90話『教会の神父と思いがけない依頼』
「……なんか、前より広くなったような気がするな」
教会に入るなり、アウラは思わずそう零した。
最後に来たのは、盗賊の制圧に赴く数日前。カレンやクロノと共に足を運んで以来だ。
久しぶりに来たのも理由としては考えられるだろうが、教会の内装が以前よりも広々としている印象を受けていた。
「実は少し前、改装工事をしたんです。周りに土地があったのと、エリュシオンの方々のご厚意で礼拝堂を拡張して、中庭も増設させて頂きました」
「成る程ね。道理で違和感があった訳だ……つっても、この数週間でよく工事できたな」
「殆どが教会からの派遣ですが、地元の方にも手伝って頂いたんです。幸い、この教会に昔から足を運んでくださる方も沢山いらっしゃいましたし、本当に有難い限りです」
天井に描かれた美しい宗教画を見上げながら、セシリアが答えた。
ソテル教は、東の大陸が発祥の一神教だ。
対してエリュシオンはその名──神話における最果ての楽園──が示すように、古代の多神教の痕跡が残っている都市である。
それでも、万民の幸福を説くソテル教の教えは根付き、教会は人々の憩いの場にもなっている。
その場に満ちる静謐な雰囲気に身を委ねていると、ふと、穏やかそうな男の声が近付いて来る。
「今の人々にとっては、古き神も我らの神も同じなのかもしれません。──信仰によって心の安寧を得るというのは不変のもの。幾星霜を経ても、この在り方だけは変わりないのですよ」
厳かな声色。さながら説教を施すかのように、その声はアウラに語り掛けた。
声の主は、肩の辺りまで伸ばした黒髪に黒縁の眼鏡をかけ、聖職者であることを示す法衣を纏う男だった。
身長は平均よりも少し高めで、達観したような物言いに反して若々しい。
カツン、カツンという足音が止まったところで、その男は柔らかく笑って
「ようこそ、エリュシオン教会へ。見たところ、セシリアの友人、といったところかな?」
「あ、どうも初めまして。……えっと、この教会の神父さん……だよな?」
傍らのセシリアに確認するアウラ。
何度か教会に足を運んでこそいるが、神父の姿を見るのは今回が初めてだったらしい。
アウラの反応を見て、その司祭は「ええ」と前置きし、
「数年前から教会の神父を務めるユディラ・キルシュタインと申します。気軽に「神父」と呼んで貰って構いませんよ。君は確か、エクレシアの王都で民のために尽力してくれた魔術師でしたね」
「やっぱり知られてましたか……ま、教会の人間なら納得か。多分他の使徒とかロギアたちから情報が回って来ているだろうし」
「この教会には使徒が二人も常駐してくれていますから、その辺りには詳しいですよ。──まぁ、立ち話も難ですから、どうぞ奥の部屋へ」
法衣を翻し、ユディラはセシリアと共にアウラを案内する。
物腰の柔らかい神父。信仰心も篤く、教会を訪れる人々に好かれるのも納得できる人物だ。
だが、アウラはその後ろ姿を見て、何か思うところがあったようで
(雰囲気は普通なのに、なんだろうな、この感じ────)
一介の司祭であることには変わりないのだが、心の何処かで他の信徒──今まで出会ってきたソテル教の人間とは違うような印象を抱いていた。
案内されるままアウラは歩いていたが、ふと、神父は前を向いたまま話し出す。
「アウラ君の思っている通りですよ。私は元々、セシリア君やロギア君と同じ「使徒」でしたから」
「────!?」
思わず、アウラは眼を剥いた。
偶然か、それとも視線で気取られたのかは定かではないが、ユディラはアウラが感じていた違和感の答えを自ら語り出したのだ。
「またそうやって人を驚かして……それ、悪い所ですよ」
「っふふふ……いえ、すみません。ちょっとやってみたくなったものでして」
「いや、やってみたくなったで人の心を読まないで下さいよ……それよか使徒ってことは、やっぱりバチカル派とも?」
「もちろん。あと、セシリアに武芸を教えたのも私です」
「……マジですか」
「本当ですよ」
ユディラの口から語られる情報に、驚きを通り越した反応。
人間は誰しも、処理できる情報のキャパシティを越えると冷静になるのだ。
「私が使徒になると決まった時、既に引退していたユディラさんに師事するように言われたんです。武器の扱いに加え、教典魔術の扱いであれば、現役の使徒を含めても引けを取らないでしょう」
「そんなことありませんよ。教典魔術なんて数年使っていませんし、セシリア君の方が私なんかより扱いには長けていると思いますよ」
「それ、謙遜ですか? 嫌味にしか聞こえませんが」
「嫌味って、そんなに凄い人だったのか……?」
「凄いも何も、ユディラ神父はかつて、今の使徒の機関長──グレゴリウスさんに並び称された程の使徒でしたから。怪我で引退さえしていなければ、最低でも機関長補佐にはなっていたでしょう」
「なるほど、つまりは屈指の異端狩りだったと。……セシリアたちの大先輩じゃないですか」
「昔のことです。今の私は一介の神父に過ぎませんから」
唖然とするアウラの一言を、ユディラは片手を振りながら軽く流す。
一線を退いている今でこそ、教会で人々に説教を行う神父だが、かつては先達として異端と戦い続けた生粋の使徒だった。
既に本人も前線に立つつもりはなく、過去のことと割り切っている様子だった。
アウラは礼拝堂の奥の一室に案内され、ユディラに促されるままソファーに座る。
壁に飾り付けられた絵画や、瓶に生けられた花。教会に相応しい落ち着いた一室だった。
「それでは、紅茶を淹れてきますね」
「私は砂糖多めでお願いします。アウラ君は大丈夫ですか?」
「あぁ、俺は無しで。わざわざ紅茶までご馳走になっちゃって、申し訳ないな」
「アウラさんを教会に連れて来たのは私です。神の信徒である以前に、客人をもてなさない訳にもいきませんので」
言って、セシリアは紅茶の準備のために一度部屋を出る。
部屋にいるのはアウラとユディラの二人。本来であれば、もう一人の使徒──ロギアがいる筈なのだが、その姿は見えない。
それに気付いたアウラは、
「そういえば、ロギアの姿が見えないな」
「彼なら今、エリュシオンから少し離れた街の教会の査定に行っているよ。この教会に駐屯しているとはいえ、近隣の村落や都市に派遣されることもあるみたいでね」
「相変わらず、色んなところに飛ばされてるんですね……」
「ロギア君はよくやっているよ。元々は教会の人間ではなかったのに、今では多くの使徒たちを率いている。もっとも、彼にとっては信仰心は二の次で、教会の汚れ仕事を担うことに重きを置いているだろうけどね」
「彼は元々傭兵でしたからね。教えを広める使徒じゃなくて、異端を殲滅する暗部としての荒事の方が性に合ってるとも言ってましたよ」
「それでも十分だよ。寧ろ、教会に関わりのなかった者が、神と預言者の教えを信じる人を守る為に戦ってくれているんだ。ずっと教会に身を置いている人間として、これ以上求めることはできません」
本棚から一冊の神学書を取り出し、パラパラと捲る神父。
ロギアは元から教会の人間だった訳ではなく、元々は傭兵として活動していたところを使徒にスカウトされたという経歴の持ち主だ。
故に、セシリアやユディラのように根っからの信徒ではない。
しかし、彼は「害を為す異端を屠る」ために使徒に身を置き、それでいて使徒としての布教・教会の査定などの職務にも真面目に向き合っているのだ。
「ロギア君と言えば、そうですね……少し前に、こんな話を持ち帰ってきたことがありましたね」
「話、ですか?」
「ええ。どうやら、エリュシオンから少し南東に行った街の付近で、悪霊が活性化しているようで」
「悪霊……魔獣ではなくて、死霊の類の騒ぎですか」
落ち着いた様子で、アウラはユディラの話す内容を察した。
普段から魔獣を相手にしている身からすれば、神父が語るものは少々毛色が違うものだ。
「でも、そういうモノの相手は教会所属のエクソシストの仕事では?」
「それが、彼らでもお手上げの案件みたいでね。悪霊の数は勿論、土地との結びつきが強すぎて祓うにも祓い切れないみたいなんだ」
椅子に座り、呆れたような声色のユディラ。
丁度ガチャリとドアが開き、セシリアがティーカップの乗った盆を持って入って来る。
神父の話をドア越し聞いていたのか、二人の前に紅茶を置きながら語る。
「最近噂になってる悪霊騒ぎですか。なんでも、ここ数ヶ月で急に悪霊が活発化しているんだとか。……教典魔術が効かない悪霊でも発生したんでしょうか」
「いや、それは考えにくいです。教会が悪霊祓いに使う
「霊体相手に特化した教典魔術の一種ってことか……名前は似ているけど、
「勿論、使い手の練度によって出力や強制力は変わりますし、エクソシストも一枚岩ではありません。教会内で「聖女」や「聖人」に認定された最高位のエクソシストなら、たとえ魔神であろうと消滅させられるでしょうが……」
「教皇庁がわざわざ出動を命じるほどの案件でもないでしょうし、その線は無いでしょう」
ユディラの言葉の続きを、セシリアが答えた。
(「聖女」に「聖人」……エクソシストにも階級があるんだな)
二人の会話で聴こえてきた単語の意味を推測するアウラ。
エクソシストの最高位。冒険者の四つの階梯であれば「神位」に相当するであろうことは容易に想像できる。
「魔神すら葬り去るエクソシスト。教会も結構層は厚いというか、中々の人材が揃ってるんですね。それで、その悪霊騒ぎはまだ収まっていないままなんですか?」
「残念ながら。民間人に悪霊が憑りついたり、行方不明になる事例まで発生しているらしい。……教会から派遣されたエクソシストもお手上げって言ってたし────そこで、だ」
両手を後ろで組み、ユディラは窓を背後にして言う。
さながら後光が差しているかのようで、神聖な雰囲気すら感じられた。
そのまま、神父は続ける。
「シスター・セシリアには、この事態の鎮静化に行って頂きたい。もし良ければ、アウラ君にも同伴をお願いしたいんだが、良いかな?」
「私は構いませんが、どうですか? アウラさん」
「次の依頼までしばらく暇だし、付き合うよ。でも、俺なんかで良いんですか?」
了承した上で、アウラが問い返す。
理由は単純。──自分が悪霊払いに役立てる人間かどうか、という点だ。
「魔獣退治やバチカル派を相手にした経験ならあるけど、悪霊退治となると役に立てるかどうか」
「問題ありません。その場合はシスター・セシリアのサポートに回って頂ければ大丈夫ですから。……聞いた話では、どうやら悪霊に感化されて魔獣が凶暴化しているそうで」
「そうなると結局、やる事はいつもと同じか────」
ボソりと零すアウラ。
アウラに任されたのは、普段からやっていることとと何ら変わらない。
一呼吸置くと、アウラはユディラと目を合わせて、
「分かりました。引き受けますよ」
アウラがそう返すと、ユディラは無言のまま頷いてみせた。
対霊戦闘の経験のないアウラがすべきは、悪霊に対する手段を持つセシリアの露払いだ。
護衛の依頼までの数日、腕を鈍らせるのはアウラとしても本意では無かったので丁度良かった。
「……二人とも、話すのも良いですが、紅茶が冷めてしまいますので早く飲んで下さい」
目を瞑り、横から釘を刺すセシリア。
丁度依頼の件についても話がついたので、アウラは温かい紅茶を楽しみながら、ユディラやセシリアと談笑するのだった。
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