経緯の話(2)
男の目の前には一つの原石があった。
先日店に入り込んできた、とある男から買い取った物だ。
当人は、これはアイフェルのサファイアと呼ばれるあの「アウイナイト」だと主張していたが、その証言の曖昧さ、入手先の不明瞭さを理由に安く買い叩いて入手した。
男は出て行くときに口汚くこちらを呪いののしっていたが、そんなことはどうでも良い。
「すばらしい大きさだ」
水晶質の母岩に埋まった、どこまでも透徹なブルーを眺めて彼は満足げに呟く。
まだこの状態では宝石としての価値は高くないが、1CT級のアウイナイトとなれば、市場価格がどうなるか――楽しみで仕方ない。
「念のため、本当にアウイナイトであるかを調べなくてはな……」
頭の中のそろばんをはじきながらうっとりと呟き、しかし、
「どういうことだ!」
荒々しく開かれたドアの向こうから現れた顔を見て、その表情はすぐに忌々し気に歪められる。
「うるさいですよ、兄さん」
「どういうことだフリッツ!」
投げやりに返した男に、足を踏み鳴らしながら部屋に入ってきた男は青ざめた顔で詰め寄る。
「お前、俺にいったい何をした!」
「煩いと言っているでしょう……「僕の」店でそう叫ばないでくださいよ」
「黙れ! 何がお前の店だ!」
「もう、僕だけの店なんですよ、兄さん」
胸ぐらをつかんできた相手――兄であり、かつてはこの宝石問屋の共同経営者だった男を冷めた目で眺めつつ、男は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「あんたの無能っぷりにはうんざりしていたんだ。もう、この店にあんたは必要ない」
このアウイナイトを手にした時、ふと思ったのだ。
今のままではこのアウイナイトを売りさばいたとして、その利益は無能な兄の手にも渡る。
何一つ関わっていない、働いていないあの無能な、口ばかりが達者な兄の手に。
今までもそうだった。しかし、これからも兄に搾取されなければならないのか?
『現状に不満があるのですか? もし、あなたがそれからの旅立ちを望むなら、僕がその背を押しましょう』
あの無能な兄をいつまでも共同経営者の地位にしがみつかせておくのは、我慢できない。
決断した後は、まるで誰かの後押しでもあったかのように一気に動いた。
書類の作成、偽造、邪魔な兄を取り除くためだと思えば何でもできた。
そしてついに、彼は「兄」という障害を取り除くことに成功したのだ。
「お前はもう兄でも何でもない。この店の経営に口出しする権利もない……残念だったなぁ?」
ざまあみろ。
男は歯茎をむき出しにして笑う。
ざまあみろ。いつまでも弟の努力の上に胡坐をかいていられるとでも思ったのか。
弟の表情に、兄は殴られたような顔をしてよろめき、胸ぐらをつかんでいた手を離す。
「本気なのか……」
「ああ、本気だ。これが現実だ。あんたはもうこの店にとって赤の他人だ」
分かったならさっさと出て行ってくれ。
追い打ちとばかりに冷たい言葉を投げかければ、兄だった男の肩が小さく震えた。
その惨めな様子に勝利の快感を覚えたのがいけなかったのだろうか。
やけくそのように伸びた手が、男の目の前に置いてあった母岩に埋め込まれたままのアウイナイトをひっつかむ。
「なっ」
咄嗟のことに反応できずにいた男をしり目に、兄はそのまま身をひるがえし、部屋の外へ走り去った。
あの、アウイナイトを握りしめて。
「お、おい! ふざけるな! 誰か、誰かあいつを捕まえろ!」
我に返った男が怒声を張り上げるも時すでに遅し。
逃げ去った男の背は既に見えない。
宝石問屋の男は、その場にずるずると座り込んだ。
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