2021/05/20
2021/05/20
回顧して文字に起こすと言う行為の作用を甘く見積もった心算は無かった。案の定筆の止まる頻度は高い。書きかけで放った諸々の創作に及ぶ程ではないが。
何よりの弊害は昼日中に生ずる度々の想起だった。回顧録を残せる程度の記憶力も時折には疎ましい。姿形が視界に浮かび、呼ぶ声は耳を、残り香は鼻腔を擽った。
「植物物語製造中止したってよ?」
「えっ死ぬ」
抑々常備して居た訳でもない、自身に用いた所で彼の芳香と結び付くでなし。精々ドラッグストアで買い物の途上に商品を手に取って物悲し気に棚に戻す事をルーティンにしていた程度だ。
「いや傍目には立派な不審者だよ」
話を戻し、そんな白昼の幻覚も一頃鳴りを潜めていたとは言え長い不在の内には慣れ切った風物である。記憶の内に在る物が現出する分には新たな傷を拵える事も無い。斯様に高を括って虚空に揺蕩う黒髪に手を伸ばす一人遊びも堂に入っていた。今にして、寄り添う陰に心蕩かされる己を嘲うに愉しみが見出せるのは幸せと断じて此れを書いている。
嘲笑の箍が外れて仕様が無いのは意識の内ではなく短眠の間に間に浮かび上がる夢中の粗筋だった。昨晩の其れはと言えば全く度し難い。在ろう事か彼と穏やかな新婚生活を送る主夫の己を主観で見ていた。
勤めに出る彼をベランダから見送り、手製の弁当を忘れているよと御町内を掛ける自身のまあ緩み切った。主観の筈であったがだらしの無い笑顔を張り付けた己の姿は想像に難くなかった。全く益体無い妄想だった。
「抑引き籠りのテメーが外にお勤めって時点で破綻してんだよな」
「え、この流れで喧嘩売られるのは予想外過ぎるんだけど」
しかし此の手合いの夢は何ゆえか少なくない。この前は勤めで横浜に向かうと言う彼と出勤の道行きを同じくした。寝起きに
「出不精が治ったのはとても良い兆しだな」
と数舜境界が曖昧になった時は寝床に伏して小半時叫び通したものだったが。無論、傍らには寂しげな顔で背中を擦る彼を感じ取っていた。
記憶から無理にひり出しでもしなければ保てない程限界と言う訳ではない。正気を失ったフリを楽しんでいるだけ。本気で見えていると主張する気も更々有りはしない。
彼の容姿が瞼に焼き付いてもおかしくない程魅力的なのは間違い無い。他と比べようのない美しさが鮮烈に残っているのだとしても其れは不合理ではないだろう。
態々眼前の風景に浮かび上がらせる必要が有る訳ではない。ふとした瞬間に思い起こしてしまう程に愛情が深いと言うだけ。
これは幻覚にも満たない、ただ思い出が形を取っているだけ。何にも代え難いが、無ければ生きていけない程極限に追い詰められてはいない。大丈夫、まだ大丈夫。
ただ傍目に大丈夫に見えているかだけは誰かの確認が欲しい。
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