天使の話(2)

 少女と死んだ弟は、あまり仲の良い兄弟では無かった。

 少女は同じ学年の少女たちとの交流を優先していたし、弟は家一人で引きこもって遊んでいるばかりで、およそ交流と呼べる物はなかった。

 おまけに、弟は時折癇癪の発作を起こした。

 一度その状態になってしまうと手が着けられなかった。

 手当たり次第に物を投げ、叫び、八つ当たりし、止めようとする母に噛みつき、蹴り、暴れた。

 だから、少女は普段から弟には距離を置き、関わらないようにしていた。

 弟の激しい気質は何か脳の病気らしく、彼は定期的に通院し、カウンセリングと投薬治療を受けていた。

 この治療方針に関して父と母はよく対立していた。

 受けられる治療は最大限活用すべきだという父親に対し、母親はなるべく薬には頼らないことを主張した。

 普段は母親の意見が通っていたが、弟が激しく暴れた夜などはダイニングで怒鳴り合う両親の姿があった。

 少女はその光景が嫌で、そう言う時は自分の部屋でヘッドホンで流行の音楽を聴いていたのだった。


「私、弟が……ジョナサンが嫌いだったのかもしれない」

 2人分の距離を置いて冷たいベンチに腰掛け、少女は懺悔するようにつぶやいた。

「そうですか」

 2人分遠い位置で、石だと名乗った青年――アウインは微笑んだ。

「責めないの?」

「責めません」

「変なの」

 少女はそう言って、少しだけ笑った。

 片頬が引きつるような感覚に、少女はもう随分長いこと笑ってないことを思い出した。

「私ね、弟が死んでも悲しくないの」

 行儀悪く靴を脱ぎ、ベンチの上に膝を抱えるように座り込んで、少女は秘密を打ち明ける。

「ジョナサンのことでお母さんもお父さんもいつも喧嘩していたから、ジョナサンが死んだらもう喧嘩しなくなるんじゃ無いかって思っていたの。でもね、お父さんたち喧嘩したの」

「喧嘩ですか」

「うん、お母さんはインタビューに出て、世間に訴えるべきだっていうの。お父さんはそれが嫌みたい」

 少女の学校を襲ったのも、親の銃を無断で持ち出した少年の仕業だった。

 少年には精神科の受診歴があり、そして、彼の父親は彼女の通う小学校の警備員だった。

 少女の母が告訴しようとしているのは、この警備員の男性の責任についてだった。

「お母さんはね、傷ついてるの」

 少女は抱えた膝にあごを乗せ、物憂げに目を伏せる。

 その年代の少女には似つかわしくない、大人びた表情だった。

「ジョナサンが死んでから、お母さんはすごく傷ついて悲しんでるの。家に居るとね、ジョナサンの思い出が多すぎて、見ていて辛いんだって。悲しくて、そして、すごく怒っている。ジョナサンが死んじゃったことに、死んじゃってる世界に、怒ってるの」

 少女は思い起こす。

 いつも美しく装っていた自慢の母が、やつれ、乱れた髪のまま、弟の衣服を抱きしめて泣いている所を。

 葬式の場に立っていた、あの真っ白な顔を。

 今は疲れているからママのことは放っておいてと振り払われた手を。

 閉じた子供部屋の奥から聞こえるすすり泣きを。

「怒っていないと立ってられないくらい、悲しいんだ」

 きっとね。

 少女はそういう風に締めくくって、溜息を一つだけ吐き出した。

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