天使の話(4)

 弟が死んだ。

 それを思い出す度に、彼女は誰かにだまされているんじゃないかと考えてしまう。

 子供サイズの棺桶が地面の下に埋められてゆくのを確かに見たはずなのに。

 涙の一つも出やしない。

 葬式でお悔やみを言ってくるクラスメイトや近所の人たちにはただうんざりした。

 あの子は本当に良い子で、と語る両親の言葉に「うそつき」と思った。

 優しくて良い子だった。頭の良い子だった。皆から愛される子だった。

 うそつき。

 私の弟は、そんなんじゃなかった。

 それは私の弟じゃ無い。

 うそつき。

 うそつき。


「薄情ですか」

「うん、ハクジョー」

 少女は隣に座っている青い男、アウインの顔をちらりとうかがう。

 そして、その顔に軽蔑や嫌悪や、そういった表情が浮かんでいないことに安堵して言葉を続けた。

「学校に銃を持った人が入ってきた時も、全然弟のことなんて思い出さなかったの。自分のことだけだった。狭くて暗いロッカーの中で、自分が助かるかどうかだけ考えてて……お母さんとお父さんが迎えに来た時もただ嬉しくて、ジョナサンはどこって聞かれるまで、弟のことなんて全然思い出さなくて」

 今もね、と彼女は囁く。

「ジョナサンのこと、今もあんまり好きになれないの」

「そうですか」

「お葬式でも、お父さんたちは悲しんでるのに私だけ泣けなかった。ジョナサンのこと思い出そうとしても、顔も声もどんなだったか分からなくなってるの」

 だから私は悪い子なんだ。

 だからいつまでもお母さんが怒っているんだ。

 だからお父さんも出て行っちゃったんだ。

 だから。

 だから。

 だから。

 だから、ジョナサンじゃ無くて私が死んだら良かったのかも。


 溢された声は紙やすりで削ったようにがさりと震え、はくっと息をし損ねたように少女の喉が震えた。

 それきり膝に顔を埋めてしまった少女のつむじを、青色の石は見下ろす。

 ステンドグラスの外側では街灯に明かりが点り始めた。ぽつん、ぽつんと灯が点るたび、ステンドグラスに青色の光の輪が出来上がった。

「泣きたいの」

 密やかな声が冷え切った教会の空気を震わせる。

「ずっとずっと、泣きたいの。ジョナサンが死んじゃった時も。ママが入院しちゃった時も。パパが出てった時も。今も、泣きたいの。でも泣けないの」

「そうですか」

「泣くってどうやるんだっけ? あの日ロッカーの中に居た時は、泣かないようにすごく我慢していたのに、泣いちゃいそうだったのに、今は泣けないの。アウインは泣いたことある?」

「僕ですか」

「うん」

「僕は泣いたことはありません」

「そっか……ねえ、そっちに詰めても良い?」

「良いですよ」

 アウインの言葉を受けて少女は両手を木製のベンチに着くと、尻でずりずりと這いずって、空いていた2人分の距離を詰めた。そのまま体重をアウインに預ける。

 触れあった肩越しの体温は感じられなかった。

「アウインも冷たいね」

「そうですか」

「うん、冷たい。本当は石だからかな」

「そうかもしれません」

「アウインは誰か大切な人を亡くしたことはある?」

「大切……かは分かりませんが、最後の僕の所有者が死ぬ場面には立ち会いました」

「泣くことはできた?」

「いいえ」

「悲しかった?」

「いいえ」

「それじゃ、寂しかった?」

「……。分かりません。ですが、おそらく、寂しくはなかったと思います」

 深い深い、夜のように青い瞳が少女を見つめる。

 哀しみも悦びも無い、凪の湖水のような静かな目だった。

「僕はわかれを祝福するためにできた石です。失うこと、変わること、死んでゆくこと、それらを肯定し、見送るのが僕の役割です」

「いっぱい、見送ってきたの?」

「そうです」

「泣かなかったの?」

「そうです」

「それは苦しくなかった?」

「君は苦しいのですか」

 問われ、少女はハッと目を見開く。

「私……苦しいの?」

「泣きたい時に泣ける魔法が欲しいと君は言いました。そして、泣かなかった僕に『それは苦しくなかったか』と訊ねました」

「……私、苦しいのかな?」

「分かりません。苦しいのですか」

「私、苦しいと思っても良いのかな。許されるのかな」

 少女の言葉に青色は穏やかに微笑み、頷いた。


「それが君の『わかれ』なら、僕はそれを肯定しましょう」

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