91話『悪霊の住まう街:道中』

 翌日。

 アウラは顔なじみのソテル教会のシスター、セシリアと共に馬車に乗り、目的地のすぐ近くの街で一泊していた。

 目的は勿論、引き受けた依頼──悪霊祓いのサポート──のためである。

 丁度夕食時だったのか、二人はこじんまりとしたレストランのテーブルで向かい合わせに座っていた。


「天にまします我らの父よ。貴方の造り給うた物を、人の血肉に変えることをお赦し下さい」


 目を瞑り、両手を組んで唱える灰色髪の修道女。

 配膳されたのは焼きたてのパンと彩り豊かなサラダ、それからスパイスの香りを放つ魚料理。それら一式が二人前用意されていた。

 数秒の沈黙の後──セシリアは目を開き、世間話をするように話し出す。


「ところで、別に断っても良かったのですよ。悪霊は勿論、魔獣退治であれば造作もありませんし」


「んっ……良いんだよ。俺だって暇を持て余してたんだし、知人の力になれるんだったら断る理由もないしな」


 パンを飲み込んで、アウラが答える。

 今回の依頼の主役はあくまでも教会の使徒であるセシリア。アウラはそのサポートに徹し、彼女の安全を確保しなければならない。

 パンに持っていかれた口内の水分を補充すべく、アウラはグラスを傾けた後、


「考えてもみろ。もし不測の事態が起こったとして、お前を連れて離脱できる人間がいた方が安心できるだろ?」


「それはそうですが……」


「良いんだよ。俺は全力でセシリアのサポートに回るし、何があっても死なせない。報酬もきっちり支払われるみたいだし、冒険者である以上は依頼なら引き受けるのが筋だ。ましてや知人の頼みなら猶更だろ」


「……以前から思っていましたが、根っからのお人好しなのですね。聖職者である私が言って良いのかはわかりませんが、その生き方はいずれ損しますよ」


「うっ……それぐらい分かってるよ。ただ、困ってるヤツを見捨てても寝覚めが悪いだろ。だからまぁ、それで俺が損をしても自己責任ってことで割り切るさ。「偽善者」って呼ばれるのもな」


「全ては承知の上ということですか。もし貴方が教会の人間であれば、その精神性は多くの信徒から認められたでしょうに。勿体ないですし、今からでも改宗してみては?」


「改宗……うっ、嫌な思い出が……」


 フォークでサラダを口に運ぶセシリアの言葉に応じて、何か思い出したように、アウラの表情が曇る。

 同時に悪寒が背筋を駆け抜けたのか、両腕をさする。

 ソテル教会の人間に改宗を迫られたのは、今回が初めてではない。アウラがエクレシアを訪れる前に、エリュシオンの教会で得体の知れない信徒に改宗を勧められたことがあった。


(ダメだ、俺多分あの人苦手かも……)

 

 両目を包帯で覆い、紺色の長髪を靡かせる修道女のことを思い出す。

 アウラの特異性──人ならざるモノの要素を宿していること──を初対面で言い当て、さらには彼の死を予言するかのような言葉を残したのだ。

 異様なハイテンションとは裏腹に、腹の底では何を考えているのか分からない。

 喧しさと不気味さ、その二つを内包している人物だった。


「……え、軽い冗談のつもりだったんですが」


「ん!? あぁいや、何でもない! うん!」


 思っていた以上に表情に出ていたのか、セシリアは眉をひそめる。

 彼女の反応に焦ったアウラは慌てふためいて返答しようとするが、要領を得ていない。

 

 するとセシリアは溜め息を零して、

 

「もっとも、これだけご迷惑をお掛けしていれば、教会に苦手意識を持ってしまうのも無理ありませんか」


「別に苦手意識があるって訳じゃないけど、まぁ、教会にも色んな人がいるよなって……」


「一般の司祭の方々は温和な方ばかりですが、ごく一部、使徒には変り者も多いですので」


 呆れたような口振りで、セシリアは肩を竦める。

 まだ若いが、使徒としてのキャリアはかなり積んでおり、その中で沢山の教会の人間と関わってきた。

 記憶を振り返るように数秒沈黙し、再び彼女は口を開く。


「ロギアさんのように、元々は教会の人間ですらなかった者。私と同じ、異端を殺す為に使徒になった者、中にはカノン派の教義に疑念を抱き、自ら宗派を変えた者もいるぐらいです。教会の聖典にも、こうあります────」


「──"神への門は、遍く人に開かれる"だろ」


「なんと。よく知っていますね」


「前に教会で聖伝書を読んだ時に、な。該当箇所は第二部の序盤……預言者セフィルが飢餓に苦しむ村で奇跡を起こした時の言葉だったか」


「……貴方のような異教の人間が、聖伝書の御言葉を記憶してくれるとは。嬉しいものです」


「読書は好きだからな。それに、神期が終わった後に神の啓示を受けた人間の物語ってのも興味深い。──言っちゃえば、好きなんだよ。神話とか伝承とかがさ」


 微笑と共に、アウラが答えた。

 古き神々が紡ぎ、人々によって途絶えることなく語り継がれてきた物語──即ち、神話。

 アウラ自身が神の権能の担い手であることも理由の一つだが、彼はそれ以前に、古来より脈々と受け継がれた神話に触れるのが好きだった。


 そもそも、彼が異なる世界に行く切っ掛けになったのは、西洋魔術や神話を含めたオカルトに系統していたのが根本の原因なのだから。


「俺が力を借り受けている身ってのもあるがね。彼らの痕跡みたいなのを今でも追えると、なんだか嬉しいんだ」


「今は無き神々に想いを馳せる。そう考えれば、アウラさんも立派な神の信徒ですね」


「立派かどうかは分からないけどな。折角、聖遺物レガリアと権能の担い手として選んでくれたってのに、毎回危ない綱渡りをしているんだから」


 アウラは自嘲気味に返す。

 神期に存在した多神教の神と、天地の造り主たる一神教の神。

 二人が関わっている神はその細かな定義において違いがあるが、どちらも人を庇護する存在であることには変わりない。

 神の権能の担い手──「偽神」としての力不足を嘆くアウラに、セシリアは間を置いて答える。


「きっと、神は天から……あるいは貴方の内側から、優しく見守って下さっていると思います。私達の信ずる父なる神が、全ての民を見守っているように」


「え?」


「私は、一人でも多くの人に神の教えを広め、苦しむ民が余さず神に迎え入れられることを願っています。これは、アウラさんが一人でも多くの人を救おうと奮闘していることと、本質的には変わりません」


 敢えて目を合わせず、自分に言い聞かせるようにしてセシリアが語り出す。

 神の教えを広め、主の敵を殲滅する者。神の権能を代行し、地上の秩序を保つ者。

 一神教の使徒と「偽神」。その在り方は何処か似ているものだった。


「ボロボロになっても、血反吐を吐いても、自分に与えられた役目と責務を果たそうとする。そう本気で思っているのなら、貴方の神はきっと喜んでおられると思います」


「そっか……そう言ってくれると、少しは肩の荷が下りるよ」


 安堵したような声色のアウラ。

 応じるように、セシリアも柔らかい笑みを浮かべる。


 食事を終えると、二人は夜風の心地よい街を歩き、宿へと戻る。

 堅牢な城壁に囲まれ、夜でも人の絶えないエリュシオンに比べれば、遥かに静かだった。

 やや感覚が鈍っていたが、本来、夜とはこういうモノだ。

 

 宿に戻った後は、明日に備えて眠るだけ。

 だったのだが。


「まさか同室とは……」


「ですね」


 簡素な宿の一室で、二人はそんな言葉を交わした。

 事前に手配されていた宿に宿泊したのだが、一人一部屋ではなく、二人一部屋で予約されていたのだ。

 同伴していたのがロギアならまだしも、男女が一室というのはアウラにとっては気にしてしまうポイントなワケで。


「……ま、それならしゃーないか。俺はソファーで寝るから、ベッド使って良いよ」


「良いのですか? アウラさんに手伝って頂いている身なのに」


「家でもたまにソファーで過ごすことがあるし、慣れてるから。それに、若干年の離れた男女が同じベッドってのは倫理的にちょっと、な?」


「年って、私と二つしか違わないじゃありませんか。別に構いませんよ、男性が悪霊に憑かれ、情欲のままに女性の身体を貪った事件にも遭遇したことがあります。もし仮にそんなことになっても、として上には通達しておきますので」


「そういうことって、んな事故みたいに処理されても……」


 呆れたように愚痴を零すアウラ。

 確かにアウラも年頃の男子。人並に異性への興味はある上、セシリアは非常に容姿の整った美少女だ。

 振り返ってみれば、カレンといいクロノといい、自分の身の周りにいる女性陣は美女ばかりである。

 アウラはあくまでも親しい友人として接しているが、時折ドキりとさせられることも少なくない。

 

 とはいえ、彼は自制心もきっちり持っている。


「それより、明日の予定は? もう悪霊の処理の仕事にあたるのか?」


「まずは現地の教会に行って状況を把握するのが先ですね。続いて住民に聞き込みをしてから、悪霊祓いに取り掛かりましょう」


「了解だ。なら、俺の出番は当分先になりそうだな」


「何も無ければ、そうなるかと。──もし力を借りることになれば、私からもどうかお願いします」


「勿論。遠慮せず使い潰してくれて構わないよ」


 胸を叩き、快くアウラは答える。

 今までとは少し毛色の違う依頼だが、死力を尽くすことには変わりない。

 掌にバチバチと雷霆を弾けさせ、気合十分だと示す。


 それを見たセシリアも僅かに微笑み、頷きで返したのだった。

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