経緯の話(0)
己は別離の石アウイナイトだ。
忘れ去られた古き神の血が滴り、冷えて固まり、一つの青い結晶となった時から、
ソレは己の性質に自覚的だった。
それはさながら、雛が誰に教えられずとも殻の破り方を知っているかのように、
ソレは己がどういうものであるのか、何を為すべくして在るのかを理解していた。
深く暗く冷たく、ただ溶岩の沸き立ち流れ呟く音だけが聞こえる鉱床で、
ソレは身を丸め、夢とも現ともつかぬ曖昧たる微睡みを食み続ける。
鉱床という卵の殻の中で、雛は外の世界の夢を見る。
それは泥濘のように柔らかく、天鵞絨(びろうど)のように静かな、眠り。
その眠りが時折ふつと、覚める。
目覚めの鐘は、別離を、決別を、旅立ちを望む者の声――
「こんな村いつか出て行ってやる」「もうこれ以上耐えられない」「私ばかり思い続けて苦しい」「必ず治療法を見つける。何年かかっても」「今のままじゃいけない」「このまま一生、この思いを抱えて行かなければいけないの?」「二度と私のように虐げられるものを作ってはならない」「嫌だ死にたくない助けて助けて助けて」「馬鹿にしやがって、今に見ていろ」「苦しい」「誰か助けて」「どうして誰も助けてくれないんだ」「もうこんな生活疲れた」「必ず生きのびてやる」「悲しい」「俺は有名になるんだ。成功するんだ」「どうして皆、私だけを置いてゆくんだ……」「怖い怖い怖い」「皆、敵だ」「僕は生まれ変わるんだ。新しい自分に」「まだ見たことのない土地に行ってみたい」「痛い止めてお願い許してください」「誰か……」
水が百度で沸騰するように。
自動的に。機械的に。事務的に。
別離を願う声に引かれ、惹かれ、微睡む雛は目を覚ます。
けれどもその身は殻の中。
目覚めた結晶はただ、呼び求め乞う「声」を、者を殻の中からただ傍観する。
ある者は足掻きながら、何処にも行けずに死んでいった。
ある者はもがき続け、ついには望んだ決別を手に入れた。
ある者は求め疲れ、諦めて沈んでいった。
呼ばれる度に雛は目覚め、終わるたびに雛は眠りに戻る。
そうして幾百、幾千、幾万を繰り返し、ある時ふと雛は思う。
『どうしてしぬことをこわがるのだろう』
死は別離の横顔だ。
誰もが生まれれば必ず死ぬ。
生まれた時から死に向かって歩み続ける。死の行進だ。
『すべてのものはかならずかわりいつかはわかれてゆく』
海が山になり、
山は削られ平地になり、
種は大樹となりてまた土に戻り、
朝に生まれた子供が夕べに死ぬ。
すべては移ろい変わる。何をしてもしなくても。それが世界だ。
この身もいつかは削れて壊れて砂となり、死を迎えるだろう。
それは自然なことだ。
『なのになぜかれらはあれほどにおそれくるしみかなしむだろう』
可哀想に。
それは常に傍観者であった雛が初めてもった感情らしい感情だった。
死は恐ろしいものでは無いのに、ただの別離の一形態に過ぎないのに。
苦しまなくていい、悲しまなくていい、悩まなくていい。大丈夫、なのに。
なのに何故彼らはそれが訪れると知っていてなお恐怖するのだろう。
可哀想に。
「死にたくない」「痛い」「助けて」「怖い」「死にたくない」「神様」「嫌だ」「怖い」「誰か」「死にたくない」「助けて」「どうして」「やめて」「怖い」「痛い」「寂しい」「こんなのは嫌だ」「助けて」「神よ」「苦しい」「熱い」「寒い」「痛い」「死にたくない」
恐れる必要のないことで苦しんで、可哀想に。
幾ばかりかの憐れみと、興味を持って、アウイナイトは鉱床の揺籃から見続ける。
呼び覚まされては聞き続けてまた眠り、目覚めては知り続けてまた眠る。
そうしてまた月日が流れ、アウイナイトは理解する。
己は彼らに必要ない。
己は別離を司るもの。しかし、彼らは己が無くとも自ら別離を掴む力がある。
あっても良い。無くても良い。己でなくとも構わない。誰であっても同じこと。
変化し別離しないものがないように、己の役目もまた可変なのだ、と。
『それはとてもしぜんでとうぜんでひつぜんのことだ』
鉱床という揺り籠の中でとろとろと微睡みながら、アウイナイトは外を夢見る。
いつか。
いつか、誰かの手によって掘り出され、彼らに話しかけられる日が来たら。
何も怖がることは無いのだと教えてあげよう。
別離は自然なこと、誰でも、何でも、いつか必ず迎えるもの。
すべては常に別れ続け、新たな己に変わり続け、旅立ち続けるものなのだから。
大丈夫。怖くない。僕が君の別離の味方になるから、背中を押すから。
全てが移ろい変わり別れ続けるこの世界で。
自らの意志で決別を望む君たちがどれほど素晴らしく尊く美しいものか。
それを僕は知っているから。
僕は君たちの意志を寿ぎ、祝福しよう。
そうして僕もまたいつか決定的な別れを迎え、役目は次のアウイナイトに引き継がれるだろう。
今日もまた誰かが呼ぶ声を聞きながら、孵らぬ雛は殻の外の夢を見る――
いったい誰が知りえただろう。
本来ならば鉱床から見いだされ、母岩の揺籃から取り上げられ、職人の手によって青よりもなお青く輝く宝石として求めらるものの手に渡るはずだったそのアウイナイトが、磨かれもせずに打ち捨てられることになろうとは。
水晶質の固く冷たい母岩の殻の中。
触れられることも、愛されることも、尊重されることも、宝石として認められることもついぞ知らないまま、その雛は「ハウイン・アウス・デン・シュネーグレックヒェン」として形を得た。
――これは殻の中で孵化してしまった、殻を破ることに失敗した、愚かな雛の話。
【石物語】アウイン 藍色 @syourandouzi
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