96話『脱出劇』

「はぁ……っ────!!」


 気を失った少女を背負い、アウラは迫り来る魔物から逃亡する。

 背中に走る死の気配を振り切るように、獣道をただ駆ける。


(楔の方角はあっち……このまま突っ切る……!!)


 遠くを見据え、アウラは心中で思う。

 墓地に向かう際、帰りに迷わぬように打ち込んだ「楔」の方角を感じる。

 速度を落とす事は許されない。

 たとえ、襲い来る妖魔が眼前に現れても────、


「── ── ── ── !!」


 奇怪な鳴き声と共に、巨大な体躯を持つ蜘蛛型の魔物が進路を塞ぐ。

 速度を落せば追い付かれる。

 迎撃に専念することも可能だが、魔物たちの数が不明な以上、優先事項を間違うワケにはいかない。


(セシリアがいれば話は別だが、俺一人じゃジリ貧になるだけ。なら……)


 魔物が視界に入ると同時、アウラは少女の片足から右手を外し、ヴァジュラを顕現させる。

 走りながら、一歩、大きく踏み込んで勢いを付けた。


「邪魔すんな……っ!!」


 雷光を帯びたヴァジュラを、魔物目掛けて投擲した。

 魔性を屠る刃は、地に湧いて出た魔物を容易く貫通し、その体躯を即座に崩壊させる。


 仕留めたのを一目で確認し、アウラは一瞬落ちた速度を再び上げていく。


(「強化」は機能してる。余裕はまだあるけど……おかしいな)


 走りつつ、アウラは違和感を吐露した。

 楔を打ち込んだ場所自体は把握しており、多少のズレはあれど向かっている。

 しかし、いつまでも近付いて来ない。

 距離的にも、行きと帰りでは違っているようにも感じられる。


 魔獣の目から逃れるべく、一旦木の上に跳躍して時間を作る。

 すると、その衝撃で目を覚ましたのか。


「────うっ」


 アウラが背負っていた少女が、声を漏らす。

 肌に感じる人間の体温。自分が誰かに背負われていることを即座に理解し、意識は冴えていく。

 

「……え? えっ?」


「しー……っ」


 困惑した様子の女性に、アウラは無言で口元に人差し指を当てる。

 次いで下の方向をちょいちょいと指差して、彼女は促されるまま下方に視線を向けると──、


「ひぃっ……怖っ……!」


「細かい話は後。まずはアイツらを撒くから、くれぐれも大声だけは出さないで貰えると助かる」


 涙目になりながら、少女はうんうんと頷く。

 音で気取られないよう、話し声も最小限に抑える。


「でも私、なんでこんな所に来てたんだろう……」


「多分、悪霊か何かに憑りつかれてたんだろうよ。覚えてないだろうけど、この先の墓地で、首にナイフを突き立てようとしてたんだよ」


「え、本当……?」


「嘘言っても仕方ないだろ? 魔物どもの相手をしても良いけど、確実にアンタを守り切れる保証はない──だから、一刻も早くここを抜けて街に戻るのが最優先だ。何か思い出したら、その後にでも聞かせてくれ」


「でも、あれだけの数から逃げ切れるの? あなた一人ならまだしも、私を背負ってまで……」

 

「できるできないの話じゃないだろ。俺は魔術師……まぁ、冒険者なワケで、アンタは民間人。だったら成り行きとはいえ、アンタを生かして街に返さなきゃいけないから」


 この状況でアウラが優先すべきは、彼女を生かしたまま街に帰すこと。

 保護対象である少女の命を危険に晒してまで魔物を退治する必要はなく、情報さえ持ち帰ることができれば十分だった。

 

 少し間を置いて、アウラは深呼吸する。

 再び意識を研ぎ澄ませ、再度、全身を巡る魔力オドの奔流を感じ取る。


「少し飛ばすから、しっかり掴まっててくれな」


「分かった……」


 無言で「強化」の魔術を行使し、木から飛び降りる。

 着地には最大限気を遣ったつもりだったが、その衝撃は魔物たちが気付くには十分だ。

 人間の気配を察知し、魑魅魍魎が動き出す。

 暗闇に光る眼を血走らせ、ただ生者の死を求めて身体を駆動させる。

 

(捕まえられるもんなら、やってみろ……っ!)


「────うぉっ!!??」


 すぐ傍の木に雷霆の楔を打ち込み、地を蹴って一気に加速する。

 その一歩に、一体どれほどの力が込められたのか。地面は抉れ、少女の身体は後方に強く引っ張られる。

 疾駆する獣のような速度を叩き出し、アウラはすっかり暗くなった森の中を駆ける。

 悪い視界も、強化された視力を以てすれば問題ない。


「こんなに飛ばして大丈夫なの? すぐに疲れちゃうんじゃ!?」


「問題ない。それよか、ちょっと耳を塞いでて」


 少女の疑問に一言で答え、同時に忠告する。

 初速からトップスピードを叩き出し、一気に魔物との距離を取る。

 それはただ、逃げる為ではない。今、アウラがその選択をした理由は一つ。


「──爆ぜろ……ッ!!」


 ほんの数秒振り返り、十分な距離を取ったことを確認する。

 少女を背負ったままアウラは指を鳴らし、先ほど打ち込んだ楔を炸裂させる。


「っ────!!」


 けたたましい轟音と共に、閃光が周囲を照らす。

 アウラの合図で炸裂した雷霆の楔は、追手の魔物を一網打尽にして見せた。

 怪物の身体は跡形もなく崩壊していき、少女は安堵の息を漏らす。


「……っ、やった……?」


「いや、すぐに新手が来る。この隙に距離を稼ぐよ……っ!!」


 再び、アウラは加速する。

 無意識のうちに出力を上げていたのか、彼の身体からは雷霆が迸っていた。 


「ちょっと、なんか身体がバチバチしてるんだけど?」


「え? マジ? ごめんちょっと抑える!」


「あぁいや、別に痺れるから嫌とかそういう訳じゃないから。寧ろ、なんだか温かくて安心するかも」


「なら良し!!」


 アウラの内に宿る神雷が漏れ出ていたが、少女にはさして影響はない。

 最低限の言葉を交わし、再び魔物たちからの逃走を開始した。


 保険として、アウラはその後も木に楔を打ち込んでいく。

 無論出力は下がるものの、戦神インドラが振るった雷霆を「ただ使う」という分には特に問題はない。加えて、その状態でも魔物を葬るには十分な破壊力を有している。


(さっきこの子に憑りついた霊を身体から弾き出した辺り、魔に対して特に効き目があるのは間違いないか)


 アウラが以前から感じていたものが、確信に変わる。

 ある程度強大な魔獣に対しても、彼の手繰る雷霆は異様とも言える破壊力を発揮してみせた。

 魔術による雷ではなく、権能としての雷。根本的にその時点で大きな性能差が存在する。

 

(悪竜ヴリトラだけじゃない。自らを裏切った魔神ナムチを葬り、帝釈天としては闘神の阿修羅をも打ち倒した……数多の魔を屠ったモノという「概念」が雷霆に宿ってるってところか)


 走りつつ、己の異能を紐解いていく。

 奇しくも、その推測はセシリアのものと似通っていた。


 その後も、アウラは何度か楔を打ち込み、炸裂させていく。

 魔物との距離を取りたかったのもあるが、それ以上に、今のアウラには「考える時間」が欲しかったのだ。 


(……やっぱりおかしい。どれだけ走っても来るときに打ち込んだ楔に辿り着かない)


 本来であれば、もう数分も走れば街に戻れている。

 アウラの体感では、という感覚だった。

 より正確に言うのであれば、


(いや、空間が広がり続けてる……既存の空間の中に、別の空間が上書きされてるみたいだな。道理であの時の感覚に似てるワケだ)


 自分の中で推測を立て、アウラは思い出す。

 既存の空間の上に、異なる空間を顕現させる。

 実際にそれをやってのけていた者こそ、アウラが撃破したバチカル派の司教、ヴェヘイア・ベーリットだったのだ。

 

 彼が顕現させていたのは、魔神モレクの統括する「冥界」。

 あらゆる生を否定する世界に引きずり込まれた感覚が、皮肉にも活路となっていた。


(こりゃ厄介だな……俺には結界術の知識はない。でも、これが「障壁」と定義できるのなら、話は別だ)


「ねぇアウラさん、ずっと同じ景色だけど、大丈夫なの?」


「いや、正直言ってかなり不味い」


「え!?」


「でも、手がない訳じゃない。実は来る時に楔を打ってあるから、方角は分かってるんだ。……ただ、侵入者を逃がさないためか、半ば異界化してる」


「異界化……って?」


「あー、なんだ……分かり易く言うと、墓地から結構な範囲が「死後の世界」みたいになってる。悪霊やら魔物が活発になってるのも納得だ」


「────────」


 アウラの言葉を聞いた少女は絶句する。

 魔術の知識は無くとも、彼の言っているかは理解できる。

 己の顛末を察し、その目尻から涙が零れる。

 もう、生きて帰ることはできない。嫌でもそう考えてしまった彼女は静かに項垂れる。

 だが、


「いやいや、泣くなって。言ったろ、手がない訳じゃないって。まぁ、一種の賭けでもあるけどな」


「……本当に?」


「約束はする。さっきも言ったけど、俺には何が何でもアンタを生きて帰す義務がある。自分の命惜しさに無辜の人間を見捨るような真似はしないし、そんな度胸もない」


「……」


 真っ直ぐに前を見据えながら、アウラは答える。

 その声色には、驕りも慢心も無かった。

 彼自身の本音。

 魔術師、つまり人々を庇護する冒険者としてすべきことを、全霊を以て為すだけだ。


「ちょっと降ろすよ。すぐ終わるから、少し待ってて」


「あ、うん……」


 決断から実行までの行動に淀みはない。

 アウラは少女を降ろし、前方に存在する「何か」に触れるような素振りを見せた。

 彼が触れたものは「壁」だった。水面のように波紋が広がり、異界と化した街の外れの境界線が近いことを示している。


 であれば、やることは一つだけ。


(結界の解析ができないなら、異界を内側から破壊するだけだ)


 黙考しつつ、アウラは右手に諸刃の剣──ヴァジュラを顕現させる。

 雷霆の具現たる聖遺物レガリア

 この状況を打破すべく、雷神の力を継ぐ者は自らの身を削る覚悟を済ませた。


 アウラの様子を見ていた少女は、ふと後方を確認する。


「ひっ……魔物が迫って来てるよ!?」


「大丈夫」


 一言で答える。

 口数が減っているのは、限界まで集中していることの表れだ。

 続けて。


「我が身は雷霆の示現」


 詠唱する。

 アウラに宿る神性を表出させ、手繰る雷霆の出力を上昇させる。

 呼応するように、彼の身体から雷が迸った。


 現世に、神代の雷霆が蘇る。

 人の身で振るうべくダウンサイジングされているが、魔を屠るモノであることには変わりない。

 その威容は、アウラたちを追う魔物たちを畏怖させるには十分だった。


「動きが、止まった……」


「コイツらの相手は後だ。次来た時に一匹残らず狩る」


 一呼吸を置いて、アウラはヴァジュラを地面に突き刺して片膝を着く。

 魔物たちが近付いて来ることはない。

 理由は簡単。少女に憑りついていた霊と同じく、眼前の人間が「自分たちを完全に滅するモノ」だと本能的に感じ取ったからだ。

 今の状態のアウラの邪魔をすれば、カレらは一匹残らず殲滅されるだろう。


「できるだけ離れてて。巻き込まれると洒落にならないから」


 真剣かつ冷静なアウラの言葉に頷き、少女は距離を取る。

 その一言を最後に、アウラが少女に意識を割くことはなくなった。

 道を阻む結界を破壊するべく、彼は権能を振るう。


(破壊の対象は空間を上書きしている異界の壁、出力ももっと上げる。……あとはインドラの「神性」を少しだけ抽出しろ)


 限界まで意識を研ぎ澄ませ、権能の操作を行う。

 デフォルトで行使できる雷霆にも、ある程度の「魔」に対する優位性は付属している。

 

(でも、それだけじゃ足りない。水を解放したヴリトラ退治の説話と、「障害を打ち砕く者ウルスラグナ」としての側面を組み合わせれば……)


 ヴァジュラから大地に渡る雷霆は、激しさを増していく。

 己に宿る神の断片に敬意を払い、その性質を解析し、状況を打破するための要素として加味していく。

 神の力を振るうのであれば、誰よりも神を知っていなければならない。


(これならいける。いや、この状況を打破できるなら、使えるものは全て使え……!!)


 如何なる神であれ、様々な「顔」を持っている。

 高位の神たるインドラであれば尚のこと。

 天を司る雷神であり、外敵を討ち滅ぼす戦神であり、宿敵たる悪竜ヴリトラを殺すことで水を解放する──原初の混沌を打ち破る、開闢の神だった。


「────────っ!!」


 ヴァジュラに宿る雷霆は大地を伝い、四方八方に広がっていく。

 その速度は墓地を囲う異界の端にまで届き、上書きされた空間に浸透し、浸食していく。

 世界を隔絶する異界を、内側から崩壊させる為に。


(出し惜しみするな。結界を食い潰す勢いで循環させろ……!!)


 歯を食いしばりながら、己から流れ出ていく雷に意識を向ける。

 続いて墓地の上空に、ドーム状の結界が浮かび上がる。


「……っぐ────ッ!!」


 直後、アウラが苦悶の声を漏らす。

 彼を中心として展開していた雷霆。それを逆に辿るように、異界全体がアウラに抵抗を始めたのだ。

 その証として、ヴァジュラが突き刺さっている部分から黒い瘴気が発生し、主たるアウラの腕から血が流れ出ていた。


「え、あなた……!?」


「問題ない……ッ!!」


 しかし、その程度でアウラが止まる道理がない。

 寧ろ、己の裡に宿る神性をより表出させていく。流していく雷霆の量を増やし、抵抗を押し潰すかのように加速させる。

 アウラから発せられる雷霆は一層激しさを増し────、


「……まだまだ……食い潰せ……────────ッ!!」


 瘴気を抑え込み、異界化の解除に専念する。

 腕からの流血も悪化していくが、アウラは怯むことなく続ける。

 

 時間にして数十秒。

 たったそれだけの時間で、雷霆は異界化していた一帯を循環し、現実世界との境界線にヒビを入れる。

 

「空に、亀裂が……」


「あと一歩……このまま押し切る……!!」


 少女が視線を上空に向けると、ドーム状に現れた異界の外殻に亀裂が入っていた。

 異界そのものの抵抗を凌駕する速度で、アウラの雷霆による浸食は進んでいる。

 力が拮抗していたのは、ほんの数秒だけ。


(ブチ抜け……ぇ─────ッ!!)


 人の身で振るうとはいえ、神の権能の執行力は未だに健在。

 

 魔に属するモノが作り出した異界を打ち破れない道理はない。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ……────────ッ!!!!!!」


 気勢と共に、雷霆を放出する。

 逆しまに空を裂くように、一筋の閃光が異界の外殻に届く。そして────、


「────────っ!!」


 アウラが、上空を見上げた。

 手応えがあったのだろう。視線の先で、天に煌めく星々のように、幾つもの光が外殻を駆け抜ける。


 直後、ガラスが割れたかのように、外界とを隔てていた境界線が崩壊した。


(……凄い……)


 キラキラと光る魔力の結晶。

 結界の外殻が降り注ぐ神秘的な光景の中、少女はただ驚嘆するしかなかった。

 人の世に非ざる神秘。神の権能の断片を目撃した。

 本来であれば、如何なる理由があっても目にすることはないものだ。

  

 数秒の静寂を挟み、アウラが右腕を抑えて立ち上がる。

 

「痛ったたたた……流石に疲れたな」


「ちょっと、腕が……!?」


「ごめん、さっきみたいに背負って帰るのは難しいかもしれない……」


「いいっていいって!! それより、早く街に戻って手当てしなきゃ」


「それよりも、先に教会に行かなきゃだ。俺の傷はその時に治してもらうから問題ないよ」


 この程度の痛みには慣れているのか、アウラの口調は存外に軽い。

 異界化が解除されたことで、打ち込んだ「楔」の位置がより鮮明に知覚できるようになっていた。

 

 魔物たちが追ってくる気配もない。

 アウラは少女に向かって軽く笑いかけ、先導するように歩き出した。

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