経緯の話(3)

 男は無我夢中で逃げていた。

 何から?

 現実から。

 信じていた弟に裏切られ、店も地位も失った現実から男は逃げ出した。信じられないとわめき叫ぶ己の心から男は逃げ出した。

 どうしてこんなことになったのか、いったい何がいけなかったのか。あの弟が豹変した理由は何だったのか。男には何一つ分からなかった。

 橋の下まで逃げ切って、男は無意識に握りしめていた手のひらを開く。

 そこには水晶質の母岩に埋まった小さな青い石が一つ。まるで、男の混乱を見透かすかのように透徹にきらめいていた。

「……ラピスラズリか」

 そのネオンブルーの色彩に、男は呟く。

 ラピスラズリ自体は知名度は高いがそれほど希少性は高くない。それも、これほどまでに小さくては、売るほどの価値も生まれないだろう。

「ははっ……今の俺にお似合いだな……」

 呟いた目から、ボロと涙がこぼれ落ちる。

 一度落ちた涙は次々と溢れ、決壊し、男の手のひらを濡らした。

「どうして……」

 あんなに仲の良かった兄弟だったのに。店の経営も順調だったのに。弟は一体どうしてしまったのだろうか。何か、誰かに誑かされでもしたのか、それとも中身が入れ替わってしまったのだろうか。

 しかし、問いかけてみても何一つ答えは返ってこない。

(これから俺はどうすれば良いのだ……もう、どこにも行く当てもない)

『現状に何か不満をおもちですか? それから決別したいと君が望むならば、僕はその決別を祝福しましょう』

「こんな、現実なんて……」

 ポケットに石を突っ込み、男は空を仰いで泣き嗤う。

「ああ、決別してしまおう」

 橋の下。

 欄干に首をくくった男の姿が発見されるのはそのしばらく後。

 しかし、男の着ていた上着と共に、かの青い石もまたどこかへと消え去っていたのだった。

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