88話『舞い込んできた仕事』
「────死ぬかと思った…………」
ギルドの一角を占める昼の集会場。
在籍する人間が仲間を集める、もしくは軽食を取る為に使われるスペースだ。
幾つもあるテーブルに突っ伏しているのは、疲弊しきった銀髪碧眼の魔術師、アウラである。
知人の冒険者──魔術師のレノ、剣士のヴェントと共に、ここ数日は依頼に出っぱなしだった。
沼地の竜に棲みついた竜や、遺跡周辺に生息していた魔獣の掃討。これらは内容がシンプルだった上、特に苦戦するほどでもなかった。
のだが────、
「こりゃまた随分とヘロヘロになって帰ってきたね、お兄さん……」
「あぁ、ナルか。そっちも、仕事はしなくて大丈夫なのか? サボり?」
「アタシは夜勤だったから、今日はもう昼で上がりなのさ。最近発見された新しい迷宮の調査の依頼に出てたってのは聞いてるけど、何かあったのかい?」
苦笑しつつテーブルの向かいに座ったのは、白いブラウスと黒のロングスカートという出で立ちの少女。
前髪に白いメッシュの入ったライトブルーの短髪と、普通の人間ではないことを主張する「獣の耳」。
親し気に近付いてきた彼女は、アウラの知人でもあるギルド職員の獣人────ナル・ファータだ。
「探索に入った迷宮が想像の5倍は複雑でな。結論を言えば、迷って出れなくなりかけたんだ」
「えぇ……でもそっか、地図も無しの調査だもんね」
「一通り探索したけど、見つかったのは古い粘土板だけ。曰く、迷宮の主が敵軍を陥れる為に作った代物ってだけで、財宝を隠したってワケでもなさそうだったしな。……とんだ骨折り損のくたびれ儲けだよ」
「災難だったねぇ。……そっか、なら今日はやめといた方が良いか……」
アウラの疲れようを見て、ボソリとナルが呟いた。
聞き逃さなかったアウラは顔を上げて、
「どうしたんだ? 何か依頼でもあるなら構わないけど」
「えっと、実はだね……アウラに依頼が来てるんだよ」
「俺に?」
「正確には、アウラとカレンの二人にね。なんでも、一週間後にいいとこのお嬢様のお見合いがあるから、その身辺警護をお願いしたいんだとさ」
頬杖をつきながら、ナルが言う。
アウラとカレンの二人への依頼とは、要人の護衛。それも貴族の娘の身元を守るというものだった。
「お見合いの警護って、わざわざ俺達みたいな冒険者に依頼を出すほどのものか……?」
「万が一ってこともあるだろう? それに何もなければ何もないで報酬も出るし、相手は貴族だ。それなりに期待しても良いんじゃないかい」
「言われてみれば、そっか。んで、その依頼主って、一体どんな?」
「エリュシオンから少し離れた、北西の小国イルウの貴族だね。……とはいっても、ここ幾つかの代から衰退気味でね。幸い、娘が由緒ある家の長男と良い感じらしくて、結婚するかってところみたい」
「重要な縁談ってワケか。何かあったら大変だしな──分かった、引き受けるよ」
アウラは腕組みしながら、快諾する。
彼からすれば、護衛自体はおろか、依頼が舞い込んでくるというケースも初めてのことだった。
何も起こらないに越したことはなく、断る理由もない。
軽く笑うアウラを見て、ナルも柔らかな笑みを浮かべた。
「カレンにはもう伝えてあるから、安心しな。それと一つ気になってるんだけど、クロノの姿が最近見えないんだ。アウラは何か知ってる?」
「クロノなら、しばらく休養だよ。この間の依頼で、少し無理してな。死に欠けたところを魔神の核で治療したんだけど、後遺症がないかを調べるためにも、シェムさんから療養が言い渡されたんだとさ」
アウラが語る。
クロノは直近の依頼──盗賊制圧の依頼──において、乱入してきたバチカル派の司教、ヴェヘイア・ベーリットを相手に激闘を繰り広げた。
最低位の序列十三位とはいえ、冥界の魔神モレクの権能を振るい、先代を倒してその座に就いた怪物。神のいない今の世界に、モレク神の冥府を顕現させるほどの実力者であった。
神の時代のルーン魔術の乱発。
そして、己の血と生命、そして冥界の残滓を魔力源として成立させた、捨て身の神言魔術。
これだけの無理を押し通し、危うく死の淵を彷徨ったのだ。
(あの状況から生き残ったとはいえ、身体に負担がないとは言い切れないしな)
アウラは心の中でそう推測する。
魔術師として全てを出し切った以上、クロノ自身の身体にかかる負荷は想像を絶するものだ。
アウラが本気でインドラの神話──ヴァジュラの投擲による竜殺し──を再現した時、反動で動けなくなった。厳密には違うとはいえ、クロノの神言魔術も神期の「神」の力にまつわるモノだ。
人の身で神の権能を振るうこと。
その負担、辛さは、アウラが誰よりも理解している。
アウラの話を聞いたナルは、驚いたように耳を動かして
「そっか、何もなければ良いんだけどね……やっぱ心配だよ」
「大丈夫だよ、クロノは魔人が相手でも必死に食らいつく度胸はあるし、最高位の魔術師の弟子だ。何度か一緒に依頼に出て分かったけど、簡単に死ぬようなタマじゃない。大人しいように見えて、俺以上にガッツがあるしな」
「ほう……よっぽどクロノを信頼してるんだね、アウラは。……ん、そこまで入れ込むってことは、もしかしてクロノが好────!?」
「そういうことじゃないって!! お前、ホンっとそういう話好きなのな!」
「人の色恋ほど酒の肴になることはないからね。あぁでも、人の恋路を邪魔するような真似はしないから安心していいよ。……でもなるほど、クロノの線がないってことは、もしやカレンの方かい?」
「いや、カレンの方こそないだろ。浮ついた話とか聞いたことないし」
「中々に辛辣だね……」
「今更本音を隠しながら話してもしょうがないだろ。んじゃ、俺はそろそろ────」
「──あ、ちょっと待って、アタシも行く。折角互いに暇なんだ、一緒にお茶でもしないかい? まさか、女の子からの誘いを断るなんて野暮な真似しないよね?」
「っはぁ……へいへい。分かってるよ、暇潰しに付き合えっていうんだろ」
挑発するように笑いながら、ナルが誘う。
アウラの方も予想はしていたのか、微笑と共に返し、二人揃ってギルドを後にした。
ギルドを出て市街地へ。
二人の前に広がるのは、いつも通りの活発な街並み。エリュシオンの日常とも言える風景だ。
平和に過ごす民間人や、依頼に出る冒険者、せっせと働く商人。これらの要素が入り混じることで、エリュシオンという街は「眠らない都市」と呼ばれるに至ったのだ。
「アウラは何か食べたいものとかあるかい?」
「俺は別にないかな。要望はあるとすればそうだな……パンと肉と野菜があれば十分かな。それより、さっき気付いたんだけど」
「ん? なんだい?」
「お前、少し見ない間にえらく身長伸びてない……?」
足を止めて、気まずそうに零した。
止まって互いに視線を合わせてみると、その目線の高さは殆ど同じだった。
「初めて会った時は、もう少し俺の方が高かった記憶があるんだけど……」
「あぁ、獣人は成長の速さが普通の人間とは違うからね。流石に個人差はあるだろうけど、アタシは結構早いかも。この調子だったら、半年もすればアウラを見下ろせるぐらいにはデカくなるんじゃないかな?」
「……マジか……」
目に見えて項垂れるアウラ。
カレンやクロノは同い年なのでそこまで気にはしていなかったが、ナルは普通に年下である。
にも関わらず見下ろされる未来が確定しているとなると、男としての最低限のプライドすら粉々に粉砕されるというもので。
「なんだ〜!! 身長なんざ関係ないって!! 話す時の目線がちょっと変わるだけなんだからさ!!」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……!」
笑いながら、ナルはアウラの肩をバシバシと叩く。
どこまでも元気なナルとは対処的に、アウラの声は絞り出したようにか細い。
「そう気を落とさないでよ。第一、男の魅力は何も身長だけで決まるもんでもないだろう? 大事なのは中身だよ、中身。そこは自信持ちなって」
「中身、性格ねぇ。自分でも性格良いのか悪いんだか、イマイチわからないわ。なんでも安請負いするから、お人良しってのはなんとなく思っちゃいるけどさ」
「良いじゃん、お人好しでも。アンタみたいなヤツのことを「甘い」って言うこともあるだろうけど、目の前の人間、自分の周りにいる人間を意地でも助けようとするヤツは好きだよ」
「……そう言ってくれると助かるよ。俺としても、誰も救おうとしない秀才より、誰でも助けようとする愚者の方が憧れるしな」
ナルの言葉に、穏やかな笑みを浮かべるアウラ。
何気ない会話だが、アウラの心の荷が僅かに下りる。
彼とて、全ての人間を救えるとは思っていない。
しかし、大のために小を簡単に切り捨てられるほど、冷酷な人間にもなれない。
可能な限り、自分の手の届く範囲の人間に手を差し伸べる。
(──地上の人々のために、力を使え、か)
かつて、
この言葉は、ある種、アウラの行動指針にもなっている。
与えられた力をもって、今を生きる人間を助ける。
アインとの間に交わされた契約を守り通すためにも、アウラは自ら「人を救うために足掻く」という道を選んだのだ。
「────それじゃ、気を取り直してご飯にでも行こうか! 折角だ、今日もアタシの店においでよ。お腹いっぱい食べさせてやるからさ!!」
「ナルの店って、「ヘスペリデス」でか!?」
「当たり前でしょうが。味も美味いし量も多い、問題はないだろう?」
「俺もあそこの料理は好きだけど、頼むからもう少し適量ってもんを」
懇願するアウラ。
彼は一度、ナルが働いているレストラン「ヘスペリデス」の料理の多さに地獄を見たことがあるのだ。
完食こそしたものの、胃袋のキャパシティは限界寸前だった。
それでも普段から利用しているのは、出された物は残さず食べるという幼少期から叩き込まれた食事への礼儀が起因しているのだろう。
当然、今回も腕を振るうのはナル本人。
ナルは、はにかむような笑顔で。
アウラは苦笑気味に、昼食を取るべく人混みの中を歩いていく。
※※※※
「ほい、アタシがいつも食べてる賄い!」
「──────」
満面の笑みのナル。
アウラの眼前にあるのは、山積みのパンと肉の煮込み料理。スパイスの香りが鼻腔をくすぐり、食欲を刺激するだろうが────肝心のアウラ自身は配膳された料理を見つめ、覚悟を決めたような面持ちをしていた。
生唾を呑み込んだのも、食欲からではない。
今から始まる胃袋との戦いに、挑む準備を済ませたのだ。
(頼むぞ、俺の胃袋……)
魔獣討伐に並ぶレベルに真剣な面持ちで、パンを齧り始めたアウラ。
その光景を、ナルは頬杖をつき、何処か満足そうに見つめていた。
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