95話『死を求めるモノたち』
淡々と、自らの感じる違和感に従い、人気のない獣道を進んでいく。
異様な程の静けさが周囲の不気味さを一層際立たせ、アウラの身体に緊張感がみなぎる。
段々と人の世界から離れていくかのような、そんな陰鬱とした気配が充満していく。
(この感じ、まるで────)
歩きながら、アウラはふと思い出す。
彼は一度、現世に顕現した「冥界」を目にしている。
あらゆる命を否定する、絶体無明の死の世界──冥界の牛神・モレクの統べた「
アウラが向かう先にあるのは、墓地。
全ての人間の終焉にして死の集積所であり、同時に死後の世界への入り口だ。
一度本物を目にしているアウラにとっては、より感覚的に、死の領域に近付いていることが理解できた。
「────────」
草木を踏む音だけが耳に届く。
カサカサと自分以外の物音が時折聞こえるが、墓地の近くであるのなら「そういうこともあるだろう」と心の中で片づけていた。
(視線……心霊スポットに行く時の感覚ってこんな感じなんだな)
動じずに歩いているアウラは、ずっと何者からかの視線を感じていた。
生身の人間がいるなどということは当然ない。であれば、その正体が一体何であるかは想像に難くない。
森を歩き続けてから数十分ほど経つと、周囲を覆っていた木々が少しずつ減っていく。
アウラが辿り着いたのは、拓けた場所にあった、広大で寂れた墓地。
もう何年も人が訪れていない、文字も擦れた誰かの墓石だけがあった。
「こりゃ酷いな……」
荒らされ放題の墓所を目の当たりにして、アウラは零す。
墓石に草が絡まっているものも幾つか見受けられ、かなりの年数放置されていることが窺える。
家族も、友も、恋人も。
ここに眠る者を誰かが訪ねることはなく、彼らはただここで眠り続けるのみ。
当然、自分以外の誰かがいる筈もない。アウラはそう思っていたが────、
(いや、誰かいる……?)
墓地の奥には、不気味な祭壇のようなオブジェクトが見受けられた。
その前に、人間の後ろ姿があった。
アウラより少し低いぐらいの背丈に茶髪のポニーテール、ゆったりとした服という出で立ちから、女性であることは凡そ理解できる。
(誰かの墓参り……って線はないか)
アウラは息を潜め、「強化」を施した視力で彼女のことを観察する。
迂闊に話しかければ、かえって怪しまれる可能性もある。彼としては、彼女がこの場を離れてから調査を始めたいところだったが、
(……あの祭壇に何かあるのか?)
彼女は祭壇の前に跪き、その塔を仰ぐようにゆっくりと頭を上げる。
そして──両手で握ったナイフの切っ先を、自分の喉に向けた。
「────ッ!!」
考えるより先に、アウラは動き出していた。
簡潔に言えば、彼女は自ら命を断とうとしているのだ。
「待っ……っ!!」
魔術で「強化」した脚力で、地を蹴りつける。
思わず出たアウラの声に反応したのか、少女の手が一瞬止まる。
理由を考えるのは後回し、今は彼女の命を救うことを何よりも優先する。
(間に合うか……っ)
あと数歩で、彼女に手が届く。その距離まで迫ったところで、
「── ── ── ── ぃ 」
ぐるりと、彼女の首が回る。
握られたナイフを持ち替え、吊り上がった不気味な笑顔で、
光のない瞳、人ならざるモノに魅入られたかのような眼。
救いを求めているようで、同時に人を憎むかのような視線が、銀髪の魔術師を捉えていたのだ。
(まさか、この人も……!?)
視線を交わしただけで、アウラは一つの推測に辿り着く。
彼女も、ルキウスと同じ。この地に棲む死者に憑りつかれていた者の一人だと。
向かってくるアウラに対し、彼女は狂気じみた笑みを浮かべながら前傾姿勢を取る。
さながら獲物を見つけた獣の如く、目の前に現れた生者の命を奪うために。
悪霊によって強制的に動かされた人間の肉体は、常人の身体能力をゆうに凌駕する。
「──────っはァ!!」
「っ……!」
横に斬り払われる初撃を、アウラは身を低くして避ける。
そのまま一気に距離を詰め、徒手空拳の状態で片腕に雷霆を纏わせた。
彼女はナイフの切っ先を真下に向け、懐に入り込もうとするアウラを突き刺そうとする。──が、その刃が届くには数秒遅い。
「悪い、ちょっと痛いかも……ッ!!」
限界まで出力を下げた雷霆で、彼女の腹部に掌底を見舞う。
衝撃は彼女の全身を駆け巡り、雷が身体を麻痺させる。次の攻撃へ移ることなく、少女は数歩後ずさりし、手に持っていたナイフを落としていた。
それでも尚、彼女はたったまま、苦悶に歯を食いしばりながらもアウラを見つめる。
「────────っ!!」
ふと、はっとしたように女性は口を開けた。
アウラの瞳の奥に、彼の
────"この人間を本気にさせれば、魂ごと滅される"。
と。
魔を葬る戦神の権能を食らい、悪霊は直感していたのだ。
数秒、彼女の身体が硬直する。
そして、全身から力が抜けたように、前方に倒れ込んだ。
「っと……死んではない……よな?」
少女を抱き留め、アウラは安堵の息を漏らす。
呼吸や脈はあり、その表情はただ純粋に眠っているようだった。
(まだ調べたい事はあるけど、今はこの人を教会まで連れて行くのが先決だな)
アウラは少女を背負い直し、自分が来た方角……街の方へと向かう。
「楔の方角は……あっちか」
街から外れて墓地に向かう際、予め稲妻で木に楔を打っておいたのだ。
帰る時には、その楔のある方に向かえば良いだけの事。
だったのだが。
「────?」
何かの気配を感じ取ったのか、アウラは周囲をキョロキョロと見渡す。
同時に、不穏な空気が一帯に満ちていく。
墓地は即ち、亡者たちの巣窟。
生者が迷い込んだのであれば、カレらは必然的に仲間を増やそうと、死の領域に引き摺り込もうとする。
(……行きはよいよい、帰りは怖いってか。此処に何があるのかは分からないけど、来た人間を大人しく返すつもりはないみたいだな)
アウラが感じ取っていたのは、死霊によって感化された魔物の気配だった。
人間と蛇が混成したような怪物や、蜘蛛を想起させる異形。只人に恐怖を与えるには十分な不気味さを備えた多くの魔物が、墓地の周囲から姿を現したのだ。
(ここで相手しても良いけど、どうせまた来ることになる。……なら)
軽くつま先で地面を叩き、選択を済ませる。
この場にいたのがアウラ一人であったのなら、この魔物の相手を自ら買って出ただろう。
しかし、今は保護対象がいる状態。仮に交戦している隙に少女を殺されてしまっては元も子もない。
であれば、一度退くのが道理というもの。
「……"アグラ"」
再び「強化」の魔術を施し、身体能力を底上げして──、
「っ─────!!」
地を蹴り、走り出す。
それを合図に、魔物たちも一斉に追跡を開始する。
命がけの逃亡劇が、幕を開けたのだった。
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