89話『再会の修道女』
アウラが第二階級の「
護衛任務まで少し期間があるということで、彼は珍しく依頼に出ない日々を送っていた。
「ヤバいな、自分からオフの日にしたのに、これといってやることがない……」
彼がいたのは、エリュシオンの中央広場。
美しい女神を象った像と噴水が目印の、大通りから続く、最も人が集まる区画だ。
民間人や商人、それから同業者である冒険者たちで溢れている。
そんな中、アウラはベンチに腰を掛けて時間を潰しつつ、ある事実に直面していた。
(改めて思ってけど、依頼に出ることが日課になってたから、それ以外の趣味とか一切ないんだよな……よくよく考えれば、依頼主に感謝されるのが生き甲斐みたいになってたし、思わぬ弊害が……)
行き交う人々を見つめつつ眉をひそめ、口元に手を当てて黙考する。
起きてはギルドに行き、依頼を受けて達成し報告する。その際、依頼主に直接感謝されることもあり、それが彼の冒険者としてのモチベーションにも繋がっていた。
言わば仕事が趣味のような状態になっていたのだが──それを除いて、今のアウラに趣味らしい趣味は無かったのだ。
(趣味かぁ……好きなものと言えば一応、読書……とりあえず図書館にでも行ってみるか……?)
心の中で零し、ふと立ち上がろうとした刹那。
「────あ」
「────おや」
目の前を、グレーの髪が通りがかった。
紺色に満ちた修道服に頭巾という、一目で「修道女」と分かる出で立ちをした少女。
その肌は病的な印象を抱かせるほどに白く、緑色の瞳で彼を見下ろしていた。
紙袋を抱えた彼女が足を止めたのは当然、アウラのことを知っていたからで。
「これはこれは、ご無沙汰しています、「雷霆の代行者」さん」
「うっ……使徒の間にまで広まってるのかよ、俺の話」
苦笑いしながら、アウラは答えた。
彼の前に現れたのは、ソテル教の修道女。
布教及び各地の教会の査定を主な仕事とする「使徒」の一人にして、教会所属の異端狩り──セシリア・ゼグラディオだった。
「勿論です、十三位とはいえ、貴方は憎きバチカル派の司教を討ち果たしたのですから。前に第一位を退けた戦果も併せて、冒険者の中も屈指の実力者として報告がいっていますよ」
「俺は好きで司教とエンカウントしてる訳じゃないんだけどなぁ。……でもまぁ、教会の人達の役に立ててるなら良かったよ。それで、セシリアは何してたんだ? 買い出し?」
「はい、子供たちに配る焼き菓子の材料の補充に」
そう言って、セシリアは袋の中身を見せる。
中に入っていたのは、小麦粉と卵。塩といったラインナップだ。
「ここの方たちは誰もが笑っていて良い人ばかりですね、卵を三つもオマケしてくれました。……叶うのであれば、永劫にこの平和が続いて欲しいものです」
軽く微笑み、嬉しそうなセシリア。
彼女の表情を見て、アウラは何か気付いたのか
「なんかセシリア、前より笑うようになった?」
「何を言っているんですか。私とて血の通った人間、喜怒哀楽の感情ぐらいあります」
彼女の声が、少々不服そうな声色に変わる。
表情の変化はあまり大きくはないが、それでも感情の変化は十分に感じ取れる。
「使徒としての仕事中は、私情を排除しているだけですから。オンオフの切り替えというヤツですよ」
「あー、そういうことだったのね。……初対面の時の印象がえらく淡々としていたというか、ソテル教以外に興味無しみたいな感じだったから、つい」
「そうです。なので、今の私はただの修道女に過ぎません。楽しければ笑うし、こうして貴方のような知り合いと雑談だってしますよ」
何処か楽しそうに、セシリアは語る。
教えを広める教会所属の「使徒」としての顔と、異端を屠る「暗部」としての顔。
そういった職務に縛られていなければ、彼女は一介の修道女──神の教えを守りつつ日々を謳歌する一人の少女なのだ。
「もし今時間があるようでしたら、是非とも教会に。お茶ぐらいならご馳走しますので」
「マジ? そういうことなら、勿論行くよ。丁度時間を余らせてたところだ────っと」
セシリアの誘いに応じ、アウラはベンチから立ち上がる。
そのままセシリアの持っていた大袋を抱え、彼女と共に人混みの中に加わった。
教会の異端狩りの二人──セシリアとロギアが駐屯しているのは、エリュシオンの東部にある教会だ。
中央広場から東側に繋がる路地へ入り、ひたすらに階段を上り続ける。
その歴史は100年ほど。ソテル教の発祥が3000年前であることから考えれば遥かに浅い方である。
薄暗い路地を歩きつつ、ふとアウラはセシリアに問いかけた。
「そういや、ロギアの方は最近どうなんだ? エリュシオンに常駐しているとはいえ、こないだも仕事抜け出して来た感じだったけど」
「相変わらずですよ。あの人は一般の使徒を統括するような役割でもあるので、書類仕事やら他の使徒その情報共有やらで忙しくしてます。とはいっても、各地を巡っていた頃に比べれば遥かにマシですが」
「結構偉い立場なんだな。……確か、ロギアってグレゴリウスって人の直属の部下って聞いたけど」
「グレゴリウス・トライアニマ──我ら巡礼組織「使徒」の機関長ですね。前任の機関長がバチカル派との戦いで死亡した後、他の使徒の推薦で今の地位についたと聞いたことがあります。どうにも、現役の時は歴代最強を謳われていたみたいですね」
「歴代最強の使徒か。じゃあ、その人も司教とやり合ったことが?」
「ええ。私が知る限りでは、先代の第八位を五日間に及ぶ激闘の末に討伐した、と。……もっとも、今では後釜の第八位が随分と厄介ですけどね」
「司教序列の第八位。……あのメラムとかいう司教だよな」
アウラの記憶に、その名は鮮明に刻まれている。
自分との戦いで消耗した第一位──ヴォグ・アラストルを助けるため、戦場と化していたエクレシアの都市に乱入した司教だ。
青い髪色に、幾何学模様が刻まれた手足。自分以外の全てを見下し、嘲笑しているかのような言動は、今でも覚えていた。
「使徒の優先討伐リストにも名が載っている司教です。実は近頃、彼に関して少し情報が入って来ましてね」
「そうなのか? ロギアに聞いた話だと、実力は教会もそこまで把握してなかったらしいけど」
「本当に最近の話ですので、アウラさんが知らないのも無理はありません。どうやら、東の大陸各地の有力な傭兵や騎士が、メラムと名乗る司教との一騎討ちの末に殺害されているみたいです」
「……なんというか、バチカル派らしくないな。連中の教義に基づくなら、部下を率いて街を襲撃した方がよっぽど被害が出るだろうに」
率直な感想を述べるアウラ。
バチカル派の本懐は、神々の敵である魔神や悪魔の復活。その為の「贄」を捧げるべく、教団は信徒を街や村に送り込み、無差別に殺戮を繰り広げているのだ。
アウラが退けた司教──序列第一位のヴォグや、十三位のヴェヘイアはまさにその典型とも言える。
(エクレシアで会った時には傲慢なヤツって印象があったけど、実際は違うのか……?)
「現在、教会では「雷帝」の通り名で呼ばれています。以前教皇庁から送られてきた資料によれば、魔術を遥かに凌ぐ出力の雷撃……雷霆を手繰ると記録されていました」
「雷霆……って」
「これは私の憶測に過ぎませんが、恐らくはアウラさんに近しいモノかと。一体どの魔神や悪魔の核を宿しているのかは分かりませんが、いずれ相まみえることになるでしょうね」
「分かってるよ。バチカル派とやり合う以上は避けて通れない道だし、偽神になった以上は戦う以外の選択肢は俺にはないしな」
「神の権能の担い手としての矜持、というヤツですか。……神といえば、異教の人々にとって、多くの主神は雷神だったと聞きます」
「そうだな。西方大陸なら全能神ゼウス、北側で最強を謳われたオーディンやトール。ソテル教以前の東方大陸にも、バアルやらインドラやら色々といた。天候を操ることはつまり、大地に雨を降らせて豊穣をもたらす神でもある……今でも信仰されている神がいるのは、そういう人々の心の拠り所だったんだろ」
「私も神学校に在籍していた頃に学びましたが、アウラさんは随分と詳しいんですね」
「これでも魔術師だし、たまに夢で色々と見るんだよ。神の時代の記憶っていうのかな?」
階段を登りながら、アウラは答えた。
東方の一地域の主神として名を馳せた雷神にして戦神、インドラ。この神と接続した影響か、アウラはインドラの記憶を夢で見ることがあったのだ。
「多分「大戦」の時のものなんだろうけど、それこそ今言ったゼウスやトールと肩を並べて戦ってた、みたいなシーンもあったよ」
「偽神となった貴方が言うのであれば、本当なのでしょうね。私も正統派ソテル教の人間である以上、異教の神々には畏敬の念を抱いていますが……彼らがいなければ今の世界がないことを、どうしてカノン派の連中は認めないのか理解に苦しみますね」
アウラの話を聞き、セシリアは一息ついてそう答えた。
彼女が最後に放ったのは、同じ神を信奉する別の教派──ソテル教の正統派から枝分かれしたカノン派に対する愚痴だった。
カノン派は正統派とは違い、異教の信仰を認めていないのだ。
階段を登り切り、見晴らしの良い高台に到着したところで、アウラは以前の記憶を掘り返しながら返答する。
「教皇は「対立はしていない」って言ってたけど、やっぱり個人的には思うところがあるんだな」
「私達と同じ父なる神を信仰しているとはいえ、古き神の痕跡を消し去ってでも教えを広めるやり方には些か賛同しかねます。確かにそのような時代もありましたが、今のソテル教は違いますから」
人々の行き交う街を眺めつつ、セシリアは語った。
異なる教え、異なる神を崇めていようとも、神々の偉業は語り継ぐべきモノだと。
当代の教皇──エノス・ヴァレンティノス・エクレシアがそうであるのなら、セシリアのような信徒もその信念に従い、同じく古き神の記録を未来へと保存していく責務がある。
神の時代の掉尾を飾る「大戦」において、神々は身を賭して地上を守り切った。
既にその姿はどこにもないが、その在り方や想いは、異なる神を信ずる人々の胸にも届いている。
「さて、着きましたね。それでは中にどうぞ」
教会の門を開き、セシリアはアウラを中に招き入れる。
アウラは軽く笑って、彼女の後に続いて教会へと入っていった。
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