しの間を置き、答える。
力を持つ人間である以上、戦わないという選択肢は与えられていない。
彼にとって、己に与えられた役目を放棄することは、己の決意を曲げることと同義だった。
アウラの答えを聞いたセシリアは、思い出したようにくすくすと笑ってから。
「なるほど。エリュシオンの主力の冒険者の方は、皆そのような精神で戦いに臨んでいるのですね」
「俺の場合はいつもギリギリだけどな。俺の知る限りじゃ、エドムの冒険者の人達も同じだと思う。……それに、無辜の人達の為に戦っているのは使徒だって同じだろうに」
「私達がバチカル派と戦うのは、ソテル教があの異端派を生み出してしまったという
アウラの言葉を、セシリアはやや否定を交えつつ返す。
彼やカレン、クロノを筆頭として、ギルドの主力がバチカル派に協力しているのは、簡単に言えば「利害の一致」に過ぎない。
本来であれば、彼らが関わる必要のない問題。
邪教と化しているとはいえ、自分たちの宗教から生まれた以上、ソテル教の問題はソテル教の手で終わらせるのが道理なのだから。
※※※※
暗く、静かな獣道。
人の気配など一切なく、異界に誘い込まれているかのような異様な空気が満ちていく。
件の墓地に近付くにつれ、二人の口数も減っていき────程なくして、たどり着いた。
「ここが、アウラさんの言っていた墓地ですか」
寂れた、名も擦れて読めなくなった無数の墓石。
弔われるべき魂が放置され、今や現世にしがみ付く悪霊の坩堝と化していた。
アウラの尽力によって異界化は解除されているが、依然として陰鬱な雰囲気が充満している。
(……変だな)
彼にとっては数時間振りの光景。
しかし、その印象は変わらぬまま、ただいるだけで気が滅入るような────心の中に穴が空くかのようなものだった。
加えて、
(この一帯に敷かれていた結界は破壊したのに、そこまで感覚が変わってない)
そんな違和感を、アウラは抱いていた。
かつて垣間見た死後の世界、冥界に近しい空気感。
この世にあらざる霊魂が、常に自分に呼びかけているかのような感覚が、今でも感じ取れたのだ。
「────やっぱ、まだ
立ち止まって考えるアウラを余所に、セシリアは墓地の奥の方へと突き進む。
向かう先にあるのは、サラ──悪霊に憑りつかれていた民間人の少女──が自分の喉にナイフを突き立てようとしていた「祭壇」のようなオブジェクトだ。
火の灯っていない薪の上に、ボロボロになった聖伝書のページが置かれ、さらにその上に人間の骨と思しき物が乗っている。
傍から見れば不気味以外と言うほかない。
「アレは……」
眉をひそめながら、セシリアは祭壇へと突き進む。
アウラは周囲を警戒しつつ、セシリアの後をついていく。
既に自分たちは、魑魅魍魎どもの
亡者の無念が渦を巻く場に、今を生きる人間はそぐわない。
セシリアは足を止め、祭壇に触れる。
すると、一度深呼吸をして目を瞑る。
「もう始めるのか?」
「その前に、この地に眠る霊の声を聴きます。この辺りの霊脈に直接接続すれば、何か分かるかもしれません」
言って、セシリアは意識を集中させた。
祭壇を起点として、一帯に広がる霊脈と意識を繋げ、刻み込まれた記録に接触を図るのだ。
(霊脈って確か、やろうと思えば神の時代からの記録も読み取れるんだったか。俺の場合は勝手にフラッシュバックすることが多いけど……)
セシリアの姿を見て、アウラは腰に手を当てながら心中で呟いた。
人間が世界を運営する前の時代。
俗に「神期」と呼ばれる時代区分における記録を、アウラは何度か見ている。厳密には、彼に宿る神性──雷神インドラがかつて見た記憶を、アウラが垣間見ているのだ。
無理やり脳内に流し込まれることもあれば、インドラの記憶から検索をかけることも可能だった。
(図書館でクロノと話してた時に見たのは、明らかに女神ヘカテーの姿だったな。だったら、俺も何か読み取れるかも)
セシリアに続くように、アウラはヴァジュラを実体化させ、その切っ先を地面に突き刺した。
そして、己の魔力と神性をヴァジュラから大地へと流し込み──深く、地の底へと届かせ、霊脈と接続する。
「────────」
静寂が満ちる。
二人とも似たようなアプローチで、この墓所に潜むモノ。そして過去をを紐解こうとする。
数分。彼ら一言も発することなく、セシリアは霊の声を、アウラはこの地に刻みつけられた記録を汲み取る。
最初にコンタクトを取ったのは、一種のトランス状態にあるセシリアの方だった。
微かな声が、大地の底から祭壇を通り、彼女の中へと入り込んだ。
(────"逃げて")
("アレが起きないうちに"────)
セシリアが聴いたのは、幼い少女や男の子の声。
必死に何かを伝えようと、断片的な情報を彼女に届けていた。
彼らは今や、静かに眠る霊魂に過ぎない。それでも自分たちに語り掛ける人間を生かそうとするのは、彼ら自身がこの地に棲んでいたモノの恐ろしさを知っているからか。
「もう少し、教えて下さい。この場所に何が────」
更に深く、意識と霊脈を接続する。
より多くの魂と交信し、情報を聞き出す為に。
一方のアウラは、霊脈の記録とインドラの記憶を擦り合わせる。
遥かな過去、神期から現在に至るまでの膨大な情報量の中から、この地に棲み、悪霊を活発化させる「原因」となるモノを絞り出す。
悪魔、或いは魔神。
かつてインドラが葬ったであろうモノであれば、記録の中から検索できる。
脳裏に流れる歴史の奔流の中──アウラは、一つの記憶を垣間見た。
(やっぱり、この戦いの最中だ)
アウラが視たのは、曇天の下、異形の悪魔・魔神の類に包囲された白銀の神、インドラの姿。
凡そ、神期が終わる発端となった「大戦」の頃の記憶であることは推測できる。
ヴァジュラを手に、襲い来る敵の一切を屠り続けた。
有象無象の魔は死体の山を築き上げる。
全てが終わった。そう誰しもが考える状況の中──インドラの背後から、三又槍と湾曲した剣を携えた「神」と、その「神」に戦いを挑むかのように、異形の悪魔が姿を現す。
「「────────ッ!!」
ほぼ同時、セシリアとアウラの脳裏に刻み込まれた。
彼らが垣間見たのは、巌の如き体躯を持つ「巨人」の姿だった。
天に届かんとする程の巨躯は、眼前に現れた神に向かって、その拳を振り下ろそうとしていたのだ。
(今の怪物は……!!)
二人の意識は、強引に現実に引き戻される。
その幻視を皮切りに、彼らの周りに魔物たちが姿を現した。
この地に眠るモノ。かつて、一柱の武神との戦いの末に討ち取られた「悪魔」の姿を見た者を粛清するかのように、敵意の込められた視線がアウラ達に向けられる。
「アウラさん」
「分かってる。大方、今のが悪霊騒ぎの元凶だろうな」
「神期の悪魔が、この地に眠っていると?」
「完全に言い切れはしない。ただ、その残滓が地そのものにこびり付いているか……もしかしたら、断片が地中に埋まってる可能性がある」
アウラとセシリアは、魔物たちに包囲されても尚平然としている。
元より、戦いになることは想定内。
ヴァジュラに雷霆を纏わせ、戦闘態勢に入りながら推測を立てる。
一方のセシリアは、自らの主武装──聖別された
「悪魔の断片……神骸が、この近くにあると。そうであれば、悪霊の活性化にも納得できます。では……夜明けまでに
「了解……っ!!」
互いにやるべきことは理解している。
アウラとセシリアは全力を以てこの地に蔓延る魔物を葬り──民を苦痛から解放する。
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